【連載】福嶋亮大「メディアが人間である」 第8回:モデル対シミュレーション

福嶋亮大「メディアが人間である」第8回

 21世紀のメディア論や美学をどう構想するか。また21世紀の人間のステータスはどう変わってゆくのか(あるいは変わらないのか)。批評家・福嶋亮大が、脳、人工知能、アート等も射程に収めつつ、マーシャル・マクルーハンのメディア論やジャン・ボードリヤールのシミュラークル論のアップデートを試みる思考のノート「メディアが人間である」。第8回では、ピアノがさまざまな楽器のシミュレーションを実行する機械(メタ楽器)であることと同じように、コンピュータはメディアそのもののシミュレーションを実行する機械(メタメディア)であることを確認し、21世紀の人間を取り巻く状況を捉えるには、かつての≪現実対虚構≫ではなく、≪モデル対シミュレーション≫という枠組みが有効となることを解説する。

第1回:21世紀の美学に向けて
第2回:探索する脳のミメーシス
第3回:アウラは二度消える
第4回:メタメディアの美学、あるいはメディアの消去
第5回:電気の思想――マクルーハンからクリストファー・ノーランへ
第6回:鏡の世紀――テクノ・ユートピアニズム再考
第7回:21世紀の起源――人間がメディアである

1、近代の二つのプログラム

ディドロ『ラモーの甥』(岩波文庫)

 人間は模倣する生き物である。他者の行動や判断をそのつど予測し、それをモデルとして仮説を立てながら、自らの行動を方向づける――この推論の能力が、人間の社会的知能を特徴づけている。他者をまねる心的な能力は、われわれの社会や文化の成立条件である。この場合、他者性は自己からも分泌される。今の私は、過去の私の、あるいは未来の私のシミュレーションである。「私」とは他者のシミュレーションの集合体なのだ。

 この点で、シミュレーションは人間の心の本質に関わる能力だと言ってよい。近代社会の特徴は、まさにこの心的能力の拡大にある。一歩前の過去、一歩先の未来、身近な家族や友人、あるいは本で知るだけの他者――それらすべてが評価の対象となり、自己を形作る材料となる。その結果、近代の人間は、自分でも完全には意識化できないような無数のシミュレーションの集合体として現れることになった。

 このような近代性の性質を最も鮮烈に描き出したのが、18世紀フランスの啓蒙思想家ディドロの小説『ラモーの甥』である。これは音楽家ラモーの甥と哲学者の「私」の対話小説だが、エキセントリックな甥は、やがて異様なパントマイムを即興的に披露し始める。それは、ありとあらゆる楽器を自らの身体に引き写そうとするパフォーマンスであった。しかし、この楽器のシミュレーションは、音楽的な快楽よりも道化的な苦行を際立たせる。

 しかし読者とても、彼が色々な楽器をまねる格好を見ては、思わず吹き出さずにはいられなかっただろう。両頬をはちきれんばかりにふくらまし、しゃがれた陰気な音を出して、彼はホルンとファゴットをまねてみせた。オーボアをまねるためには爆発するような鼻にかかった音を出した。弦楽器をまねるには、信じられないほどの速さで自分の声をせきたてて、楽器にごく近い音まで出そうとした。(※1)

福嶋亮大『世界文学のアーキテクチャ』(PLANETS/第二次惑星開発委員会)

 こうして、一人でオーケストラを即興的に演じ尽くそうとするラモーの甥は、狂気じみた音楽機械となる。他の楽器になりすまそうとするたびに雪崩のような負荷がかかるので、彼の身体はひどく歪曲し、消耗し、不自然な苦痛を強いられることになる。そもそも、彼はあくまで「ラモーの甥」、つまり優れた音楽家のシミュレーションとして存在するしかないのだ。ディドロはこの異様な小説で、他者のシミュレーションをその限界点にまで推し進めていた。

 ディドロの友人であったルソーは、オリジナルで唯一無二の自己の人生の「告白」を、文学の新たな仕事とした。それがいわゆる「近代的自我」の一つのモデルとなる。それに対して、ディドロの主人公は自己の唯一無二性をアピールする代わりに、他者の多数性に身体ごと感染し、他者に次々と変身してゆく。ルソーとディドロの文学は、近代の二つのプログラムを明示している。すなわち、一つは価値の源泉を自己に置くこと(自律の思想)、もう一つは他者のシミュレーションを無限に実行し続けること(変身の思想)――この両極的なプログラムが、近代の社会思想や美学を基礎づけた。例えば、リベラリズムがその自律の強調によってルソー的だとしたら、現代アートのシミュレーショニズムはその引用やパロディの強調においてディドロ的だと言ってよい。

※1 ディドロ『ラモーの甥』(本田喜代治他訳、岩波文庫、1940年)121‐2頁。この小説の画期性については、拙著『世界文学のアーキテクチャ』(PLANETS、2025年)第八章で論じた。

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