『寄生獣』原画展で見るべきポイントは? パラサイトたちの超現実的なヴィジュアルのルーツを探る

『寄生獣』原画展で見るべきポイントは?

 岩明均の傑作漫画『寄生獣』。その生原画を400点以上集めた「寄生獣展」が、現在、神奈川県・YOKOHAMA COASTにて開催されている(2026年6月21日まで)。

 『寄生獣』は、1989年から1995年にかけて、「モーニングオープン増刊」および「月刊アフタヌーン」(ともに講談社)にて連載された、伝奇ホラーコミックの金字塔である。

 物語は、ある夜突然、空から無数の謎の生物(テニスボール大の球状の生物)が地上に舞い降りてくる場面から始まる。その生物は、姿を変えて人間の鼻腔や耳孔から脳内へと侵入し、全身を支配、さらには何ものか――おそらくは「地球」そのもの――の意志により、他の人間を捕食するという恐ろしい習性を持っていた(戦闘時には、宿主である人間の肉体をいびつに変形させることも可能)。

 主人公の名は、泉新一。平凡な高校生だった彼の「右手」にも、その夜、謎の生物が「寄生」することになる。ただし、彼の場合は、脳を支配されることはなく、「ミギー」と自称するその謎の生物と、ひとつの身体を共有することに(よって、新一の身体で変形できるのは、右手のみである)。そして、そのことを隠しておきたいという本心とは裏腹に、彼(とミギー)は、人類を脅かす寄生生物(パラサイト)たちとの壮絶な戦いに身を投じていくことになるのだったが……。

「寄生」というよりは「共生」

 本作で描かれている、「敵の力を体内に宿した主人公」というのは、古くは永井豪『デビルマン』から、近年のヒット作では、芥見下々『呪術廻戦』、藤本タツキ『チェンソーマン』などにいたるまで、少年・青年漫画におけるダークヒーローの定型といってよく、“毒をもって毒を制す”彼らの強さには、ある種の説得力がある。

 また、本作の最大のテーマは、「寄生」というよりは、「共生」といった方がいいだろう。最終的に新一は、数々のパラサイトとの死闘(とりわけ、強敵「後藤」との死闘)を経て、自分たちには理解できない存在をただ排除すればいいというのではなく、「あいつら(引用者注・パラサイトたち)は、せまい意味じゃ『敵』だったけど、広い意味では『仲間』なんだよなァ/みんな、地球(ここ)で生まれてきたんだろう? そして、何かに寄りそい、生きた……」という考えにいたるまでになる。

 そう、前述の『呪術廻戦』やそのスピンオフである『呪術廻戦≡(モジュロ)』(作画・岩崎優次)でも似たようなことが描かれていたが、1990年代半ばの段階で、この『寄生獣』という作品は、いわゆるガイア思想を下敷きにしながら、「価値観の違う者同士が共に生きるためには何が必要か」という極めて現代的な問いを若者たちに突きつけていた、ともいえるのである。

『寄生獣』の「絵」のルーツを探る

 さて、前置きがいささか長くなってしまったが、本稿では、『寄生獣』の「絵の魅力」について、あらためて考えてみたいと思う。

 もちろん、多くの読者が「『寄生獣』の絵」と聞いてまず思い浮かべるのは、主人公(泉新一)の顔ではなく、彼の「右手」(ミギー)か、敵のパラサイトたちの肉体がいびつに変形している、超現実的なヴィジュアルの数々だろう。

 そうした「絵」のルーツを辿っていったとき、既存の「映画」――たとえば、『遊星からの物体X』(人体・犬の変形)や、『ヴィデオドローム』(武器と手の融合)といったホラー映画で描かれた「肉体変形」のシーンからの影響も無視はできないが(「映画」についていえば、逆に、『寄生獣』の視覚表現が『ターミネーター2』に影響を与えたのではないかともいわれている)、こと「絵画」からの影響に限っていえば、とりあえずは、「マニエリスム」と呼ばれるルネサンス後期の芸術様式に行き着くのではないだろうか。

 マニエリスムの語源は「マニエラ」(手法・様式)であり、その言葉通り、当初はミケランジェロら過去の巨匠たちが作り上げた技術を学び、体系化しようとするものであった(ゆえに、「マンネリ」の語源にもなった)。しかし、その技術が洗練(爛熟?)していくにつれ、マニエリスムの芸術は、より複雑怪奇な様相を呈していく。

 「蛇状体」と呼ばれる、蛇のような(あるいは燃え上がる炎のような)形でのたうつ人体表現。画面上に散りばめられた無数の引用と象徴。装飾過多。消失点の高低を極端に設置した歪んだ空間表現。

 ルネサンス全盛期の芸術家たちを超えるために、マニエリスムの芸術家たちは、確かなテクニック(マニエラ)を用いて、「自然の美」ならぬ「超自然の美」を絵筆で、あるいは、石を刻んで表現しようとしたのだった(代表的な芸術家は、ブロンズィーノ、パルミジャニーノなど)。

 とりわけ、蛇状体の表現に見られる、人体のパーツを伸ばしたり歪めたりする異様な手法は、荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険』(いわゆる「ジョジョ立ち」のポーズなど)への影響も色濃いが、『寄生獣』で岩明均が描いた、自由に変形していくパラサイトの肉体表現にも、大きく影響していることだろう。

肉体が変形する表現に込められた無意識の恐怖

 また、そのマニエリスムの現代的な表われともいえる「シュルレアリスム」からの影響も忘れてはならない。というよりも、むしろこちらからの影響の方が大きいかもしれない。

 サルバドール・ダリ、ルネ・マグリット、マックス・エルンスト、ハンス・ベルメール。あるいは、厳密にはシュルレアリストではないが、フランシス・ベーコンや、一部のピカソ作品など……。気になる方はのちほど画像検索をしていただければと思うが(特にダリとベーコンの作品を)、いずれにせよ、こうした「奇想の芸術家」たちによる歪んだ肉体の変形描写は、人間が無意識のうちに感じている不安や恐怖を表わしている場合が多く、そうした「言葉では説明できない怖さ」を、岩明均が自作のヴィジュアル表現に「引用」しているのは間違いないだろう。

 また、オディロン・ルドンは、「目」をモチーフにした幻想的な絵で知られる象徴主義の画家だが、彼の代表作の数々と、ミギーのヴィジュアルとの関連性を指摘する論者も少なくない(2018年、神奈川県・ポーラ美術館にて「ルドン ひらかれた夢 幻想の世紀末から現代へ」展が開催された際には、『寄生獣』の原画も共に展示された)。

岩明均の漫画はなぜ「怖い」のか

 とはいえ、だ。こうした過去の名画からの「引用」だけでは、真に「怖い漫画」にはなりえないだろう。やはりそこには、岩明均の卓越した漫画表現のテクニックがあるのだと私は思う。

 誤解を恐れずにいわせていただければ、少ない線の連なりによる記号的な岩明均の絵は、決して技巧的なものではない。つまり、前述のマニエリスムやシュルレアリスムの芸術家たちから受けた影響とは、あくまでも「肉体の変形」がもたらす恐怖の効果についてであり、絵画の技術(マニエラ)そのものではないのだ。

 にもかかわらず、岩明の漫画を読めば、「絵」の印象が強く残る。そういう意味では、岩明はやはり「絵の漫画家」なのだ。それはなぜか。

 それは、岩明均が、漫画におけるモンタージュ(編集)のテクニックを知り尽くしているからだろう。『寄生獣』に限らず、彼の漫画は、コマ割りからページの捲(めく)りの効果にいたるまで、とにかく「見せ方」が上手い。その綿密に計算された流れの中では、あのどこか滑稽にも思える彼の記号的な絵が、「恐ろしいもの」として見えてしまうのだ。いや、むしろその「どこか滑稽にも思える」絵こそが、岩明均の漫画の「怖さ」の最大の秘密だといっていいかもしれない。

 そう、笑いと恐怖は紙一重――映画『シャイニング』の有名なキーヴィジュアル(ジャック・ニコルソンが不適な笑みを浮かべているあのカットだ)の例を出すまでもなく、本当に怖い「1カット」は、それだけを切り取った場合、どこか“笑える”場合が少なくないのである。

 そのことを知っている(であろう)岩明均は、あえて、戯画的な――ともすれば、手抜きにも見えかねない、さまざまな要素を削ぎ落した記号的な画風をいまも貫いているのだと私は思う(そうした絵の方が、描き込んだ絵よりも、彼のモンタージュのリズムには適しているのだろう)。

 なんだか悪口を書いているように見えるかもしれないが、もちろんそんなことはない。私は、岩明均を、最上級の「漫画の絵」の描き手だと思っているし、それを確認するためにも、現在開催中の「寄生獣展」に足を運びたいと思っている。

■『寄生獣展』開催概要
【開催期間】2026年6月6日(土)〜2026年6月21日(日)                         
【開催時間】土日祝:10:00~20:00/平日:14:00~20:00
【会場】YOKOHAMA COAST (アソビル 2F ROOM1)
    〒220-0011 神奈川県横浜市西区高島2-14-9アソビル 2F
※最終入場は閉場の30分前まで
※最終日は17:00閉場(16:30最終入場)
※イベント日時、内容などは諸般の事情により予告なく変更、延期、中止となる場合もございます。

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