ヤギの睾丸を患者に移植……デタラメ治療で巨万の富を築いた最も危険な偽医者のノンフィクション

巨万の富を築いた偽医者の人生が凄すぎる

 勃起不全の解消に、ヤギの睾丸を患者の玉袋にぶち込む。そんなデタラメな治療法を引っ提げてアメリカで巨万の富を築いた偽医者、ジョン・R・ブリンクリー。1月24日に翻訳刊行された本書『ヤギの睾丸を移植した男―アメリカで最も危険な詐欺師ブリンクリーの天才人生』(ポープ・ブロック 著、杉田七重 訳、国書刊行会)は、彼のめっぽう面白い生涯を当時の社会情勢など時代背景と共に、立体的に描いたノンフィクションである。

『ヤギの睾丸を移植した男―アメリカで最も危険な詐欺師ブリンクリーの天才人生』(ポープ・ブロック 著、杉田七重 訳、国書刊行会)

 1885年にノースカロライナ州の小さな町で生まれたブリンクリーは、人生の成功者となるべく、二十歳そこそこで商売を始める。成り上がりの手段となるのは、詐欺の常套手段であった医療詐欺だ。「なんでも治す薬」を芝居仕立てで宣伝して売りつける、電気薬品だと偽って患者の尻に色水を注射するといった商法に手を出してはみるが、どれも長続きはしない。シカゴの医科大学に入学し、電信技手の仕事をしながら医師免許の取得を目指したこともあったが、途中で挫折してしまった。こうしてうだつの上がらないまま、時は過ぎていく。

 それでもなんとか実体のない大学から金で免許を手に入れると、1917年にカンザス州のミルフォードという町でクリニックを開業。するとある日、農場で働く中年の男性が〈ムスコがまったく立ちゃしねえ〉と相談に来る。〈俺にも、ヤギのキンタマと同じもんがついてればなあ〉。ブリンクリーはそれが成功への切符になるかもしれないと、精力旺盛な家畜とされていたヤギの内分泌腺移植、実際にはヤギの睾丸を患者の玉袋にただぶち込むだけのインチキ手術を秘密裏に施す。果たして結果はというと、〈農夫が満面の笑みでまたやってきた〉。やがて口コミで評判が広まり、地元の人々が手術を希望してクリニックに次々とやってくる。

「若返り」はミルフォードだけでなく、社会全体において関心のある話題だった。第一次世界大戦で多くの若者が命を落とし、年配者は彼らの分もまだ現役で頑張る必要があったからだ。そこでは真面目なものから胡散臭いものまで(ほとんどが今から見ると荒唐無稽な代物だが)、数々の若返り術が存在することになる。その中でブリンクリーが、世間から注目を集められた理由。それは市場の潮目を読む力と、優れたメディア戦略にあった。

 ブリンクリーは未開のメディアだったラジオに可能性を見出し、1924年に自前の放送局を開設する。放送では自らパーソナリティーとなって、巧みな話術でリスナーの男性機能や健康への不安を煽り、全国のリスナーをクリニックへと誘導していく。とはいえ一日中喋ることはできないし、宣伝ばかりだと飽きられてしまう。そこで、間を埋めるために音楽の演奏や語学講座、物語の朗読に占いなど、さまざまなプログラムを用意する。その副産物として、アメリカでカントリーミュージック・ブームの基礎を築いた功労者として、後に評価されることにもなる。

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