ミッドライフ・クライシスを乗り越えるためにーー中年世代に刺さる「生き方・死に方・あの世の歩き方」を教えてくれる新刊

中年世代に刺さる新刊3冊

 中年期の心理的な危機を指す「ミッドライフ・クライシス」が、最近テレビ番組でも特集され注目を集めている。自分の人生や仕事・生活に対して、これでいいのかと不安や葛藤が生じてしまう。今回はそんな中年の危機から抜け出すための道しるべとなるような、新刊3冊を紹介したい。

 10月3日に発売された金原ひとみの最新長篇『ナチュラルボーンチキン』(河出書房新社)は、著者曰く中年版『君たちはどう生きるか』となる小説である。主人公の〈私〉こと浜野文乃は、出版社の労務課に勤める45歳の会社員。趣味なし、特技なし、仕事への矜持もなし、パートナーも友達も仲のいい家族もいない。そんな彼女の仕事・ひとり飯・VOD鑑賞の単調なルーティンで構成された生活が、同じ会社の文芸編集部に所属する20代の若手社員・平木直理(ひらきなおり)との出会いによって変わる。

 捻挫が理由の必要以上に長い在宅勤務の状況を確認するために、〈私〉が平木の自宅を訪ねてからというもの、何を気に入ったのか彼女は週2ペースでランチへ誘ってくる。コンビニのおにぎり2個とミニサラダと決まっていた昼食は、すた丼、クリーム盛り盛りパンケーキ、うなぎといったガッツリ系に。さらにパリピ気質な平木の導きで、ライブや飲み会やホームパーティーにも参加。次々とルーティンを崩されていく、〈私〉の行きつく先とは?

 人とご飯を食べたり酒を飲んだり、その合間にとりとめもない話やチャット上でのやりとりでコミュニケーションをとったり。物語の中で起きる出来事の大半は、無風の日々を送ってきた〈私〉にとっては事件だが、多くの人にとっては特別というわけでもない。なのにそれが、登場人物たちの心地よい距離感も相まって飽きないどころか、ずっと続いてほしい尊い時間にも思えてくる。

 たとえば、年齢も性格もずいぶんと違う、〈私〉と平木がランチ中に交わす会話。平木は〈それって昭和的観点ですか?〉〈平成すら体感で言うと三十年前に終わったんですよ?〉と、意に沿わない発言をされると、世代で括って一刀両断してくる。〈私〉は〈雑過ぎない?〉と思いつつも、自分たち世代の価値観を雑に打ち壊してくれることに快感を覚えてもいる。〈私〉は〈私〉で中年期特有の言い知れぬ悩みを、唐突に若い平木へ吐露してしまうこともある。そうすると根本で人にあまり興味のない平木は、スルースキルを発動。理解できないと切り捨てるでもなく、〈ふーん〉と言いながら揚げ物にかぶりつく。〈別に恋人とか家族とかではないし、この程度の「ふーん」で流せる感じでいいのだ〉。

 こうした寛容さが、本書で挙げられる中年の悪い見本――自己顕示欲にまみれた人間、相手が若いというだけで圧をかけてくる人間、無意識のうちに特権的な地位にあり立場の弱い人々に対して冷淡な「デフォルトマン」などの価値観に対する、軽やかなアンチテーゼともなっていて痛快。「どう生きるか」だけでなく、「どうしたら老害にならないか」についても考えさせられる一冊なのだ。

 人生も折り返し地点に近づくと、生き方だけでなく、どうゴールを迎えればいいのかも気になるところ。10月9日に文庫版の発売された門賀美央子『死に方がわからない』(双葉文庫)は、〈アラフィフ独身女〉の著者が、寿命を迎えた時に後腐れなく死んでいくことを目指して、助けとなる行政・医療等の制度・サービスを調査。死ぬ準備の進め方を読者に指南する実用書である。

 家で死んだとして、どうやって気づいてもらうか?遺品の整理、葬式や墓の手配は?SNSアカウントの削除は?死ぬ準備を進める中で浮かび上がるのは、事務処理の手間やお金など結構なコストが掛かることであり、独り身でも結局は誰かを頼って後を託さなければならないということ。そして、まだ元気な中年の内に、取り掛かるのが得策であるということだ。現在家庭を持つ人でも、長生きすればするほど周りに人がいなくなる可能性は高いのだから、他人事ではない。

 とはいえ厳しい現実を前にしても、本書は常にどこか明るい雰囲気の漂っているところがいい。〈死に支度は老い支度であり、老い支度は生の肯定である〉と、前向きに死と向き合おうとする著者のたくましさは、本書で提供される有益な情報の数々と並んで、読者の助けとなるはずだ。

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