町田康が教える「おもろい」文章の書き方 格闘技的文章とプロレス的文章の違いとは?

〈おもろい文章を書きたい。ただそれのみを念じて無我夢中で生き、気がついたら取りかえしのつかぬ齢になっていた。ばかな一生であった。自分の事を言ふな。えらいすんません〉。
1月8日に発売された本書『俺の文章修行』(幻冬舎)は、文章力を身につけ、よい文章を書くためにはどうすればいいのかについて、作家・町田康が指南する文章読本である。独特の言い回しとリズムを持つ文体で、強烈な個性を持つ町田作品。その印象からどんな突飛な論が展開されるのだろうと思っていたら、〈多くの本を読む以外に道はない〉と至極真っ当な方策を序盤で提示され、面食らってしまう。
これにて早くも万事解決となるのか? と思いきや、〈そんな閑人の真似はしておられぬ。裏道、抜け道を教えてくれ〉などと、どこからともなく疑問・反論・ツッコミ・難癖が投げかけられる。そこで著者はそれに対する回答となる、近道をしないことで本によって得られたものについて具体的に語っていく。たとえば、千回くらい読んだ絵本『ちからたろう』での〈此の世には理解できないことがある〉という教訓によって形成された、文章の価値観。北杜夫の小説「三人の小市民」を〈おもろくないのは自分がそのおもろさを感知できないからだ〉と再読し面白味に気づくことで、思ったこと感じたことを文字にする脳内の「変換装置」を性能アップさせた成功体験。文章の上達法をただ教えるのではなく、補足で町田康の作家としてのルーツや経験談も交えてくれる、読者からすればまさに一石二鳥の構成である。
そして結局「多くの本を読む」で話は終わらず、これまで培ってきた文章をよくするための技術も論じられていく。その中で特に興味深かったのが、「格闘技的」文章と「プロレス的」文章のスタイルの違いだ。
言いたいこと・伝えたいことを、正確に誤解を与えないよう相手に伝える実用的な文章。これは著者の見立てだと格闘技的文章となる。一見強そうだが、相手を倒す=正確に意味を伝えることに重心を置きすぎで試合ならともかく、文章としてはおもしろさに欠ける弱点がある。例として純文学とはどんなことを書いたジャンルか、著者が格闘技風に要約してみると、〈女に持てたい・女とやりたい 他の奴が出世して腹立つ 人が死んで悲しい 社会に不正や不平等が多くて腹立つ もっと俺をフィーチャーしろ〉と、情緒もへったくれもない代物となる。