「めざしたのは、現代の雑居ビル」渋谷パルコ店長・平松有吾が語る、未完成の空間が街を熱狂させる理由


2019年、大きな注目を集めてリニューアルオープンした渋谷パルコ。しかしその直後、世界はコロナ禍に見舞われ、商業施設は「利便性」においてECサイトに完敗を喫することとなった。かつて若者文化の聖地と呼ばれた場所は、いかにしてこの危機を乗り越え、「復活」を遂げたのか。
本書の著者であり、渋谷パルコ店長(26年2月時点)の平松有吾は、画一化された「完成品」のビルを否定し、街のカオスや雑居ビルの不透明さを取り込む独自の戦略を打ち出した。本対談では、ライターの速水健朗が、効率重視の時代に抗い、「グローバルニッチ」な支持を集める新生・渋谷の思想設計と、街に溶け込む運営の極意に迫った。
来場者すべてを「演者」と捉える創業の思想

速水健朗(以下、速水):本書では、2016年から2019年にかけての渋谷パルコ建て替えをメインに綴られています。今、このタイミングで渋谷パルコの歩みを一冊の本にまとめられた経緯を教えてください。
平松有吾(以下、平松):私自身、建て替え前の旧ビルでも働いていましたが、ビルが新しくなり、コンセプトが変わるだけで、これほど街に与える影響が違うのかと、強い衝撃と実感を持ちました。商業施設が持つポテンシャルやパワー、あるいは「再生」の重要性について編集の前田さんと話をしていたのが執筆のきっかけです。前田さんは渋谷パルコの面白さをよく知る方で、「平松さんがどうやってこの場所を再定義したのか、そのプロセスを世に残すべきだ」と背中を押してくれました。
速水:読んで驚いたのは、テナントとの関わり方です。通常の大型商業施設だと、内装などはテナントにお任せで、デベロッパーは「箱」を貸すだけというドライな関係になりがちですよね。でも、平松さんは内装の細部にまでがっつり入り込んでいる。
平松:2000年代以降、商業施設はどんどんシステム化・効率化されました。決められた規格の中に、まるでカセットをはめ込むようにブランドを並べていく。そのやり方が、今の商業施設をつまらなくさせている原因ではないか、という強い危機感が私たちのチームにはありました。
昔から渋谷パルコには、テナントさんと共存共栄しているという感覚があります。渋谷パルコがやるべきなのは、まず骨太のストーリーを作り、そこに共鳴する人と物を巻き込んで、表現方法まで一緒に悩み抜くこと。そこまで踏み込まないと、今の時代、面白いものは作れないと考えたんです。
速水:商業施設というものは、設計段階で「核」になるものを設定してから周りを考えると思うのですが、渋谷パルコの場合はいかがでしょうか。
平松:創業者の増田通二が植え付けた最大の装置は「PARCO劇場」です。建て替えにあたっても、劇場を核に置くことだけは最初から決まっていました。増田の思想は、「劇場に来る人を想定し、そこに合う服屋や飲食店を並べる」というものでした。ビルに来る人すべてを、劇場の延長線上にいる「演者」と捉える。その考え方は、今も私たちの根底にあります。
時代が変わっても揺るがない渋谷の立ち位置

速水:旧ビルの時代、特に70年代から80年代にかけて、増田通二さんが渋谷パルコを作っていった時代はまさに「伝説」ですよね。私は90年代に東京に出てきた世代ですが、平松さんはどの時代の渋谷パルコが原体験ですか。
平松:私も90年代の中・高・大学生の頃が原体験です。あの頃の渋谷の街や渋谷パルコの熱量は凄まじかった。ただ、実際に入社して働いてみると、2000年代以降は少し様子が変わっていました。開発の波が押し寄せ、街が一般化していく。ニッチで尖ったものが少しずつ薄まっていく過渡期を、肌で感じていたんです。ただ実際には街に路面店は残っていて、おもしろいお店といえば路面にこそあるという実感はありました。
速水:パルコグループ全体の中で、渋谷パルコはどのような立ち位置なのでしょうか。
平松:渋谷パルコも時代ごとに経営スタイルを変化させてきましたが、私が働くこの20年ほどを振り返っても、渋谷は「創業の地」であり続けています。たとえ組織やビジネスの形態が変わっても、自分たちの出身地であり、DNAの原点であると捉える社員が非常に多い場所です。
速水:かつてのように「渋谷での成功モデルを全国へ展開する」という流れはあるのですか?
平松:70年代から80年代にかけてはその手法が機能していましたが、90年代半ば頃からは難しくなりました。創業の地ではあっても、実態は「東京という特定の場所」に特化したものになっていった。そのため、2000年代から2010年代にかけては、渋谷と同じことを全国で展開できる状態ではなくなっていました。
速水:土地柄の違いもあり、渋谷の真似をするのは容易ではないということでしょうか。
平松:それもありますが、70年代から築き上げてきた渋谷パルコの価値観自体が、ある時期から「一般化」してしまった側面も強いと感じています。全国や世界に浸透するほどの求心力が弱まり、会社自体の関心も、より一般的な商業施設の方へ向いていたように感じます。「創業のベースモデルではあるが、同じ形で全国各地に広げるべき事業スタイルではない」という時期が長く続いていたのが実情です。
めざしたのは「現代の雑居ビル」
速水:2019年のリニューアルに向けては、かなり時間をかけられたと思います。昨今の渋谷の再開発では、どこも似通ったセレクトショップやブランドが入る傾向にありますが、渋谷パルコだけは明らかに一線を画しています。これは最初から独自路線を貫く決意があったのでしょうか。
平松:もちろん事業としての成功は大前提ですが、その背景にあるのは「お客様の支持」です。ただ、単に支持を得られれば何でもいいというわけではありませんでした。「自分たちがどうなりたいか」を明確にした上で支持を得たいと考えたのです。
私たちの根底には、70年代から90年代にかけて渋谷パルコが築いてきた、カウンターカルチャーやサブカルチャー、若者文化への強い関心があります。自分たち自身がそうした文化を好み、それを一つの空間に形作ることを楽しむ集団でした。ですから、「唯一無二」という要素を軸に据えながら、どうすればお客様の支持に繋がるかを突き詰めていく。その思考プロセスは、実は非常にシンプルだったと感じています。
速水:具体的に「どういうブランドが入ってほしいか」といった顧客のニーズは、どのようにキャッチアップしていったのですか?
平松:とにかくリアルな声を求めて、あらゆる人に会いに行きました。ファッション界の有名バイヤー、編集者、アーティスト、さらには大学教授まで、多種多様なジャンルの方々に「渋谷パルコがどうなれば面白くなるか」を聞いて回ったんです。弊社はもともと展覧会や音楽、出版事業を通じて各界のクリエイターとの繋がりはありましたが、それを「繋がっているだけ」で終わらせず、商業施設としてのヒントを一つずつ抽出していく作業に注力しました。
速水:その過程で、具体的にどのような意見が出てきたのでしょうか。
平松:例えば飲食ゾーンについて自分たちが本当に行きたい場所はどこかと考えたとき、挙がったのが「ニュー新橋ビル」や「新宿ゴールデン街」のような場所でした。
そこから「ニュー新橋ビルのようなカオスを現代のビルで表現したらどうなるか」という妄想を膨らませていきました。すぐにテナントを探すのではなく、まずは「カオスキッチン」というコンセプトを掲げ、まだ出店者が決まっていない段階で、建築家の藤本壮介さんに共用空間のデザインを依頼しに行ったんです。担当者たちも、実際においしい店を食べ歩き、泥臭いリサーチを積み重ねて、あの空間を作り上げていきました。
コロナ禍を経て再定義された渋谷パルコのターゲット
速水:渋谷パルコといえば、今や当たり前になった「ポップアップショップ」の先駆けでもありますよね。
平松:私が2005年頃から始めたのは、最初は「期間限定ショップ」と呼んでいました。路面店にいる面白いプレイヤーは、賃料や契約期間の壁があって、なかなかビルには出店できません。それを数週間という短い期間、狭いスペースで貸し出すことで、ビルの中に「流動性」を持たせたんです。
速水:今では、渋谷パルコの前にできる「何の行列かわからない列」こそが、渋谷パルコらしさになっていますね。
平松:そうなんです。「あの列、何?」と思われることが大切なんです。今の時代、スマホで検索すれば何でも正解が出てきますが、あえて「わからない面白さ」を空間に散りばめる。それが、AI化する社会に対する私たちなりのアンチテーゼです。
速水:2010年代以降、リアル店舗はECの台頭により顧客を奪われ、さらに地方を含め全国的に「駅近」の商業施設へ一極集中する流れが続いています。駅から距離のある渋谷パルコにとって、ECと立地という二つのリスクは、正面から向き合い続けなければならない課題ですよね。
平松:まさにその通りです。2000年代の「大店立地法」の改正により、全国で大型モールの建設が可能になりました。さらに鉄道会社などが駅開発を強化して商業誘致を進めたことで、駅近の競合が急増しました。これにECの拡大が加わった今の時代、わざわざ足を運ぶ「ここに来る意義」をどう創出するかは、全商業施設が抱える宿命だと言えます。
その中で何をヒントにするかと考えた時、行き着くのは「渋谷の街の歴史や文脈」です。街の物語にいかに寄り添っていけるか。それが、私たちが面白いものを作り続け、この立地リスクを乗り越えるための鍵になると確信しています。
速水:かつてのルミネ時代のように、駅に近くて便利、そして手頃な価格帯という商業施設が一世を風靡した時期がありました。しかし、今の渋谷パルコが目指している方向はそれとは異なりますよね。
平松:そうですね。利便性を追求するのは当然の流れですし、駅ビルなどは非常に便利です。しかし、コロナ禍が大きな転換点になったと感じています。駅ビルという「便利さ」を享受していた人々が、さらに便利な存在としてAmazonなどのECサイトをより深く利用するようになり、「駅にすら行く必要がない」という究極の利便性を体感してしまいました。
その一方で、最大級の便利さを経験した後に、「これだけでは何だか、つまらなくないか?」と感じる層が一定数現れました。私たちは、まさにそうした方々をターゲットに据えています。この「便利さの先にある物足りなさ」を感じている層は、日本だけでなく世界中に存在します。パンデミックが世界同時に起きたことで、この価値観も世界共通のものになりました。私たちはこうした人々を「グローバルニッチ」と呼び、2019年の建て替え以降の運営において、ターゲットとして強く意識しています。
便利さの先にある「たまり場」へ
速水:日本独特の「雑居ビル」という形態には大きな可能性があると、アメリカの経済学者ノア・スミスが指摘しています。古くなったビルに多様な店が混在するあのカオスな形態が、これからの日本経済の強みになると。
平松:私もその指摘は読みました。非常に重要な視点だと思います。実は今の渋谷パルコも、ある種の「雑居ビルの新しい形」なのではないかと考えています。人が集まる場所である以上、今後も「空間体験」は求められ続けますが、それは固定されたものではなく、絶えず更新されていくべきものです。
速水:つまり、最初から「完成品」を作ろうとはしていない、ということですね。
平松:おっしゃる通りです。従来の商業施設は「きれいな完成品を作れば売れる」というマインドで作られすぎて、どこも似たような風景になってしまいました。今の渋谷パルコは、そうした現状へのアンチテーゼでもあります。地下にディスクユニオンさんに入ってもらったのも、かつてのシスコ坂のような「レコード屋を巡る体験」をビルの中に再現したかったからです。綺麗な完成品を作るのではなく、あえてわけのわからなさや、ゆるさを残す。商業施設でありながら、街の路地裏や雑居ビルのような、常に更新され続ける「未完成の場所」でありたいと思っています。
速水:街を飲み込み、街に溶け込んでいく。その思想が、渋谷パルコを単なる「買い物をする場所」から「カルチャーが生まれる場所」へと復活させたのですね。
平松:ありがとうございます。私たちは渋谷パルコを「渋谷という巨大な街の中にポツンと立っている、少しだけ大きなビル」と捉えています。ビルを建てた側は「この内部こそが本当の街だ」と思い込みがちですが、そうならないよう自戒することを、私自身もスタッフも常に意識しています。街に逆に合わせていかなければ、生き残ることはできません。
私たちの根底にあるのは「空間体験ができる場所にはもっと多様なポテンシャルがあるはずだ」という思想設計です。そして、便利さの先にある「つまらなさ」に気づいた人たちにとって、わざわざ足を運ぶ価値のある「たまり場」であり続けたい。それが、新生・渋谷パルコが目指す「復活」の形なのだと思います。
■書誌情報
『渋谷パルコの復活 なぜ危機から再生できたのか?』
著者:平松有吾
価格:1,188円
発売日:2026年2月18日
出版社:光文社
レーベル:光文社新書





























