『文學界』編集長・浅井茉莉子インタビュー「文芸誌が生き残っていけるかは、たぶんこの5年10年くらいが正念場」

『文學界』編集長・浅井茉莉子インタビュー

 又吉直樹『火花』(2015年)、村田沙耶香『コンビニ人間』(2016年)という芥川賞受賞作を担当したことで知られる浅井茉莉子が、2023年7月に『文學界』編集長に就任した。『「AV」女優の社会学』(2013年)で注目された鈴木涼美に小説の執筆を依頼したのも、浅井である。鈴木の2作(『ギフテッド』2022年、『グレイスレス』2023年)は、芥川賞候補作となった。他分野からの積極的な起用で純文学の世界に新風を吹きこんできた編集者は、老舗文芸誌をどう舵取りしようとしているのだろうか。(円堂都司昭/2月2日取材・構成)

文藝春秋はすごくきちんとしているというか硬そうなイメージだった

『文學界 2024年5月号』

――編集者という仕事を意識し始めたのは、早かったそうですね。

浅井:本を作る人になりたいとは10代の頃から思っていました。学校に行くのは嫌だけど、本屋ならいくらでもいれたし、親も本なら買ってくれたので、就職する時も自然と出版社に行きたいと思いました。大学で上京してきてからは作家の方のトークショーなどにも行くのも好きだったので、こういう作品を書いている人と話してみたいという気持もありました。自分で書くことは全く考えなかったですね。学校の課題で小説的なものを書かされたりしましたけど、自分の書くものは全然面白くない。読む側の人間だなと感じていました。

――入学した早稲田大学では、ワセダミステリクラブに入った。

浅井:メフィスト賞世代なので、第ゼロ回といわれる京極夏彦さん、第1回の森博嗣さんから読み、それからミステリーにはまっていきました。大学はミステリ研究会に入りたいなと京都大学か早稲田を考えたのですが、東京に住みたいのと、あまり勉強してなかったこともあり早稲田に。いま思うと京大のミス研にはついていけなかっただろうし、ワセミスも最後までいたわけではないのですが。

――純文学とエンタメでは、大学時代に読んだ比率はどれくらいでしたか。

浅井:半々くらいです。どちらも広く浅くという感じでしたが、日本では深沢七郎さん、山田風太郎さん、金井美恵子さんなどが好きで、一応、英文学専攻ではあったので海外小説の翻訳ものもよく読みました。ミステリーは海外ものが多かったですね。卒論に選んだのは、グラフィックノベルと呼ばれるアメリカのマンガのアーティスト、アート・スピーゲルマンが911について描いた『消えたタワーの影のなかで』を取り上げました。

  柴田元幸さんの弟子の都甲幸治先生が大学にいらして影響を受けて、卒論指導もしていただきました。今から思うと、フォークナーとかヘミングウェイとか、オースターなど王道の作家をテーマにしなかったところに、自分の自信のなさというか性質が表れていると思います。

――就職活動は。

浅井:主に出版社を受けていて、文藝春秋に決まったので、そこで就活をやめました。「文學界」は、大学生の時の表紙が内藤礼さんで、まず表紙が好きでした。あと映画も好きだったので、当時の「文學界」では黒沢清監督の特集や阿部和重さん、中原昌也さん、青山真治さんの鼎談、蓮實重彦さんの映画批評など、映画の記事が多かったのを覚えています。でも文藝春秋はすごくきちんとしているというか硬そうなイメージだったので、志望はしたけど、入社だなんて自分には現実的ではなくて、実際に内定した時は驚きました。

――2007年に入社して最初に配属されたのは。

浅井:「週刊文春」です。皇室や事件取材をよくしていて、秋葉原無差別殺傷事件(2008年)は、事件の一報がきてすぐ秋葉原へ行ったのを未だに覚えています。当時の「週刊文春」では社員の女性記者が私1人しかいなかったので、大変でもありましたら色々やらせてもらって楽しい記憶もあります。半年で8キロくらい太りましたが。

――「コムスメ記者がいく」という体験ルポを担当していたとか。

浅井:今見ると、そのタイトルはどうなのかという感じですよね(笑)。異動希望を出していたら、2年で「別冊文藝春秋」に異動しました。

――同誌は基本的にエンタメ系ですよね。

浅井:そうですね。笠井潔さんや最近亡くなった酒見賢一さん、坂木司さん、中島京子さんなど、思い出すといろいろな方を担当しましたね。

――現在、「別冊文藝春秋」は電子版で出ていますけど、当時は紙でしたっけ。

浅井:当時はまだ紙でした。楽しかったですけど、失敗もたくさんしました。編集長と相談しないで勝手に連載を依頼しちゃったり。本当に迷惑をかけたなと思います。

――作家に承諾してもらってから「書かないでください」とは、いえないでしょう。

浅井:そうなんですよ……なので、編集長と交渉して連載させてもらいました。それ以外でも後悔も多くて、念願の文芸編集者になったのに本当に駄目だなと何度も思いましたね。自分に向いていないという気持は、今も変わらずあるんですけど……。「別冊文藝春秋」には3年くらいいて、「文學界」に移りました。弊社はもともと異動が多い会社なんです。

――「別冊文藝春秋」時代の2011年に文学フリマの会場で見かけた芸人の又吉直樹さんに小説の依頼をした話は、よく知られています。

浅井:もう10年以上前の話なのでお恥ずかしいですが、「文學界」で『火花』を書いていただく前、又吉さんには「別冊文藝春秋」で短編を2作いただきました。文学フリマは大学生の時もたまに行っていて、本当にラッキーでしたね。

――文学関係のイベントとかトークショーは、けっこう行っていたんですか。

浅井:ぼちぼち、です。

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