地方の書店 収益源は何だった? 書店員が語る、地元名士の存在「ハードカバーの高額本は家の中で目立つ」
地方に多かったインテリ層の存在
筆者は長年、地方の諸問題を取材してきているのだが、地方のいわゆる“名士”の家に上がらせてもらうと、立派な書棚に百科事典や文学全集が並んでいる光景をたびたび目にする。なかには小さな図書館並みに本を持っている人もいるし、『大漢和辞典』などが一巻も欠けずに整然と並んでいるのを見ると圧倒されずにはいられない。
聞けば、地元の書店で買い求めたものだというが、昭和の頃まで、地方の名士には本を爆買いするインテリ層が多くいた。いわゆる学校の教師、医者、弁護士などの職業だけでなく、地域をまとめる豪農にも、とんでもない量の蔵書を抱えては自身の書斎を有している人が多くいたのである。
なぜ高価な本を買い求めるのか
地方の書店にとって、そういったインテリ層は相当なお得意様であった。特に人気があったのが、百科事典や文学全集などのハードカバーのとにかく高価な本である。地方の富裕層にはそういった本をこぞって買い求める層がたくさんいた。
もちろん、実際に読んでいた人も多かったと思うのだが、こうした本は名士にとってもう一つの重要な役割をもっていた。昭和の時代を知る、地方の書店員はこう話す。
「読もうが読むまいが、ハードカバーの本は家の中で目立ちますよね。名士のもとには毎日のように客がやってくるわけだから、難しそうな本がずらりと並んだ本棚は効果的だったのだと思います。金箔を使って豪華さを競った仏壇などとともに、本棚の蔵書も名士の格を上げるために重要な存在でした」
仏壇と本棚が肩を並べる存在とは恐れ入ったが、そうした効果があると考えられていたのも、インテリは読書家なのだという共通認識が地方の人々の間にあったためだろう。百科事典、文学全集、美術全集……こういった豪華本を買い求める顧客は、地方書店の収益の柱になっていたのである。
スローライフを否定する名士がいる理由
しばし地域おこし協力隊や移住者と地元の名士が衝突するのは、感覚のズレがあるためだと筆者は考えている。移住者はスローライフや牧歌的なイメージを地方に求める。ところが、名士たちはそんなものを求めていないのである。
山形県のある名士は、「移住者はミニマリストというのか、お金を使わない考えを押し付けてくる人が多いんです」「私はそんな暮らしは求めていない」と言い切った。名士の中には、自分たちは高い教養をもち、東京よりもラグジュアリーで教養ある生活を送っていると信じている人が少なからずいる。
現在でも本棚に百科事典をずらりと並べている名士の家を訪れると、昭和の頃までは実際にそうだったのだ、ということがわかる。しかし現代では、そんな豪華本を爆買し本棚に並べてステイタスを誇るという「本を囲むライフスタイル」は廃れつつあるのかもしれない。