第二のあいみょんは生まれるか? 話題の書『ブックオフから考える「なんとなく」から生まれた文化のインフラ』藤谷千明・評

藤谷千明が読む『ブックオフから考える』

■ブックオフという「公共圏」

ロードサイドにあるブックオフ。日本のエンタメカルチャーを今後も支え続ける存在でいられるだろうか?

『ブックオフから考える「なんとなく」から生まれた文化のインフラ』は、ブックオフの社会意義を考える一冊である。そう、創業30年、全国800近くの店舗数をほこる、黄色と青の看板の、あの店だ。あるときはビジネスモデルが称賛され、またある時は出版業界の敵とされ、さらにある一定の世代以降からはノルタルジーの対象とされる、あの古本屋(新古書店)のブックオフだ。

  著者の谷頭和希は『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』(集英社)を上梓し、現在は「スタバにはなぜフラペチーノがあるのか~「矛盾」に満ちたスターバックスから学べること~」(東洋経済オンライン)や「ありのままの池袋」(日刊SPA!)などを連載中のチェーンストア研究家・ライターである。「ドンキ」や「スタバ」など、どこにでもあるチェーン店をとりまく社会的な背景を丹念にまなざし、それらがなぜそこにあり続けるのかを丁寧に掘り下げていく書き手だ。ブックオフもまた、ご存知の通りどこにでもあるチェーン店のひとつである。

  本書は、ブックオフの社会的な意義を考えるにあたって「なんとなく性」をキーワードにしている。たしかに、強い意志と明確な目的を持ってブックオフに足を運ぶ人は、古本マニアかせどり業者くらいだろう。ブックオフのオウンドメディア「ブックオフを立ち読み!」のエッセイ群(※なお筆者も寄稿してます)に目を通しても、使えるお金は少ないが時間を持て余している時期に「なんとなく」立ち寄るものであることが多い。

 「なんとなく」とは、まったくの無目的というわけではなく、そこにある種の「遊び(余白)」があるというところがポイントなのである。たとえば、「なんとなく」暇なので立ち読みにし行ったら、欲しかった本やCDが格安で販売しているのを目にし、すぐさま手に取りレジにむかって小走りした……なんて経験は多くのブックオフユーザーが体験したことがあるのではないだろうか。つまり、ブックオフに足を運ぶ人も「なんとなく」だし、商品のほうも「なんとなく」存在しているのであるがゆえに発生する「遊び」である。(なお、本書のなかでも幾度となく言及されているが、現在のブックオフはPOSシステムで商品を管理するようになり、かつてほど価格にランダム性はないのだけれど)そこに谷頭は「公共圏」に近いものを見出している。

■ブックオフの「遊び」を享受して台頭したクリエイターたち

   2010年以降になると、消費者目線での「ブックオフ語り」が増えたと谷頭は指摘する。本書では『ブックオフ大学ぶらぶら学部』(夏葉社)、あるいは「3000円ブックオフ(3000円という価格しばりでブックオフでアイテムを購入する遊び。本書でも実際にこの遊びを行い、誌上再現している)」などが紹介されている。『ブックオフ大学ぶらぶら学部』はISBNを持たない自主流通の書籍であり、3000円ブックオフは、オートチューン系VTuberの温泉マークのTwitter(現X)をきっかけに自然発生した「遊び」である。インディペンデントかつ私的な語りが発生する一方で、前述した思い出エッセイが多数掲載されている「ブックオフで立ち読み!」は、ブックオフのオウンドメディアである。その極端さもブックオフをめぐる語りの面白さなのかもしれない。

  そんな「消費者」として、ブックオフの「遊び」を享受してきた者たちがクリエイターとして台頭し、「文化」を作るに至ったとも谷頭は指摘する。tofubeatsやあいみょんなど、自身のルーツにあたる作品(の一部)とブックオフで出会ったことを公言している人気J-POPミュージシャンの発言を紹介し「ブックオフ文化人」と称している。ミュージシャンだけでなく作家や漫画家、ドイがクリエイターでもブックオフ好きを語る者は少なくない。2000年代後半から2010年代にかけて、ブックオフで育った感性が文化を牽引した側面は確実にあり、それは功績と呼んでもいい。

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