戌井昭人×愛可『おにたろかっぱ』夫婦対談「誰に対しても視線が温かいというのは、夫のいいところ」

夫婦対談『おにたろかっぱ』戌井昭人×愛可
戌井昭人『おにたろかっぱ』(中央公論新社)

 作家の戌井昭人(いぬいあきと)が、2025年9月に小説『おにたろかっぱ』(中央公論新社)を上梓。

 崖っぷちのミュージシャンである「父ちゃん」と、空想の友人と語らう3歳の息子タロ。仕事が激減した父ちゃんは、息子を連れて最後の巡業(どさまわり)に出るーー。成長していく息子と、大人になりきれない父親のかけがえのない日々をユーモラスなタッチで描いた長編小説だ。本書は読売新聞夕刊紙上の連載小説を単行本化したもので、イラストレーターの多田玲子が挿画を担当している。

 戌井は、妻と息子との日々をヒントに『おにたろかっぱ』を執筆。俳優、劇作家でもある戌井が巡業で訪れた場所が登場するなど、自らの思い出も投影されている。『おにたろかっぱ』と創作活動、そして家族への思いについて、戌井と妻の愛可に話を聞いた。

子育て小説にはしたくなかった

戌井昭人氏

ーー『おにたろかっぱ』は読売新聞での連載を書籍化したものですが、物語の着想点はどういったところからだったのでしょうか?

戌井昭人(以下、戌井):連載の話をもらう前に、子育てについて新聞に寄稿したんです。そしたら、それを読んだ記者の方から、「子育てをモチーフに小説を書きませんか?」と声をかけてもらって。もともと、子供のことを小説にする気はあまりなかったのですが、せっかく声をかけてもらったんだし、やってみようと思って書き始めました。でもだからといってあまり事実に近づけ過ぎるのも違うかなと思って、父ちゃんをミュージシャンにするなど、創作も入れながら書いていきました。結局、ほとんどモチーフがあるんですけど、場所とか。

愛可:登場人物とかも。お友達もいっぱい出てくるし。

戌井:そうだね。

ーーお子さんのことを小説にする気はなかったとのことですが、『おにたろかっぱ』はどういったところから書き始めたのでしょうか?

戌井:東京に住んでいたときから、ずっと息子と一緒に散歩をしていたんです。その、散歩をしながら何気ないことを喋るという時間を書きたいなと思いました。実際、東京から三浦半島に引っ越して、のほほんとした日々だったので、それを形にできたらいいなと。

愛可:コロナ禍の真っ只中に引っ越したんですよ。私は幼少期に鹿児島で育って、夫は東京でも調布のほう。二人とも田舎だったので、自然で遊ぶという体験が必要だよねという話になって。

戌井:湯河原とか真鶴とか、諏訪湖のほうも候補だったよね。だけど友達も多いし、鎌倉や逗子のあたりがいいかなと思っていたんですが、「高いな」とか言っているうちにどんどん南下して横須賀市に入っちゃって(笑)。

愛可:直前まで軽井沢になりそうだったんだけど、ダメになっちゃってね。

戌井:うん。でも軽井沢に住んでいたら、この作品は100%書けなかっただろうし、横須賀だったから書けたんだと思う。軽井沢にはたぶん、タバコばっかり吸ってるおじさんとかいないから(笑)。

ーー息子さんと三浦を散歩する時間を閉じ込めたいという気持ちもあったんでしょうね。

戌井:確かに。書いているときは意識していなかったけど、そう言われると、それを残せてよかったなと思います。

ーーそれこそ、コロナ禍での出産の話も、経験した人にしか書けない出来事ですしね。

愛可:そうですね。

戌井:俺、出産の立会いなんてしたら絶対にムカつかれて終わると思うんです。知り合いも、立ち会ったけど何をしていいかわからなくて最終的には「出ていけ」って言われたと言っていたので、俺もそのパターンだなって。そしたらコロナで出産の立会いができなくなって。妻に「ほっとしたでしょ?」って言われましたから(笑)。実際、ちょっと安堵しましたけど(笑)。

愛可:私も私で、一人だから気楽でよかったですよ。お見舞いも誰もこられないから、息子と1週間、二人っきりでいい時間を過ごすことができました。

戌井:本にも出てきますけど、二人が入院している間に洗濯しようとしたらハイターを部屋の中にぶちまけて、高そうな服を真っ白くさせちゃって。大変でしたね。一人暮らしだったら「どうでもいいよな」って思いながら家事ができるんだけど、人のためにやる家事は厄介ですね。冷凍庫はいまだに3回に1回は閉めていないし。

ーーそれは一人暮らしでも問題じゃないですか?(笑)

戌井:そうですよね(笑)。一人暮らしのとき、冷凍庫の中身を全部溶かしちゃったこともあるし、電気ポットをガス台の火にかけて燃やしてしまったり。問題ばっかり起こしています。

ーー今は、親に限らず完璧な人が求められる時代。そういう時代の中で、『おにたろかっぱ』の父ちゃんの、すごくドジだけどご家族を愛している姿に勇気をもらう人もいるんじゃないかなと感じました。

戌井:ありがとうございます。この作品も“子育て小説”にはしたくなかったんですよね。だから父ちゃんのことも書いて、ライブシーンも書いたし。

愛可:実際、5歳の息子と本気でケンカしていることありますからね。「ねぇ、相手は5歳だよ」と言うんですけど。夫にとっては、息子も本当にフェアな関係なんだろうなと思います。

戌井:“厄介な友達”みたいな感覚なんですよ。息子も、俺に対して「厄介なやつだ」って思っていると思いますけど。

新聞で連載することのおもしろさ

愛可氏

ーー愛可さんは、『おにたろかっぱ』を読んでどのように感じられましたか?

愛可:夫は、多くを私に話さない人なので、家族だけどいち読者として「こういう目線なんだな」と思いながら読みました。意外なこともあったし。だけど、常に温かい目線だったので安心しました。誰に対しても視線が温かいというのは、夫のいいところだと思うから。

戌井:ありがとう。

愛可:母と父なので当然子供に対する視点も違って。私はSNSだったり友達だったりから、いろいろな情報を手に入れてしまうけど、夫はたぶんそういうものがないから自分の視点だけで完結していて。そういうところもいいなと思いました。

ーー「視線が温かい」というお話がありましたが、戌井さんが本書を執筆するうえで、意識していたことはありますか?

戌井:あったはずなんですけど……忘れちゃったな。でもあまりカッコつけないようにということは考えていたかも。

愛可:「良く見せない」っていうことね。

戌井:そうそう。そんなのは、書いてもバレちゃうから。あと、イラストを担当してくれた多田玲子さんに渡す締切には間に合うように書いてました。振り返ると、多田さんとのやりとりはすごく面白かったですね。

 昔、多田さんと「ただいま おかえりなさい」という本を一緒に作ったことがあるんです。俺がまだ小説を書いていない頃、多田さんが「戌井さんは本を出さなきゃダメだよ」と言ってくれて。「私がイラストを描くから、キャッチボールして作っていこう」って。そこから半年くらいやり取りを続けて、出来上がったものを本にして、舞台公演で売っていた。

 この連載をしながら、そのときのやりとりを思い出しました。あの頃、「またこういうやりとりをしたいな」と思っていたので、それが叶ってうれしかった。多田さんは大変そうだったけど(笑)。

愛可:多田さんとはNHK「みんなのうた」の「うんだらか うだすぽん」でも一緒にやっていたよね。

戌井:そうそう。ハナレグミの永積(崇)くんが声をかけてくれて、「みんなのうた」で作詞をしたんですが、そのときにイラストを描いてくれたのが多田さんで。それは永積くんが「三人で一緒にやろう」と声をかけてくれた企画だったんですが、そのときに、おにとかっぱが出てきていたんですよ。

ーー「おにたろかっぱ」に出てくるおにとかっぱですか?

戌井:そう。だからおにとかっぱが出てくるなら、多田さんがいないと始まらないなっていうことで、連載でも多田さんにお願いすることになったという流れです。

ーー戌井さんと多田さんがお互いに積み重ねてきたからこそ、またここで形になったわけですね。しかも新聞の連載という形で叶うなんて。

戌井:本当にねぇ。ちょうど、僕らが連載しているときに多田さんのお母さんが同じ新聞に載っていたこともあったりして。新聞は毎日いろんなことがあるのも面白かったですね。広島を旅しているくだりで、原爆ドームのイラストが載った日に、被団協がノーベル平和賞を受賞した記事が同じ面に出ていたのもすごかった。

愛可:見事にシンクロしてたよね。

戌井:そういう、新聞ならではの楽しみもありましたね。

愛可:そうだね。新聞を読むのが毎日楽しかったよね。

戌井:うん。「新聞を読む時間っていいな」って思った。

愛可:自分が子供の頃は新聞の漫画だけ読んだり、広告だけ読んだりしていた。なんかそんなことも思い出したりして。

芝居で訪れた街を旅の舞台に

ーー「おにたろかっぱ」のなかで、お二人が特に好きな場面や展開を教えてください。

愛可:タロが石を海に運んで「カンキョー」って言うシーンは好きです。実際、海のそばに住んでいるので、息子に「海辺にゴミが落ちていたら拾って帰ろうね」ということは小さい頃から教えていて。うちの子だけじゃなくてあの辺りに住んでいることはみんなそういう習慣がついていて、ゴミ拾いをするんですよ。それが書かれているのは良いなと思いました。

戌井:僕が気に入っているのは、横須賀港からフェリーに乗るところ。実際には息子と乗ったことはないんですが、「乗りたいな」という想像で書いて楽しかったです。あと、息子は映画『ブルース・ブラザース』が好きなので、それを本に残せたのはよかったなと思います。息子が20歳くらいになって、「これが親父が書いた本か」って思いながら読んだときに、そういう思い出が残っていたら良いのかなって思って。

ーーちなみにタロは落語もお好きですが、実際には?

戌井:あそこまでは聞いていないですけど、車で流れていると「これ落語だね」って言います。ただ聞いているのは志ん朝じゃなくて、志ん生です(笑)。

愛可:でも実際、言葉を話すようになったのは早かったよね。

戌井:早かった。タロを書きながら「3歳にしてはしゃべりすぎかな」と思ったんですけど、実際うちの息子はこれくらい話していたなと思って。

ーーそういうところもちゃんとパッケージされたんですね。

戌井:はい。旅のシーンはほぼ創作ですけど、旅した場所は、実際に自分が芝居で訪れた街だったりして。そういう思い出を思い出しながら書けたのもよかったですね。

ーーでは、書いていて難しかったことはありますか?

戌井:母ちゃんの描写。最初、古いちゃぶ台を買ったくだりで文句を言うシーンを書いたら、妻に「ここまで嫌味言わないよ」って言われて。

愛可:そしたら、そのあと全然出てこなくなって(笑)。

戌井:出していろいろ言われるなら、あんまり出さない方がいいのかなって思ったから(笑)。父ちゃんと母ちゃんの断絶を生む話になりそうだったのですが、結局はハートフルな話になってよかったです。

愛可:最初、母ちゃんか父ちゃんが死んじゃう話にするかもしれなかったんだよね? それを聞いて「こんなにほのぼのしているのに?」と思いました。

戌井:そうそう。読者の方からお手紙をもらったんですよ。おばあちゃんが「孫を思い出しながら、楽しく読んでいます」って。そういう反響もいただいて「本当に父ちゃんか母ちゃんを殺していいんだろうか?」と思うようになって。正直、どちらかが死んでしまう展開は安易じゃないですか。話に終わりもつけられるし。だけど、そうじゃないほうがいいのかもしれないと思って変えました。

ーーそうやって書きながら展開が変わっていくのも連載ならではですよね。戌井さんが連載を執筆する姿を、愛可さんはどうご覧になっていましたか?

戌井:大して見てないよね(笑)。

愛可:「やりたまえ」みたいな感じで(笑)。でも「頑張っているな」と思っていたし、「一日でも長く連載が続くといいな」と思っていました。

戌井:金銭的な意味でね(笑)。

愛可:当時は“連載バブル”だったから(笑)。

戌井:でも書いているだけで生きられるって幸せな状況ですよね。作家として。

小説をもっと書きたくなった

ーー「おにたろかっぱ」は、それまでの戌井さんの作風とは異なりますが、そのあたりはご自身ではどのように感じていますか?

戌井:「こういうものも書けますよ」っていう気持ちはありましたね。今まではもうちょっと尖っているというか、文学ぶったものを書いていたけど、お話として楽しんでもらえるものを書きたいなということは考えていたかな。

ーー先ほどの読者からのお手紙もそうですが、作風も違うし、新聞連載ということもあって、届く層も違ったのではないでしょうか?

戌井:そうですね。

愛可:高齢パパ・ママにも共感を得られたんじゃないかな。

戌井:そうだね。最近思うんですけど、作家として安定してみたいんですよ。今までの僕は、朝起きて、ダラダラして、映画を見に行って、ジムに行って、そこから少し書いて、終わったら風呂に入って、焼き鳥食って寝るみたいな、定年退職した人みたいな生活だった。実際、映画館で定年退職した友達のお父さんに会ったこともあるし(笑)。そういう生活をずっと続けてきたから、これからはもうちょっと働いてみたいですね。

ーー作家として目指す場所も、ちょっと違うものになってきていると。

戌井:そうですね。とりあえず、今より落ちないようにしたいです。

ーー今回ご家族のこと、子育てのことを書かれましたが、この先もご家族のことを小説にしたいという気持ちはありますか?

戌井:いや、今のところその気持ちはないですね。今回そっちに振り切って書いたから、今度はあんまり人が読まないような作品を書いてみたい。

ーー愛可さんは今後の戌井さんにどういうことを期待しますか?

愛可:とにかく書いてほしいですね。結婚してしばらくは、「この人本当に執筆の仕事しているのかな」と思うくらい、新作を書いていなかったので(笑)。

戌井:歳を取ってから出会っているからね。でもこの仕事って年齢あまり関係ないじゃないですか。だからこの歳でも「まだこれからだね」って思える。だから、これから頑張ります。うん、頑張っちゃいます。

■書誌情報
『おにたろかっぱ』
著者:戌井昭人
価格:2,860円
発売日:2025年9月19日
出版社:中央公論新社

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