心の寂しさにそっと寄り添う小説ーー長月天音の新刊『おやすみ処にしさわ商店』喪失から再生を描いた理由

長野県にある古刹、善光寺。いつも観光客で溢れている門前町から路地へ入ると、静かな空気がふっと温度を変える。長月天音の新作『おやすみ処にしさわ商店』(徳間書店)は、そんな賑わいを抜けた路地に立つ小さなお店を舞台に、喪失を抱えた人々が少しずつ再生へ向かって歩き出す姿を丁寧に描く小説だ。物語には、長月氏が幼い頃から親しんだ善光寺の景色や食、旅先のノート文化、それに自身の夫を亡くした体験が静かに織り込まれている。アップルパイの香り、店主がそっと差し出す言葉、見知らぬ誰かの書き残した1ページ。登場人物たちが触れるものすべてに、読者の心に寄り添う感情と温かさが帯びている。
今回、本作の着想から創作背景、善光寺という舞台の意味、食の描写に宿る記憶、そして「おやすみ処」という店名に込めた現代社会への思いまで、じっくりと話を聞いた。

■善光寺が舞台になった理由
ーー『おやすみ処にしさわ商店』は、喪失から再生へと向かう登場人物たちが見事につながっていく連作の物語です。着想はどこから生まれたのでしょうか。
長月:最初に徳間書店さんからお話をいただき、担当編集の方と「喪失から再生する物語」という方向性が決まりました。その中で、私自身が飲食店を舞台にした物語を書く機会が多かったこともあり「食べ物を絡められるといいよね」という話になりました。
ではどんな場所で人が立ち直っていくのだろう――そう考えていくうちに、お寺や教会のような何かにすがりたい時に自然と足が向く場所が浮かんだんですね。ただ、東京などの都市だけが舞台だと、どうもしっくり来なくて。そこでふと、幼い頃からよく訪れていた善光寺の風景が浮かびました。
ーー善光寺という舞台は、長月さんにとって原風景でもあるのですね。
長月:私は新潟生まれで長野が近いこともあり、よく家族と出かけていました。私にとってはノスタルジックな場所でもあります。子どもの頃はもっと素朴な印象でしたが、大人になって訪れるとより観光地として整備されていて、外国人の方も多くとてもにぎわっている印象です。
ーー善光寺で特に印象に残った場所はありましたか。
長月:参道の賑わいを抜けて路地に入ると、静けさに満ちるのが印象的でした。古い建物が立ち並ぶ中に、人の暮らしが息づく民家も混ざっていて生活の匂いもする。今回描いた『おやすみ処にしさわ商店』は、そういった現地の雰囲気から着想を得ています。
ーー「おやすみ処にしさわ商店」はそんな静かな路地にある飲食店です。
路地の静寂は、喪失を抱えた人の心の動きに呼応していると感じました。参道は家族連れやカップルであふれていて、そこで感じる一人の寂しさは、より心に悲しみを与えるものです。その変化と対比、喪失と再生をこの物語では描いています。
■「おやすみ処にしさわ商店」の店名の由来
ーー舞台の中心となるのが「おやすみ処にしさわ商店」です。店名はどのように決まったのですか。
長月:本作では“立ち寄る側の気持ち”に寄り添う名前がいいなと感じました。「おやすみ処」という言葉には、単に休憩する以上に“心の置き場所になる”ような柔らかい響きがあると思います。
「にしさわ商店」と平仮名にして濁音をつけなかったのも、親しみやすさからです。後から知ったのですが、長野には「西澤」姓が多いそうです。こんな偶然があるんだと驚きました(笑)。実際に善光寺の近くには、『西澤書店』さんという素敵な本屋さんもあるんです。
ーー人の心を癒す空気感を生み出すうえで、意識したことはありますか。
長月:善光寺には、みんなを受け入れてくれるような優しい雰囲気があるんですね。だから「にしさわ商店」でも特別なことをするお店ではないけれど、みんなが気軽に集まれるお店の雰囲気を醸し出すようにしました。暖簾の色をえんじ色にするなど、初めてでも入りやすい温かさを大切にしています。私自身、入りづらいお店よりも気軽に足を運べるようなお店が好きなんです。「にしさわ商店」では入口から店内のテーブルが見えるようにしたのもそのためです。迷い込んだ人が自然と足を踏み入れられる場所にしたかったんです。
■食を描く際のポイント

ーー長月さんの小説にはこれまでも食べ物が多く描かれています。今回はアップルパイが頻繁に登場しますね。
長月:長野といえばリンゴのイメージがどなたにもありますし、アップルパイは普遍的なものなので、どうやって個性を出すか悩みました。まず「おいしそう」「食べたい」と思っていただけるように、大ぶりのパイにりんごをぎゅっと詰めて、シナモンの香りがふわっと広がるようにしています。読者の方の鼻先に香りが立つような表現を工夫しました。
ーーそしてもうひとつ、長野といえばおやきです。おやきを食べて死に別れた妻のことを想い出す描写が非常に印象的です。
長月:私の祖母は北信州の出身で、子どもの頃からおやきに慣れ親しんでいました。祖母が買ってくれる五種類入りのおやきのワクワク感が忘れられなくて。味が記憶を呼び起こす瞬間って誰にでもありますよね。“味が心の扉を開く”ような瞬間を丁寧に描きたかったんです。
今回執筆の際におやきを調べたのですが、昔より種類が驚くほど増えていて。鹿肉やチーズ、カレー味までありました。地域の食文化が観光とともに進化しているのを感じたのは新鮮でした。
ーー長月さんの小説では食の描き方がとても魅力的で、いつも「美味しそう」と思って読んでいます。食を描く際のポイントがあれば教えてください。
長月:意識しているのは、読者の方に「美味しそうと思ってもらえるかどうか」です。見た目、香り、食感など、できる限り細かく描写するようにも心がけていて、読者の方に「どうぞ」と料理を差し出すような気持ちを忘れずに描いています。
私は飲食店で働いていた経験が長く、厨房での仕込みや盛り付け、料理が提供される瞬間の空気など、飲食店の裏側をたくさん見てきました。本社勤務の時には、メニューの開発や 制作に関わって、“いかに美味しそうに見せるか”という表現をたくさん学びました。たとえば写真撮影の際、「この角度から撮ってください」とか、「ソースはもう少し多めに」など、カメラマンさんの指示を横で聞きながら、料理の見せ方を日常的に目にして表現を学んでいました。その経験はこれまでの小説にも活きているのだと思います。読者の方が美味しそうと感じてくだされば、本当に嬉しいですね。
■「旅のノート」への思い
ーー「にしさわ商店」では、訪れた人が思い思いのメッセージを綴る「旅のノート」が、重要なモチーフとなっています。
長月:私の子どもの頃には、旅のノートが飲食店や宿泊先に置いてあって、それを読むのが大好きでした。たくさん書いている人や一言だけの人、絵だけの人とかいろんなバリエーションがあって読んでいて飽きないんです。同じ場所に訪れている見知らぬ人の文章でも、その人の思いや気持ちに共感することがありました。誰もがスマホを持ってSNSに投稿する現代を生きる若い人たちは、旅のノートの存在を知らないかもしれない。だからこそ、全く知らない人であったとしても“言葉がそっと背中を押す”ときがあることを物語に取り入れたかったんです。
ーー物語ではスマホがほとんど登場しませんね。
長月:スマホがあまり登場しないのは意図していたわけではないのです。でも、スマホが必需品の時代だからこそ、時にはデジタルから距離を置くことで心が軽くなっていくという感覚を描きたかったのかもしれません。
ーー登場人物には共感や共鳴できる普遍的なキャラクターが多いです。
長月:本作ではまず「何を失う物語にするか」を考えました。もっとも大きな喪失は大切な人の死です。でも、ペットとの別れや友人と会えなくなったり、大事にしていたモノの喪失は、とてもつらいものですよね。神社仏閣は、そういった喪失や再生への願いや祈りと結びつきやすい場所なので、登場人物と善光寺という物語が自然につながっていったんです。
■喪失から再生に必要なこと
ーー東京と善光寺には距離があるように、本作では、旅や自宅との距離が再生のきっかけとして描かれているように感じました。
長月:喪失の渦中にいる人は、場所を変えたり移動することすら難しい時があります。でもいつもと違う一歩を踏み出すことで視界が開ける瞬間がありますよね。善光寺という場所は東京からの距離も程よく、非日常と日常のあいだに身を置ける。旅というのは、誰かとの出会いや些細な会話、いつもと違う景色や食など、再生のきっかけを与えてくれるものだと思います。
ーー作品全体を通して、孤独・孤立・寂しさからの再生が通底していると感じました。背景にはご自身の経験も大きく関わっているのでしょうか。
長月:夫を亡くした時、にぎわっている場所ほど、孤立しているような経験をしました。家族連れや夫婦が楽しそうに歩く姿を見ると、自分だけが取り残されているように感じて寂しさが募る瞬間があったんです。でも、「おやすみ処」のように静かでやわらかい場所に身を置けば、ほんの少しずつ孤独から再生へとつながっていくことがある。そういった気持ちの変化を丁寧に描くことは意識しました。
ーーSNSで誰とでも繋がれる時代だからこそ、心の寂しさに寄り添う小説だと思いました。現代社会は情報が溢れていて、常に頭をフル回転しているような状況ですよね。
長月:今の社会では、タイパ・コスパといった効率性が重視されて、忙しく過ごしている方が多いと思います。この作品を読んでいる間だけでも、デジタルから少し離れてホッとしていただけたら嬉しいです。「おやすみ処」という言葉には、読者の皆さん自身にそっと休んでほしいという願いを込めています。






















