俳人・小津夜景、なぜ漢詩が主題のエッセイを執筆?「親しみやすくて軽やかさがあることを前面に出したかった」
南仏ニース在住の俳人・小津夜景氏が漢詩について綴ったエッセイ集『いつかたこぶねになる日』。2020年に素粒社から単行本が刊行されたが、今年の10月に新潮文庫として文庫化された。同書に収録されたエッセイでは、異国での日々の暮らしの様子を交えながら、杜甫、白居易、夏目漱石、徐志摩といった中国・日本の漢詩を自身で翻訳・紹介している。そうしたユニークなスタイルの漢詩エッセイを執筆した背景を小津氏にうかがった。(篠原諄也)
軽やかで親しみやすい漢詩エッセイを
ーー本書を執筆した経緯を教えてください。
小津:前作『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(2018年)で漢詩についてのエッセイを書きました。担当編集者は若い頃から詩歌が好きだったそうですが、唯一漢詩に接点がなかったからと、依頼されたんです。その方が独立して素粒社という出版社を始めたとのことで、「創業第一作を書いてもらえませんか」と言われました。今回は「漢詩がわかってきたような気がするから、もう一冊書いてほしい」とのことでした。
ーー漢詩の入門書や解説書ではなく、「漢詩の手帖」(単行本の副題)とされたのはなぜでしょう。
小津:詩歌のなかでも漢詩は入門書が多いジャンルなんです。ビジネス書や人生訓などの括りの本が多いからなんですけれど。で、たいていの本が生真面目というか、堅苦しい。私はむしろ入門書で取りこぼされている、気安さ、軽やかさ、親しみやすさみたいなものを前面に出そうと思いました。あくまでも私のノートであるかのように、本をデザインすることにしました。
ーー「おわりに」には「ただ折々になんとなく思い出した詩がそのままならんでいます」とありました。このようにフリースタイルで書いたのはなぜでしょうか。
小津:フリースタイルでないと、どうしても李白は入れないといけないなどと、バランスを考えてしまう。あとは日本の漢詩をたくさん入れたかったこともありました。その必然性について読者に疑問に思われないようにするには、私が好きでその時々に思い出した作品を入れたという体裁にしたほうが、納得して読んでもらえるかなと。今読み返しても、自由に書いていますね。
ーー表題エッセイ「いつかたこぶねになる日」では、タコについて書いていますね。南仏の海の近くにお住まいとのことですが、タコは身近な生き物ですか。
小津:いえ、普段海沿いを歩いていてタコを見るということはないですね。でも私はタコとかクラゲとか、くねくねした海の生き物がすごく好きなんです。それを見ていると、自分と違う世界を生きていることを実感します。それに哺乳類と違って、何を考えてるのか全然想像できません。特にたこぶねは、宮殿のようなかっこいい家に住んでいる。
ーーたこぶねという種類のたこは、貝殻を住まいにしているそうでした。母だこが貝殻に子どもを産卵し、その後は貝殻を捨てて泳ぎ去っていく。エッセイではそれが人間が故郷から旅立つイメージと重ね合わされています。小津さんにとって出身地の北海道や日本、つまり故郷とはどういうものでしょう。
小津:すごく大きな質問ですね。私にとっての故郷というものは、あまりしっかりしたイメージがないんです。北海道出身であるものの、父が転勤族だったので、子どもの頃からどこかに定住した記憶はありませんでした。土地を漂っていたような感じでした。
日本という国に関しては、フランスでものを書くようになってから、自分は日本人、日本語圏の人間なんだと思うようになりました。私にとって故郷とは、やっぱり言語、日本語であるという感じがしています。土地というよりも言葉ですね。
ーー同じエッセイでは原采蘋(はら・さいひん)の漢詩を取り上げていましたね。
小津:原采蘋は江戸時代に男装・帯刀をして日本各地を旅していました。とにかくかっこよくて、推しなんです。だから微力ながらプロモーションできたらと思って。ぜひ有名になってほしいですね。なんか軽薄な理由なんですけれど。
原采蘋の作品は、故郷の九州で修行を終えた後に、旅立つ心境を書いた漢詩を取り上げました。江戸時代は漢詩が流行ったんですが、ちょっと通人のようなおしゃれ系の詩がすごく多いんです。でも原采蘋の場合は、中国の唐の時代の詩のように、雄大で堂々としていて、そんなところもすごく好きです。