「神話は決して過去のものではない」比較神話学者・松村一男に訊く人類が「世界のはじまり」を語り続ける理由

比較神話学者・松村一男神話が生まれた理由

 世界はいかに生まれたのか。生命はどこから来て、どこへ向かうのか。そして、人間はなぜ人間として存在しているのか。こうした根源的な問いに、人類は太古の昔から「神話」というかたちで向き合ってきた。

 『世界のはじまりの神話学』(KADOKAWA)は、日本、ギリシア、北欧、インド、エジプト、中国、ロシア、アメリカ、メキシコなど、世界各地に伝わる創世神話を読み比べながら、人類が共有してきた想像力の構造と、その土地ごとの歴史や文化が刻み込まれた差異を浮かび上がらせる一冊だ。

 著者は、比較神話学の第一人者である松村一男氏。世界の神話を「世界のはじまり」「人間のはじまり」「文化のはじまり」という視点から整理し、遠く離れた地域に共通するモチーフや、なぜ似通った神話が生まれたのかという問いに、慎重かつ誠実に向き合っていく。神話にまつわる基礎知識を押さえつつ、専門的な研究成果を一般読者にも開かれた言葉で伝えている点も本書の大きな魅力だ。

 本インタビューでは、比較神話学とは何か、宗教との違い、神話が権力や思想と結びつく危うさ、さらには現代社会において神話がどのように生き続けているのかまで、松村氏が縦横無尽に語る。神話は過去の物語ではない。人が生きるかぎり、問い続けられる「世界の原点」なのだ。

■「世界のはじまり」を読み解くために、神話を比較する

比較神話学の第一人者であり『世界のはじまりの神話学』(KADOKAWA)の著者である松村一男氏

――いにしえより世界各地に存在している神話のなかで、「世界のはじまり」について語った神話を集め、比較する本書。比較神話学に興味がある人だけでなく、漠然と「神話」に惹かれる人にも読みやすい一冊でした。

松村:日本における、イザナミとイザナギの国生みのように、世界のあちこちに創世の神話が存在していますよね。それはきっと、そもそも自分たちがどのようにしてこの世界に存在しているのか、いまひとつ実感としてつかめないから。それを、神話を一つの手がかりとして、読み解いていこうと思いました。そうすると、同じ創世の神話でも「世界のはじまり」「人間のはじまり」「文化のはじまり」を語るものの三種に大別できる。そのうえで、各地の神話を比較して分析することで浮かび上がってくるものを探るのが、本書の目的です。

――読んでいて、こんなにも共通項があるのか、と驚きました。同時に、差異がある部分にその土地の歴史や文化が浮かび上がってきて、興味深かったです。

松村:おもしろいですよね。たとえば、インド神話では世界は原初の巨人プルシャの身体から創られたとされています。プルシャは千の頭と目と足をもち、内臓を含めたその一部から天と地、太陽と月、そして人々という世界を構成するすべてが生まれたのだと。北欧にも、原人ユミルという巨人から世界は創られたという神話が残っています。いわゆる世界巨人型の神話は、数は多くはないけれど、あちこちで伝わっています。でもインドだけは、生まれる人たちに最初から階級が備わっていた、というのが興味深い。中国や北欧の神話にそうしたものは見られません。

■神話は「危うい」からこそ、慎重に読み解かなければならない

――インドは、カースト制度が根強いことも関係しているのでしょうか。

松村:そうだと思います。おそらく身分制度が生まれたのち、ヒエラルキーのトップにあたるバラモン(祭司階級)の誰かが、既存の神話に付け加えたのでしょう。自分たちの特権を永続的に正当化するためにね。神話というのは、注意して読み解かないと、政治的・宗教的な思惑が入り込んでいて、原初のものが作り変えられてしまっていることがある。注意深くその痕跡を見いだすのも比較神話学のおもしろさですが、そこを深く掘るとどんどん本が厚くなるので、今回はやめておきました(笑)。

――そもそも比較神話学というのは、比較宗教学とどう違うのでしょう?

松村:神話学のはじまりは、マックス・ミュラーという学者がインド最古の神話集である『リグ・ヴェーダ』を英訳・編纂を行ったこと(※1849年より刊行された)にあります。『リグ・ヴェーダ』には複数の神々が存在しているように見えるけれど、実は真実の神というのは唯一なのだと発見した結果、キリスト教やユダヤ教、イスラム教が生まれたのだと、神話から宗教に移行した流れについて彼は語っています。つまり、マックス・ミュラーは比較神話学の祖であると同時に比較宗教学の祖ともなった。でも、その両方をひとりの人間が追究していくことは、物理的に不可能です。では、どちらを選ぶか。どちらのほうがより資金力を得られるかというと、後者になる。一神教や仏教には大勢の信者がいて、専門の大学と講座がありますから、19世紀ごろから今に至るまでずっと、安定して研究者が存在しています。

――宗教は権力とも結びつきますし、資金源には事欠かなさそうな気がしますね。

松村:そうですね。それに対して神話は、おもしろいと思ってくれる人がいる一方で、専門的に研究して何の意味があるのだ、とも思われやすい。まあ、昨今ではそもそも人文系の学問自体、「生きていくうえで何の役に立つのだ」と思われがちですが、いにしえの時代から世界各地に存在しているということは、言い換えれば、人間が生きていくうえで必要だったから、ということなのです。それは物語であって、歴史ではない。けれど、無意識にでも心の糧として抱かざるを得ない何かがある。なぜなら、文字のない時代に生まれた物語が後世まで伝わるためには、集団で共有し、口伝されていかなくてはいけないはずです。誰かが戯れに作った物語だったとしても、その集団の人々に受け入れられ、継承していかなくてはならないと思わせるものだったから、今、私たちは知ることができているのです。

――宗教と不可分の存在ではあるけれど、少なくとも、誰かの思惑で生まれたわけではない、という点ではまるで違いますね。

松村 ただ、先ほどインドの例を挙げたように、権力に介入されている場合もあるから、微妙なところですね。実を言うと、「神話とは何か」と聞かれても、「ある人たちが神聖だと思っている話」と大雑把に説明するしかないのです。本当のことなのか、類する出来事があったのか、今となっては誰も知りようのないけど、その話に神聖性を感じて大事にしている人たちがいるのであれば、そのことを認めて尊重しなくてはならない。では、その人たちはどこに神聖性を感じているのだろう、それは果たしてその土地特有のものなのか、何かつながりはないだろうかと、少数の研究者が手探りで進めてきたのが比較神話学ですね。

――そもそも、日本では神話学というカテゴリー自体、あまり知られていないじゃないですか。海外では mythology(神話学)を専門的に学べる大学もありますが、日本だと、たとえば国文学科で『古事記』を研究したり、宗教学や文化人類学の一部で取り上げたりすることが多くて、専門的に、しかも各地を比較して学べるところはあまりないという印象です。

松村 世界の神話を比較してみよう、なんて考える私のような人間は、日本に限らず、あまりいません(笑)。というのも、やはり研究者として生計を立てるには、何か一つの分野で突出した専門性を身につけなくてはいけないわけです。比較するための広さを取ると、どうしても深度は浅くなる。だけど、どうしたって、比較することによってしか見えないものがあると、私は思ったんですよね。たとえば、本書にも書いたように、大洪水で世界が滅んでから再生する「洪水神話」というのも世界各地にありますが、よくよく調べていくと、イザナギ・イザナミの神話の根底にも、洪水神話の断片が見えてくる。

――〈イザナギ・イザナミによる国生みの神話は、かつての洪水神話の生き残りの兄妹によって世界が再創造される場面からはじまっていた可能性も十分考えられる〉という記述には、鳥肌が立ちました。おっしゃるように、本当かどうかはわからない。でも、その可能性にこそ研究の余地はあるのだと。

松村 ありがとうございます。でもそれは、たぶん記紀神話だけを研究していたら見えてこない視点ですよね。もちろん、記紀神話を専門的に深く研究してきた方々の功績に支えられて、私の研究もあるわけで、その専門性も必要不可欠だと思うのですが、私はどうしても比較がしたかったのです。

――そうした共通項から再解釈する場合も、松村さんはかなり慎重なスタンスを取られていますよね。似ているからといって、安易に点と点を結ぼうとはせず、基本的には、あくまで淡々と比較分析をしている。だからこそ見えてくるものがあるのだと思いました。

松村 宗教と不可分である、という話に通じますが、神話にイデオロギー性を与えることの危険性は、とくに歴史学者の人たちが強く訴えています。天皇を現人神とする日本の戦前教育は、まさに神話による支配とも言えますから。日本で神話学が浸透しなかったのは、戦前に戻ってはならないという強い警戒心も影響していると思います。ただ、特定の文化や時代に左右されない、根源的な神話というもののおもしろさを追究することはできるはずだ、と私は思うのです。それで、今の若い人たちにも興味を持っていただくために本書を書いたのですが……淡々としているのは、単に私が躍動的な文章を書けないというだけですね(笑)。

――書かないようにしている、のではなく?

松村 たしかに、「神話というのは、魂の物語なのです」みたいなきれいごとは言わないようにしていますけど(笑)。シンプルに、あまりそういう文章が上手じゃないのです。だから、私にできるのは、できるだけわかりやすく、体系的に伝えることだな、と思っているのですが……。ただ、たしかに、点と点を安易に結ぶのはとても危険なことですよね。先ほども言ったように、神話というのは「本当かどうかわからないけど、その人たちが神聖だと感じているもの」。つまり、その人たちがそれを正しいと信じているならば、大多数にとって歪んだ思想だと感じるものであっても、意味がある。神話というのは、内容ではなく「かたち」なので、誰かが信じて伝承してしまえば神話になってしまうのです。

■陰謀論もまた「現代の神話」

――なんだか、陰謀論にも似ている気がしますね。

松村 まさに、陰謀論は現代の神話だなと私は思います。でも、それを信じている人たちに「おかしい」「間違っている」と言っても意味がないので、「なぜその人たちはそこに神聖性を感じているのか」を考えることが大事という点においても、神話に通じるところがありますね。「神話は魂の物語」みたいにきれいなまとめ方をしないのも、神話は危ないとわかっているからです。あくまで、誰かにとって魂を支える物語であり、誰かにとって神聖な物語であるにすぎない。いにしえのフィクションだと軽んじて切り捨てるのも、美化して尊びすぎるのも、どちらも違うと思うからこそ、学ぶことはもちろん、伝えるのが難しい学問だなと思います。

――逆に、これだけ世界各地に似た神話が存在していることを知ると、ひとつの神話だけを特別視するのではない客観性が身につくのかなと思いました。そういう意味でも、比較って大事なのだなあと。

松村 たとえば、日本の戦前教育は、日本を特別な国だと信じるために神話を利用したところがありますからね。その気持ちはきっと、今を生きる人たちの心のなかにも伏流水のように存在している。その気持ち自体はおかしなことではないですが、俯瞰で比較することで、客観的になれることもあるかなと思います。そもそも、この世が楽園のような場所だったならば、神話は生まれていないと思うんですよ。むしろ、生きるということは楽しいことばかりではないし、いつかは老いて死ななくてはならないということを、誰もが自覚しているから、神話に救いを求めた。その思いはおそらく、どんな国に生まれていようと変わらない、世界全体に共通していることなのではないかと、この本を書いたことで私も気づくことができました。

――あとがきで、「次は不死を手がかりに、そのことについても考えてみなければ」とありました。「世界のおわりの神話学」がいつか刊行されるかもしれない、と思うとわくわくします。

松村 そうですね。いずれ……とは思いますが、ずいぶん先になるんじゃないでしょうか(笑)。今は、高木敏雄という明治の神話学者を発掘・再評価する本を書いています。マックス・ミュラーと同時代を生きた人なのですが、日本は西洋を手本にした近代化が始まったばかりで、比較神話学なんて考える余裕もない時代だったはずなのに、こんな水準まで到達していたのかと、彼の著書を読むと驚かされるんです。ただ、いかんせん明治の人なので、文体が難解。ほとんどの人は読むことができないから、全部現代語に訳してしまおうと、今は奮闘しているところです。

――それも、めちゃくちゃ楽しみです……!

松村 どこまで噛み砕くべきなのか、というのが思案のしどころですが、やはり、より広く読まれてほしいと思うので、尽力するつもりです。日本人は、一神教に縛られない文化に育っているためか、神話をベースに物語を生み出すことに非常に長けているので、神話に興味を持ってくださる方は少なくないはずなんですよ。

――お話のあった原人ユミルをはじめとする北欧神話も、『進撃の巨人』の世界観をかたちづくる一つになっていますしね。

松村 研究者としては、神話をベースに新たな物語が生み出されることで、神話が間違ったかたちで伝わってしまう懸念もあるのですが、それは保守的な老人が「若いもんはなっとらん!」とぶつくさ言うようなものでね(笑)。形は変わっても、絶対にこれからの時代も生き続けるだろう何かがある、と思ってもいるので、若い方々のクリエイティブ性には期待したいなと思っています。それがひいては、神話学のためにもなると。

――さまざまな作品をきっかけに、正しく神話を学びたいと思う人は、今後、もっと増える気がします。

松村 そもそも神話というのは言葉だけで存在するものではなく、絵を描くこと、歌うこと、踊ること、古来伝わってきた芸能はすべて、同じことを伝えようとしてきた。私たちは、生きるために必要なものを、さまざまなかたちで表現してきたのです。はじめに神があったのではなく、あとから神ができたのです。世界も人間も、ともにはじまりとおわりをもつ存在であるならば、「動いている」「生きている」という共通認識のうえに、世界のすべての神話は成り立っている。どちらも本書に書いたことですが、新しい未来を生きていくうえで、どんな神話が必要とされていくのかも、今後注目していきたいと思います。

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