ダースレイダー連載小説『Mic Got Life~ライム&ライフ~』第7回「remix」
時間が止まっているように感じた。
目の前ではカンダたちが花火遊びをしているのだが、それもスローモーションのように映る。はしゃぎ声もフィルターを通してるかのようにモゴモゴしか聴こえない。世界全体がぼやけていく中で意識は一点にフォーカスされていくようだった。
ぎゅ〜んと鋭く、明確に、明晰に、意識は自分の隣に集まる。僕の隣、わずか15センチほどの距離にネスリンが座っている。ドクドクと言う音が聴こえる。ネスリンの音? いや、自分の鼓動が体内から飛び出し、再び耳に戻ってきている。なんてこった、完全にぶっ飛んでる。
「あいつらバカだねえ。おーい、はしゃぎすぎだぞ〜!」
周りの音はモゴモゴしていたのにネスリンの声だけは完全にクリアカットに聴こえた。透き通るようでいて力強い、ピンとしなるような声。応答しなければ、と思ったが自分の身体の反応が遅い。口を開けようとしたが声が喉を通って出ていかない。なんとか引っ込もうとする声を頑張って引っ張り出して、振り絞る。
「おばあちゃん、イラン人なんだ。どおりで……」
「どおりで?」
「あ、いや、その。鼻が高いなって」
「ええ?なにそれ?ふふ」
どうやら口を塞いでいた結界は崩れたようだ。ネスリンに続いて自然に笑い声が自分の中から出ていた。フォーカス一点集中状態は少し緩和されて、周りの世界だけポカポカ緩やかになっていくのを感じた。
「クウは勉強頑張ってる?」
「んん、まあ嫌ではないよ。適当にやってるだけだけど。」
「そっか。わたし、がんばなきゃな〜。とにかく大学に行かないと始まんないんだよ」
「そうなの?」
「家が色々あってさ。現役合格必須! なのです」
その時、ネスリンの表情にグッと力が入ったのを感じた。
「俺は遊んじゃってるな。そろそろ本腰入れなきゃ、ね」
「遊んでるの〜? クウ、彼女とかいるんだ。」
その瞬間、シュホの顔が浮かんだ。夏休みの終わりにまた映画でも行こうと話してはいた。でも付き合ってるわけじゃない「いや、別にいないけど……」「お!じゃあ大学行ったらよりどりみどりだな。頑張れ受験生!」「あ、うん……そうだね。」
これはどういう展開なのだろう? 緩んできた空気にまたドキドキが混ざってくる。時間がゆっくりから今度は圧迫してくるほどのスピードに変わる。次に、次に、何か言わなければ。時間が押してくる。ほら、間が空いてるぞ。どうするんだ、クウ? どれくらい時間が経ってるのか? 体感だとかなり空いてしまった。
「そうだ。クウ、いつも音楽の話してるよね。ちょっと待ってね。」
そう言うとネスリンは肩にかけていた大きなバッグの口を開いた。話題は変わった。空気も変わった。圧迫していた時間は波のように去っていき、余韻だけが残る。
「ほら、これ! ジャジャーン!」
ネスリンは一枚のレコードを取り出した。
「出たばっかだよって私も友達から教えてもらったんだけどね。」
レコードを手に取ってみた。The Pharcydeというグループ名。曲名はDrop。4人組らしいが、全く知らない人たちだ。
「知らないなあ」
「すごいかっこいいよ! クウ、レコード聴けるんなら貸してあげるよ」 「え?あ、兄貴の部屋にレコードプレイヤーあるから聴けるっぽいけど。いいの?」
「お、じゃあ聴いてみてよ。感想よろしくね!」
ネスリンはこっちを向きながらニコッと笑った。大きな瞳とシュッと伸びた鼻、小さな唇。顔をフワッと覆う少しパーマがかかった髪。夜の公園の幻想的な灯に照らされていよいよ美しく感じられた。
「私ね、レコード好きなんだ。なんかさ、身を削りながら音を出してるって感じじゃん。実際は別にそんなに減っていかないんだろうけど。なんか、そういう音って儚いし、貴重だよね。」
にこりと笑いながらも少し寂しそうだった。そして僕にはそんな発想は全くなかった。CDやカセットテープで音楽を聴いていたが、その記録媒体に意識がいくこともこれまではなかった。ただ手の中にあるレコードという存在を改めて考えると急にここに音楽が入ってることの不思議さに気づいた。この円盤に音が入ってるのだ。
「おーい、最後にでかいの一発打ち上げるぞ!」
カンダたちの声が飛び込んできた。
「今行くよ!」
ネスリンがパッと立ち上がって駆けていく。僕も慌てて立ち上がって後を追った。さっきまで緩やかでポカポカして幻想的だった世界はいつの間にかありふれた日常の夜の公園の景色に戻っていた。火がついたロケット花火がヒューンという音を立てて飛んでいく。
「よし! これが俺たちの夏だ! イエ〜!」
うおおおお! その場でみんなが雄叫びを上げた。そして、急に我に帰ったように荷物をまとめて帰り支度が始まった。ネスリンは女の子集団と一緒に帰って行った。じゃ〜ね〜と全体に対して手を振っている。でもこっちはネスリンに対して手を振り返した。カンダがガバッと肩を組んできた。
「おい、ネスリンとなに話してたんだよ!」
「え? いや、大したこと話してないよ」
「あいつ、可愛いよな! うちらの先輩の彼女って噂だから気をつけろよ〜」
「なにに気をつけるんだよ!」
気をつけよう。でも、それよりレコードを借りたということは返す必要もある。また会話出来るな、と呑気に考えた。
帰宅してリクの部屋に入った。まだ片付けられておらず、アメリカに持っていかなかった服やら本やらがそのままだ。棚に一台のレコードプレイヤーが置いてある。元々両親がシャンソンとかを聴いていたものを勝手に部屋に持ち込んでいたのだ。レコードを乗せて針を合わせる。再生ボタンを押すとレコードが回り始め、スピーカーから音が出てきた。爽やかなジャーンという音と異様にでかいドラム音がズンズンと飛び出てくるとDropという声が後ろで連打された。あれ? この声、ビースティーボーイズかな? すると音がドラムだけになると同時に最初に喋っていた人が滑らかに歌い始める。ラップだけど、柔く流れるようだ。確かに……かっこいい! ほぼドラムだけの音の上でラップが際立つ。
へえ、なんて思ってるとそのまま2曲目がかかる。再び頭でDrop! とビースティーの声だ。あれ? と思ったら今度はなんの楽器かわからない音がグルングルン回っていく。ちょっとビートルズみたいだ。ドラムはさっきと同じく大きいがスネアドラムはかなり違った鳴り方だ。そして、また気持ち良いラップが流れる。聴いているとさっきと同じ歌詞だ。どういうことだろう? とレコードのジャケを見たら一曲目はDrop (The Beatminerz remix)とあり二曲めはDrop(Radio mix)と書いてあった。同じ曲のバージョン違いなのか。ドゥドゥドゥッドゥドゥという男性コーラスがまた心地よい。
「頑張れ受験生! で、Dropか」
兄の部屋の中で一人で口に出して、可愛いなあと思った。
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