杉江松恋の新鋭作家ハンティング 言葉が奏でる調べに酔う、若竹千佐子『かっかどるどるぅ』

若竹千佐子『かっかどるどるぅ』の言葉

 目が喜んでいる。一字一字を追いながら、この文章を読めるのが嬉しいと言っている。

 若竹千佐子『かっかどるどるぅ』(河出書房新社)を読む喜びとは、言葉が奏でる調べに酔うことに他ならない。小説の構成要素は文章であり、一つひとつの言葉に生気が満ち溢れていることがこんなに喜びにつながるのだということを改めて認識させてくれる。

 小説がどんなメロディで、どんなリズムで語られているのかを知るには、冒頭の文章を読んでみればいい。全六話は『文藝』2020年冬季号から2022年秋季号に掲載された。巻末に書き下ろしの「駆け出しの神」が加えられて一冊となった。主たる語り手が交替しながら六話は綴られていく。第一話「山鳥の尾のしだり尾の」の視点人物となるのは六十代後半の里見悦子という女性だ。こういう文章で始まる。

——あいやぁ、今、今のこと、今のこと。
 女がひとり暗い夜道を乱れてよたよた、あっちにふらふら歩いているよ。大方、途中で酒でも引っ掛けたのか。年のころなら五十はとっくで六十も過ぎて七十まではいってはいなそなこの女。ここがどこでどこを歩いているのか分かっているのか。(後略)

「女がひとり」とあるので視点は最初悦子の外にある。その視点は何なのかは不明だが、浮き上がったもう一人の自分として悦子が自身について語っているのだろうと推測する。「分かっているのか」のあとに「分かっているよ。分かっているってば」と続くのは、自分自身と対話しているのか。このあと悦子は一人で暮らす古アパートへと帰っていく。主語は「女」で悦子の行動が書かれ、「あたし」を一人称の名乗りとする台詞がそれに呼応する。行為と発語とでセッションをしているような塩梅だ。そのぶつかり合いの中で、悦子が今どのような境遇かが浮かび上がってくる。

 できれば音読してみていただきたい。自分で口に出してみると、この文章が実に心地いいリズムで綴られていることがわかるはずだ。口に出して快く、音で聴いて楽しい。口も、耳も喜んでいる。今こうやって書き写してみて、キーボードを叩く指も快感を覚えた。危ない危ない。若竹作品を紹介すると気持ちがいいものだから再現なく引用したくなるのだ。

 悦子は若い時からずっと役者をやっていて、芽が出ないままで終わった。唯一のパートナーだった富樫貞夫ともどうやら死に別れたようだ。立ち退きを要求され、電気もガスも止められたアパートで、ろうそくの火を前にして悦子は自らの来し方を語り続ける。厳かで、宗教的な儀式のようでさえある。あいやぁ、という呼びかけは巫覡による神呼び歌のようではないか。ろうそく一本で繰り広げられた「山鳥の尾のしだり尾の」は「あいやぁ、夜は更け逝く、女は眠る。静かにときは過ぎていく」という文章で終わる。

 このような具合である。一口で言ってしまえば『かっかどるどるどぅ』は家族の物語で、悦子のような孤独な生を送っている者たちが寄り集まり、一つのちゃぶ台を囲んで語らうようになる姿が描かれる。中心にいるのは片倉吉野という女性だ。彼女はあるとき「家族を作ろう」と思い立ち、すべての人を迎え入れることを決める。腹を空かしている人には握り飯を、行く当てがなくて彷徨う者には腰を下ろして休める場を与え、何者も拒まない。そうやって彼女の周囲に疑似家族が形成されていくのである。

 言ってしまえば、ごくありふれた物語だ。新人賞の下読みをしていると、一回に必ず一本は入っているような、あらすじをまとめたあとで末尾に胸暖まる人生賛歌、とでも付け足してしまいたくなるような、これまで幾人もの書き手によって生産されてきた型通りの一篇。若竹はそれを否定しないと思う。人と人とが出会って関係を作っていく物語を、プロットの奇を衒うことなく書いた、その通りと。にもかかわらず本作に読者を釘付けにするような求心力があるのは、そんなの何度も読んだからと訳知り顔で言わせないだけの迫力があるのは、ひとえに文章のゆえである。読んでいて楽しく、いつまでもその中に浸っていたくなる文章がこの作品のすべてである。逆に言えば、文章自体が生を肯定し、身体の温かみを感じさせる陽性の魅力に満ちているからこそ、『かっかどるどるどぅ』は人間賛歌の小説に成りえたのだと思う。どんな人でも授かった命は貴重なものであり、その人生は素晴らしいと作者は言う。根拠は、と問われたら、小説を読め、と言うだろう。そのとおりで、拍動をそのまま綴ったような文章は、それ自体が生の価値を示す証拠と言わざるを得ないのである。そういう小説があるということだ。文章が心の扉を開いてしまう。

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