村上春樹、新作との関連が囁かれる幻の中編「街と、その不確かな壁」とはどんな作品なのか? 文芸評論家に訊く
「春樹の一番の転機となった作品として、よく『ねじまき鳥クロニクル』が挙げられます。春樹が言うところの【「デタッチメント」から「コミットメント」へ】という変化ーーつまりそれまで内向的な作風で社会とは距離を置いていたのが、『ねじまき鳥クロニクル』では戦争という暴力を描き出そうとするなど、以前とは異なる作風になりました。その後、1997年には地下鉄サリン事件の被害者へのインタビューをまとめたノンフィクション『アンダーグラウンド』刊行するなど、さらに社会とのコミットメントを意識した作品を発表します。
そのような視点でふり返ると『街と、その不確かな壁』には退役軍人が出てくるなど、戦争や権力の影が見え隠れしていた。また、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』との結末の違いには、何かを選ぶこと、決断すること、引き受けることについて、春樹なりの逡巡が見て取れます。『ねじまき鳥クロニクル』が転機だとすれば、『街と、その不確かな壁』はその予兆だったと言えるのかもしれません」
「壁」というモチーフにもまた、春樹作品において重要な意味合いがあるという。
「春樹は2009年のエルサレム賞受賞スピーチで『もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。どれほど壁が正しく、卵が間違っていたとしても、それでもなお私は卵の側に立ちます』と話しました。この壁は、春樹の言葉でいうところのシステムであり、分断や暴力のメタファーです。新作長編の『街とその不確かな壁』がどういう作品になるのかはわかりませんが、もしも中編の『街と、その不確かな壁』をもとにした長編となるのであれば、コミットメント以降の政治的/社会的な視点を踏まえて『壁』を捉えなおした作品になるのではないかと見ています」
近年発表された『1Q84』や『騎士団長殺し』といった長編小説に対しては、批判的な意見も少なくない村上春樹。新作『街とその不確かな壁』は新たな転機となるのか。その解釈も含めて、議論を巻き起こす作品となりそうだ。