歌人・枡野浩一デビュー25周年「短歌の世界には不満だらけ。“短歌”に見えない短歌をつくるのが願望だった」

枡野浩一インタビュー

短歌は持ち運べるお守りのようなもの


――本書についての想いを聞かせてください。

枡野:帯文を小沢健二さんに書いてもらえたのも、俵万智さんとの往復書簡を載せてもらえたのも、まさかという感じで。デザインも名久井直子さんにお願いできたのもありがたく、やりたいことの第一志望がすべて叶った一冊です。名久井さんは、もともと歌人の穂村弘さんのファンとして世に出てきた人なんですよ。だから、僕の中では穂村さんのデザインをする人っていうイメージがあって。左右社さんからこの本を出せたからこそお願いできました。増刷を重ねているという結果も含めると、今までの中で一番不満の少ない著書です(笑)。

――今回の全短歌集では、時代ごと、テーマごとに歌が収録されていますが、その時々に枡野さんが考えていることが浮かんで見えるようでした。どんな時に歌が生まれてくるのでしょうか?

枡野:自分の場合は嫌なことが起ると、それが首のあたりにわだかまっていて、ある時に結晶となって一気に出てくるんですよ。推敲して直した短歌は失敗していることが多くて、生き残っている歌は頭から下まで一瞬でできたものばかりだと、三十数年つくってきてわかりました。納得のいかない短歌はいったん捨てると、後で同じ意味だけど違う言葉となって生まれ変わることもあります。僕の歌は、心に傷を受けた時のかさぶたみたいなものかもしれないですね。

――タイトルは、短歌集と知らないで手に取ったら短歌とは思わないのではないかと感じるくらい、すーっと心に入ってくる一首でした。

枡野:まさにそれを狙っていたんです! 誰もこれを短歌だと気づかず読めるように、というのが一番の狙いで。「を」や「は」など助詞を省くことが短歌では多いんですけど、それを省かないということを徹底してやりました。散文っぽい短歌ですね。

 それが自分の生命線になっていて、“短歌”に見えない短歌をつくるのが願望です。藤原龍一郎さんという歌人は、枡野のやっていることは徹底して短歌を散文にすることだと真っ先に指摘してくださって。気づく人は気づいてくれるんですけど。散文の円があって、短歌の円があるとしたら、その二つの円が交わる部分が僕の短歌なんです。

――今では枡野さんのような短歌を詠む人も増えて、ブームの先駆けともいわれるようになりました。

枡野:今はもう僕みたいな短歌も珍しくない。つくる人の数も増えたし、ツイッターなどのSNSとの相性から現代語であることは当たり前だし。現代語だけでも作風がいろいろあって、シュールなものにポエジーあふれるもの……裾野が広がったことによって選択肢も広がっています。でも、それには時間がかかりました。僕は短歌ブームの正体は出版社や書店の頑張りの結果だと思っているのですが、つくり手側のことでいうと、SNSで短歌を発表して“いいね”をもらえる仕組みになったり、SNSのおかげで短歌の仲間もできたり、SNSがあるかないかでは大違いだと思います。自由さが増えて、いろんな短歌が詠まれる時代になりましたね。

枡野が短歌ブームの一端を担っていると話す短歌集。山階基『風にあたる』(短歌研究社)は著者自身により編集・デザインされ、工藤吉生『世界で一番すばらしい俺』(短歌研究社)も本人が撮影した写真を装丁に使用。『風にあたる』は、枡野が初めて帯文を書いた歌集でもある。

――ご自身の短歌をどのような人に届けたいですか?

枡野:必要な人のもとへ届けばいいと思っています。学生時代の僕みたいにクラスに馴染めないような人が、気になる一首を知っていることで少しでも過ごしやすくなればいいのかな。僕にとって短歌は心のお守りみたいなものだと思っているんです。短歌は高尚な文学だと思っている人も多いかもしれないけれど、短歌の一番の魅力は持ち運べることです。

 小説が好きでも詩が好きでも、頭の中の記憶だけですべては持ち運べないんですよ。でも短歌はすべて諳んじることができる。そういうキャッチーさがある。今日着ているTシャツも、読んでみたら「なんか変だけど、いいこと書いてあるな」と思われるかもしれないじゃないですか。それで覚えて頭の中で持ち運べる。僕の全短歌集も全部読まなくてもいいんです。その中で、好きなものがあれば覚えていて、何かあった時に心で再生されたらいいなと思います。

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