くどうれいんが語る、俳句・短歌への目覚めとインターネット 「全員を感心させるのではなく、たった一人を打ちのめす文章を」
くどうれいんは盛岡在住の作家であり、歌人であり、俳人であり、会社員である。2018年に盛岡の書店から刊行した、俳句と食にまつわる日記のリトルプレス『わたしを空腹にしないほうがいい』(BOOKNERD)は身のうちでパチンと弾けるような文章が評判を呼び、現在は8刷というリトルプレスとしては異例の売り上げに達している。
待望のエッセイ集『うたうおばけ』(書肆侃侃房)が2020年4月29日に発売され、即重版が決定した。読者が「できすぎだろう」と思ってしまうほど面白いエピソードが記された39編は、すべてくどうの日常で実際に起きたことだという。
ズブリと感性を貫く言葉を紡ぐくどう。しびれるように良いのに、だれかに説明しようとしてもその良さをうまく言葉にできない。“おばけ”のようにつかみどころがなく得体の知れない文章を生み出すくどうが歩んできた道を、本人と共に辿ってみた。(六原ちず)
ヒエラルキー問題もあり、「アンチケータイ小説」だった中学時代
――「くどうれいん(工藤玲音)」は本名だそうですが、由来を教えていただけますか?くどう:最初はまったく別の名前になる予定だったそうです。織部とか備前とか寧々とか。ただ、私が生まれた時に霧雨が降っていたらしく、「玲」という漢字をどうしてもつけたかった父親が「これだ!」とひらめいて、親族の反対を押し切って「玲音(れいん)」に。
――くどうさんの文章の、気持ちいい音の感じにすごくぴったりな名前ですね。
くどう:うれしい。小学生の時に、子犬の里親募集所に行ったら、たまたま取材中の記者がいて、ニュースに本名が載ったことがあるんです。その後その記事が2ちゃんねるに晒されれて、「キラキラネーム」「名付けた両親の気が知れない」とかすごく叩かれて。『Serial experiments lain』という作品に岩倉玲音というあまり前向きでないキャラクターがいたらしくて。そんなこと両親は知らないんですけどね。でも、そのときに1人だけ、「この子が作家とかになったら、ペンネームっぽくていいじゃん」と書いてくれた人がいて、「あのときの“れいん”です。おーい見てるー!?」って思ってます(笑)。
――94年生まれのくどうさんは、「青春時代からのインターネット文化の影響は受けていると思う」とおっしゃっていますが、具体的にどんな文化の中で育ってきましたか?
くどう:iモードや着メロの世代で、LINEは高校になってから。中学生のころは、「GREE」とか「mixi」とか「前略プロフィール」が流行ってました。ホームページでは、アクセスカウンターやWeb拍手、ブックマークなんかが黄金期でしたね。あとブログパーツ。ユニクロの無料配布の時計のブログパーツがめっちゃ豪華で感動した記憶があります。それ以外にも、ちょうど「魔法のi らんど」(小説の投稿サイト)をきっかけに、『恋空』などのケータイ小説が爆発的に流行したころでした。
――「魔法のi らんど」で小説を書いたりは?
くどう:私はアンチ・ケータイ小説だったんですよ。読んではいたけれど、なんかドラマっぽすぎてムカついてた。死ねば感動すると思ってない?ってイライラして。学校でのヒエラルキーの問題もあったかも。ヒエラルキー上位のクラスメイトはかわいくてディズニーのスティッチとデイジーとミスバニーの小物を持っていてケータイ小説を好きだったんですけど、私はそいつらに入れなかった。そのことを「そもそもそのグループになんかはいりたくないし、ディズニーも携帯小説も馬鹿らしい」と思うことで、自分が「イケてない」のではないとどうにか思い込もうとしていたところもありました。
“桃色の飴玉”がゾクゾクした、「私しか読んでいないかもしれない」普通のブログ
――『うたうおばけ』のあとがきに「日記ばかり書いている十代でした」と書いてあったのは、そんな時期だったんですね。FC2、Alfoo、Mobile Spaceなどたくさんのウェブサービスを使ってきたようですが、すべて並行して使っていたのですか?くどう:いや、ハマって冷めて黒歴史になるごとに媒体を更新し続けてきたという感じですね。あまり人がいないうちにサービスを使い始めて、みんながやり始めるとダサい気がして別のサービスにいくみたいに、なるべく人がいないほう、同級生がいないほうを求めていました。アメーバブログは、みんながやっていたからやらなかったんですよ。
当時のインターネットには、一般的なブログのほかに、「リアル」と呼ばれる簡易的なブログサービスがあって、今のツイッターみたいに、短文や写真だけで投稿していた。「24」って書いてリアル、「365」って書いてブログみたいに使い分けていました。リアルのほうは、とげとげしいことを言うのに便利で、当時は未成年飲酒をしていたりこっそり化粧をしている同年代をこきおろすようなことを書いていましたが、なるべく短い言葉で強いメッセージを言い切ることは俳句や短歌にも生きている気がします。一方、ブログのほうは、随筆みたいに長い文章を書くのに活きている感じです。
――最初に日記を書くのに使ったのは、どのサービスでしたか?
くどう:FC2ブログです。田舎の中学生って恋愛くらいしかすることがない。だから、そういう恋のことばっかり書く、ピンクの背景の“桃色の飴玉”っていうタイトルのブログをやっていました。れいんだから雨で、飴、恋してるから桃色っていう……(頭を抱える)。でも、恋愛のことを書くのはちょっと痛いなということにすぐ気づいて、「オモコロ」などのネタサイト、ネタブログで活躍しているARuFaというブロガーに憧れて日常生活を過剰に面白がるような記事を書くようになりました。でも、それをするには私はちょっといい子すぎて続かなかった。だからネタやウケをとることからも早々に手を引いて、気づくとわりと日常のことばかり書くようになりました。年上の人が書いている、普通のブログに憧れるようになった。
――なぜ「普通のブログ」に憧れるように?
くどう:同級生ってみんなギャル文字とかケータイ小説的なテキスト、あとは“///”で照れを表現したり、“滝汗”“orz”みたいな言葉ばっかり使っていたんです。そういうのにちょっと飽きてきたら、普通に正しい文章で書かれた独白のような赤の他人の普通の日記がとても染みて、かっこいい、おしゃれじゃんって憧れるようになった。パック寿司を買って帰るとか、習い事へ行く前に土手で本を読むとか、さぼてん運ぶのを手伝ったとか、天井が鏡のラブホテルで全裸の自撮りしたとか、そういうごく個人的な他人の日記なんですけど、みんな文章が異常にうまい。それでいて、いまのnoteみたいに「書きました!読んでほしいです!」みたいな押しつけがましさが一切ない。勿体ないって思いました。作文コンクール出せば賞とかとれそうなのにって。でも、だれに見せるでもなくそういう素晴らしい文章を書く人が当時のインターネットにはゴロゴロいたんです。
今みたいに、話題になった文章がすぐに拡散されるみたいな下品さがなかったから、「この人の文章は、今、私しか読んでいないかもしれない」みたいな感覚に、すごくゾクゾクした。その人たちの日記はごく個人的なトピックスではあったものの、妙に客観視されているというか「あなたに向かって書いていますよ」という感じがとてもあったんですよ。詳細キボンヌ的なヲタスラングはあったものの、Twitter構文みたいなものも発達していなかったから、純粋にオリジナルにみんな文章がうまかった。だから中学生のときから、自分が醸したいと思う雰囲気は、自分より5歳くらい年上の大学生や社会人の淡々としたモラトリアム的な憂鬱さだったんです。
インターネット上で日記を書くうちに、私にもそれなりに読者がつきました。その人たちは、東京の私大に通っているめちゃくちゃお嬢様の女の子だったり、富山で看護師をやっている年上のお姉さんだったり、中東でシンナーを吸ってると自称するお兄さんだったり、美大浪人生だったり。いろんな読者が増えていくなかで、個人特定に必要な細かいディテールはそぎ落としたり、やりすぎて臭いオチをやめるようになりました。