歌人・枡野浩一デビュー25周年「短歌の世界には不満だらけ。“短歌”に見えない短歌をつくるのが願望だった」

枡野浩一インタビュー

 誰にでもわかる簡単な現代語だけで短歌をつくり、「かんたん短歌」とも評された歌を詠む歌人・枡野浩一。学生時代から短歌の世界にのめり込んでいたものの、コピーライターや作詞家、はたまた「芸人歌人」としてお笑いライブに出演したりと、幅広く活動してきた経歴を持つ異色の人物だ。

 1997年にデビューしてから一貫して現代語で短歌を詠み続け、SNSを中心に短歌ブームを牽引してきた枡野が、25年にわたる活動の集大成『毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである 枡野浩一全短歌集』(左右社)を発表。短歌を詠むようになったきっかけから、“マスノ短歌”といわれる歌が生まれるまで、そして今若者を惹きつける短歌の魅力とは何か? など――じっくり話を伺った。

数ある表現の中で短歌が自分を選んでくれた

取材当日は、自身の短歌をプリントしたTシャツを着用して登場。「ハッピーじゃないエンドでも面白い映画みたいに よい人生を」「またいつかはるかかなたですれちがうだれかの歌を僕が歌った」など“リアルサウンド”にちなんだ短歌をセレクトしてくれた。

――近年、短歌ブームと言われ、SNSでは「#短歌ブーム」というハッシュタグも存在しています。そんなブームの先陣を切っている枡野さんですが、短歌を詠むようになったきっかけは何だったんでしょうか?

枡野:僕が18歳くらいの頃、俵万智さんが『サラダ記念日』(河出書房新社)を出版されて大ブームになったんです。当時から文章を書くのが好きで、母が俵さんの初版本を買ってきたのを読んでみて、これはすごいぞと。自分も短歌を詠んでみたんですが、俵さんの真似はできなかったですね。

――子どもの頃から文章に親しんでいたんですか?

枡野:僕は転校生で小学校も4校経験しました。物書きの人に聞くと転校生が多くて。“転校生チルドレン”っていう本や、転校生のアンソロジーをつくった方がいいと思うくらい。転校すると人間関係が希薄になっていくんですよ。もちろん転校して上手くいくかどうかは性格にもよりますが。小説家の安岡章太郎さんも、すぐ転校しちゃうから友達とあまり深く付き合わなくなると書いていて。そうそう! と思いましたね。自分の場合、運動ができなかったり、勉強もそんなに好きじゃなかったりして、内向的にならざるを得なかったんです。

 本はもともと好きで、図書館や、本屋さんに行って本ばっかり読んでいたので、作文はすごく得意でした。作文を書くのを楽しみに遠足に行くくらいで、友達の分の作文まで書いてあげちゃう。たくさん書くということに対しては、人よりも場数を踏んでいます。大学1年の時にはワープロで毎日原稿用紙50枚くらいの日記を書いていました。

――そんな中、どうして短歌を詠むようになったのでしょうか?

枡野:作文を書くのが好きな延長で、現代詩の雑誌や作詞のコンテストにも応募していました。作詞はコンテストで1位になったものの、「この歌は誰が歌うんだろう?」と言われていました。本当はシンガーソングライターになれるような才能があれば、それが一番わかりやすいんだろうけど、子どもの頃、ピアノやバイオリンを習っていたのに全然できるようにならなくて。俳句や川柳をやっていたこともあるんです。なぜ短歌だったのかと言われると、たまたまいっぱいあった表現の一つだったというだけです。逆に短歌の方が自分を選んでくれたと思っています。

 全短歌集のタイトルもその一つですが、僕の短歌で今でも代表作になっているのは、予備校生時代の漢文の時間につくったものなんです。勉強もしなければいけなかったので、あとは電車での移動中につくっていました。そうして書き溜めた短歌を世に出そうと思って、コンテストに応募するようになったのが始まりです。でも短歌って、結社などに所属しないと当時は活躍できなかったんですよね。しかも現代語だけで短歌を書いていたこともあって、短歌界からは嫌われていたと思います。

その世界に不満を持てるかどうかは才能


――枡野さんの短歌は本当に自由で、短歌だと言われないと分からないほどです。短歌には五・七・五・七・七というルールがありますが、この魅力って何でしょうか?

枡野:僕の場合は、放っておくとたくさん書いちゃうから、これしか書けないっていう型が心地よかったんです。ほんの一瞬だけ作詞家だった時期もあるんですけど、作詞の場合も曲が先にあって、そこに詞を当てはめるのが得意だったんですよね。でも、僕にはいつも詞を先に書いてほしいっていう依頼がきてすごくやりにくかった。作詞のコンテストに応募していた時に、自分は音数が決まっている方が書きやすいなと思って短歌に回帰しましたね。

――作詞、俳句、川柳などでも表現をしていたということですが、枡野さんにとって、俳句や川柳と短歌の大きな違いは何ですか?

枡野:俳句や川柳は作者の意図よりも、読み手の意図が重要なジャンルだと思うんです。読み解く側の人の解釈が面白くて、本人の意図以上に読み解いてくれるんです。時実新子さんという有名な川柳作家がいて、その投稿欄に1年間投稿していたことがありました。3回ほど掲載されたんですが、自分の詠んだ句よりも時実さんの解釈の方がはるかに素敵だったので、これは向いてないなと。

 そして俳句と短歌の大きな違いはボリュームですね。僕は一時期コピーライターだったんですが、短歌の長さってコピーライターが書くコピーみたいなんですよね。

――さまざまな表現を試した中、短歌に引き込まれていったんですね。

枡野:その世界に不満を持てるということが才能だと思っています。短歌の世界を改めて見渡した時に不満だらけで、自分にできることがたくさんあると思ったんですよね。それは俳句や川柳、小説には思えなかった。自分が小説を書かなくても、長嶋有さんとか保坂和志さんがいてくれればいいと心から思っているので、才能がない。でも短歌に関しては、なぜこれをやっていないんだろう? ということがすごく見えていました。

 例えば、当時は現代語だけの歌集はとても少なかったですし。タイトルの「毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである」もそうですよね。これは、センチメンタルに見せないように書きながらもセンチメンタルな一首。「である」で終わったり、「あなた以外」ということで「あなた」に光が当たったり。そういう短歌ってあんまりないなと思ったんですよね。

 本づくりに関しても収録されている歌の数が多すぎるなと思ったり、ビジュアルもイラストや写真と組むとか、そういうことをやっている人が少なかったんですよね。自分は広告にも興味があったので、こんなサービス精神のないジャンルって聞いたことないと思って。書店で目立つタイトルや素敵なデザインの歌集がなかったので、自分にできることがいっぱいあるなと思ったのが大きいですね。

枡野の遊び心あふれる自由な発想と、名久井直子デザインによる「短歌用一行原稿用紙」(四十字詰原稿用紙)。使いやすい大きさにリサイズして再販している。

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