第167回芥川賞は女性作家の力作揃い 候補5作品を徹底解説

芥川賞候補5作品を徹底解説

2022年7月20日(水)に第167回芥川賞が発表される。候補作は以下の5作品となっている(50音順)。

・小砂川チト(こさがわ ちと)『家庭用安心坑夫』(『群像』6月号)
・鈴木涼美(すずき すずみ)『ギフテッド』(『文學界』6月号)
・高瀬隼子(たかせ じゅんこ)『おいしいごはんが食べられますように』(『群像』1月号)
・年森瑛(としもり あきら)『N/A』(『文學界』5月号)
・山下紘加(やました ひろか)『あくてえ』(『文藝』夏季号)

 高瀬以外は、今回が初めての候補入りとなる。以下、各作品を具体的に紹介していこう。

小砂川チト『家庭用安心坑夫』

 尾去沢ツトムは、小波の父だった。/厳密には父と言い切るわけにはいかない、あくまで父とおぼしきひと、だった。〔……〕なにしろツトムというのが、このとおり、マネキン人形にしか見えないせいである。

 第65回群像新人文学賞当選作、すなわちデビュー作でのノミネート。

 小波はある日、日本橋三越の大理石の柱に、実家の洋服箪笥に貼ってあるはずの「けろけろけろっぴ」のシールが貼られているのを発見する。この東京で暮らす彼女が郷里・秋田に置いてきたはずの記憶との邂逅をきっかけに、ある「異物」がたびたび小波の日常を侵食し現れ始める。それは廃鉱山を転用して作られたテーマパーク「マインランド尾去沢」に設置されていた、坑夫を模したマネキン人形だ。それはかつて、小波の母が「ツトム」と呼んで、小波に父だと教え込んだ人形であった。成長とともに忘却していた、この母の妄想の世界に自ら突っ込んでいくかのように、小波はくだんのテーマパークを訪ねることを決意するが……。

 終盤、ツトムを燃やす、というベタな(?)物語的解決をしかけて一瞬ひやりとするが、そのあとに期待をすかす軽やかな小説的脱線が用意されていて見事だった。読後、わたしたちは小波ともども、破綻に満ちた幻想的冒険を、夢から醒めたあとのように不確かに思い返すほかない。中盤から間歇的に挿入される、実際に過去を生きたと思しき坑夫・ツトムをめぐる落ち着いた語りが、狂気とも妄想ともつかない、本作の不安定な語りとの絶妙なコントラストをなし、作品にぐっと広がりをもたらしていて、とてもよい。

鈴木涼美『ギフテッド』

 母が何を考えているのか、病に言葉の多くを奪われる前も、往々に不確かだった。彼女の気分は時々に変わるし、妙なことに頑なになる。ただ、それでも他人のことよりはわかるし、それは言葉を失った今でもそうだ。

 『「AV女優」の社会学』をはじめ、すでに作家としての活躍がいちじるしい著者の初中編がノミネートされている。

 舞台は少し時代を遡って2000年代後半(と思われる)。歓楽街の周縁に住む「私」は、重篤な病に冒されたといい部屋に移り住んできた母を看取ろうとしている。かつてささやかな詩集を出したこともある母は、死を前にあと一編だけ詩を書き上げたいという。といっても母娘の関係はもとより一筋縄ではなく、「私」の二の腕の刺青の下に残る虐待による火傷痕は、その痛ましくあからさまな痕跡であるだろう。夏に失った二人の友人の記憶や、若かりし頃にシンガーとして働いていた母を知る男の訪問など、いわゆる「夜の街」に関わって生きた人々の姿が意外(?)にも静かに、淡々と語られていく。作中、「生々しい散らかりや生活感」を無視した母の詩を美しいと思わなかったと明かす「私」が語る本作は、その美学を反映するかのように、死の匂いが漂うその街に暮らす人々の生々しい散らかりや生活感をありありと映し出していて、やはり美しい。

 作品は当初に宣言されていたとおり、「私」の部屋で書いたと思しき母の詩(のようなもの)が引用されて幕を閉じる。作品掉尾のこの一編がなによりもまず、この静謐な作品の雰囲気を適確に言い当てていて、むしろこの詩を起点にして作品が書き始められたかのような感覚を覚えた。その時点から開始された、理解できない、それでも赤の他人のことよりはやっぱりわかってしまう、という母の「わかるところだけを、わかろう」と少しずつ確かめていく試みとして読んだ。

高瀬隼子『おいしいごはんが食べられますように』

 ちゃんとした飯を食え、自分の体を大切にしろって、言う、それがおれにとっては攻撃だって、どうしたら伝わるんだろう。

 前作『水たまりで息をする』(2021年)以来、1年ぶり2度目の候補作入り。セックス、入浴など、生活にそれなりに溶け込んでありふれている、けれども、あらためて注視すると、たちどころに不気味に見えてしまう日常の瞬間を小説に切り出してきた著者が今作で問題にしたのは、食事だった。ほのぼのしたタイトルも作品を一読したあとには、もはや呪いの言葉にしか聞こえない。

 視点人物となる人物はふたり。食事は単なる栄養補給でしかないと考える二谷。そして、二谷の恋人でもある芦川に苦手意識を持っているらしい後輩の女性社員の押尾だ。曰く、弱くて正しい同僚の「芦川さん」は職場において配慮され、業務のいくつかを免除されている。要領が良いがゆえ、その尻拭いをさせられる押尾は不公平感を抱き、二谷にこのように悪魔的に囁く。「それじゃあ、二谷さん、わたしと一緒に、芦川さんにいじわるしませんか」。

 彼らが(協力して、というより、それぞれ)やった「いじわる」の内容はここに書かないが、それは倫理的に正しくない行いというべきなのだろう。だが、「芦川さん」がかわいそう、といった方向に読者の共感を単純に向かわせてくれない点に本作の特色がある。たとえば、押尾らによるいたずらが発覚した際の「芦川さん」の対応はむしろ、正しく不気味ですらある。その虚弱さをもって共同体のもはや中心的人物たり得ている「芦川さん」の心の内を、本作は決して描かない。だがその結果と言うべきか、本作は登場人物の皆が皆、それぞれにどこか正しくなく、間違ってさえいる人々の職場群像劇になり得ている。むろん、それはこの世の中の反映だ。

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