第167回芥川賞は女性作家の力作揃い 候補5作品を徹底解説
年森瑛『N/A』
かけがえのない他人にそばにいてほしかった。まどかのことを、ただのまどかとして見てくれて、まどかへの言葉をくれる他人がほしかった。そういう他人のことを、同じように大切にして、やさしくして、死ぬまで楽しく一緒にいたかった。/そんな人は、どこにもいないのかもしれない。
金原ひとみや村田沙耶香ら6名の選考委員の満場一致で第127回文學界新人賞を受けて話題となったデビュー作が、その勢いのまま芥川賞候補入りした。
高校二年生の松井まどかは、自身の通う女子校に教育実習生としてやってきた「うみちゃん」と試験交際を始めて三ヶ月になる。誰かと「ぐりとぐら」や「がまくんとかえるくん」のような「かけがえのない他人同士」になりたいと憧れるまどかだが、「うみちゃん」とそうなるのは難しそう。内外ともに女性として完璧に見えた「うみちゃん」は思いのほか幼稚で、まどかは軽蔑し、落胆していた。こうしてかろうじて継続していたふたりの関係も、まどかがあるSNSアカウントの存在を知ったことを契機におおきく変形する。
タイトルの「N/A」はExcelなどでも見かける「Not Applicable」(該当なし)の略語と思われる。実際にまどかは、身体(や意識)と言語の乖離、その当てはまらなさを嫌悪している。たとえば、生理への純粋な嫌悪から炭水化物を控えれば「拒食症」、うみちゃんと交際すれば「LGBTの人」というラベルがまどかに貼り付けられるだろう。ゆえにまどかは、旧弊な価値観にもとづく言葉はむろん、SNS上に垂れ流される過剰に美化された言葉や、当事者を傷つけないように勉強して用意された言葉など、あらゆる声がけを拒んでいく。そうしたあれこれを積み重ねていった小説のラスト、あらゆる他者に否定性を向けてきたまどかは、自身の想定の外部を知る。それは一人称的な世界の終わり、言い換えれば本作の終わりに相応しい結末だろう。その変質のちに、つまり次作(以降)において、作者がなにを描くのかにこそ注目したい。
山下紘加『あくてえ』
あたしの思いは、うるせえな、に全部集約される。感情をうまく言葉にできない自分への苛立ちも含めて、浅はかで卑しい言葉の羅列に集約されていく。あたしはただ、あくてえをつくしかない。
『ドール』(2015年)、『クロス』(2020年)、『エラー』(2021年)と話題作を続けて発表してきた著者の新作がついに芥川賞に初ノミネート。
90歳になっても一向に憎まれ口の減らない「ばばあ」(祖母)と、かつてお世話になったからと献身的に義母を介護し続ける「きいちゃん」(母)。そこに19歳の「あたし」を加えた3人からなるちぐはぐな家族。「ばばあ」にできるのは食って寝て排泄することだけ、にもかかわららず「あたし」たちに感謝する素振りも見せない。不倫した挙句に「ばばあ」を「あたし」と「きいちゃん」に押しつけて家を出た父も、交際相手である渉も頼りにならない。「あたし」は苛立ち、「ばばあ」にあくてえをつく。
「あくてえ」とは、甲州弁で「悪態」の意らしい。「あたし」と「ばばあ」が交わし合う「あくてえ」は、コミュニケーションの手段として、あまり褒められたものではないのだろう。だが、それがいくつかの重たいテーマに抵触せずにはいない本作に、奇妙な明るさや楽観性をもたらしてくれているのも事実だろう。小説家を目指して文学賞に自作を送っているという「あたし」が作品終盤に明かしている、自らが小説家に憧れた、小説に惹かれた理由に注目してほしい。ままならない現実のなかで希望を見出し、それでも一区切りつけて前に進むための、つまりは「あくてえ」としての小説。それがこんなにも面白いのだから、文句のつけようがない。
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受賞作予想は、山下紘加「あくてえ」(次点で小砂川チト「家庭用安心坑夫」)です。