第166回芥川賞は混戦の予感? ボディビル小説から古書にまつわる物語まで候補5作品を徹底解説

芥川賞候補作を徹底解説

 2022年1月19日(水)に第166回芥川賞が発表される。候補作は以下のとおり(50音順)。

・石田夏穂『我が友、スミス』(『すばる』11月号)
・九段理江『schoolgirl』(『文學界』12月号)
・島口大樹『オン・ザ・プラネット』(『群像』12月号)
・砂川文次『ブラックボックス』(『群像』8月号)
・乗代雄介『皆のあらばしり』(『新潮』10月号)

 3回目の候補入りとなる砂川・乗代がベテラン勢で、石田・九段・島口が初ノミネートとなる。以下、それぞれの作品を具体的に紹介していこう。

石田夏穂『我が友、スミス』

 私は恍惚とし、自分の身体から、なかなか目が離せなかった。自分のことを美しいと感じ、そして、好きだと感じたのは、ほとんど初めてだった。

 先日発表された第45回すばる文学賞の佳作、ようするにデビュー作での候補入り。

 ふだんは会社員の「私」が、Gジムで趣味の筋トレをしていると、女子ボディビル大会への出場を打診される。声をかけてきたO島は、かつてフィットネス系の大会のなかでももっとも「ガチ」なJ大会を7連覇した女子ボディビル界のレジェンド的存在らしい。O島の誘い文句はこう。「うちで鍛えたら、別の生き物になるよ」。

 本作は女子ボディビルを扱う、広い意味での「お仕事小説」と言えるだろう。たとえば、タイトルの「スミス」を人名だと思っていた私のような読者は、未知の世界の話に驚きながら読めたし、主人公が反省と調整をくりかえし、もりもりビルドアップしていくのは、わかりやすく痛快。

 だが、そんな彼女(たち)に、世間は容赦無く「むきむき過ぎる女って気持ち悪いよね」という言葉を浴びせる。そんな「女らしさ」の呪縛と戦い、「美容やダイエットのため」ではなく純粋に「筋肉をつけたい、力強くなりたい」と願う「私」がトレーニングを経て、初めて自らの身体を美しく、好きだ、と感じられる場面が前半のクライマックスである。だからこそ後半、女子ボディビル界にも厳然と存在する「女らしさ」の呪いに気づく展開はおぞましい。だが、本作の真価はここからだ。業界に対する「憧れ」と「失望」ののちにある、自身の欲望の冷静な見つめ直しにこそ、本作の現代的な価値を見たい。

九段理江『Schoolgirl』

 どうして女の子は、娘っていうのは、こんなにいつでも、お母さんのことを考えてばかりいるんだろうって、そのことがたまらないんですよ。

 今年、第126回文學界新人賞を受賞した「悪い音楽」(『文學界』2021年5月号)に続く、著者の第2作。

 外資系に勤める夫がおり、それなりに裕福な暮らしをする「私」を悩ませるのは、14歳の娘だ。曰く〈私よりもずっと賢い〉彼女は、グレタ・トゥンベリに共鳴し、社会問題に高い意識を持った"woke"な存在として、自らのYouTubeチャンネル『Awakenings』を通じて、幸福な「バブル」のなかで眠る無知な人々を目覚めさせることを目的に活動している。

 そんな娘は「私」を〈若い頃に小説を読みすぎたせいで、空想好き〉だと思っているらしい。「私」の愛読書は太宰治「女生徒」である(ほかにも本作では「貨幣」や「駆込み訴え」など、太宰作品がいくつか小ネタ的にちりばめられている)。なにを隠そう「目覚め」にはじまり「眠り」で終わる、本作の構造自体がじつは「女生徒」から採用されたものだ。

 目覚め、眠り、に加えて「夢」をキーワードとしてうまくまとめられた本作はひとまず、母娘双方向からの恐る恐るの歩み寄りの物語と読める。母は娘のアップロードする動画を通じて、娘は母が昔に愛読したらしい小説をひもとくことで。『文藝』の2022年春季号の特集「母の娘」とならべて読みたい。 

島口大樹『オン・ザ・プラネット』

 これからぼくらが話すことは、人類が歩んできた、行ってきた、すべての営みの記憶を背負ったぼくらが話すことは、人類最後の会話になるかもしれない。そうやって考えるとき、ぼくらは何を話すべき?

 今年の第64回群像新人賞当選作「鳥が僕らは祈り、」(『群像』2021年6月号)でデビューしたばかりの著者が書き上げた第2作が候補入り。

 「ぼく」は友人のトリキ、スズキ、マーヤと四人で、短編映画を撮るために車で鳥取へ向かっている。いわゆるロードノベルふうに始まる本作だが、徐々にもうひとまわり外側に、彼らの友人である「島口」が、いままさに彼らが撮ろうとしている短編の上映を見ている時制が存在することがわかってくる。というようなストーリー展開に加え、本作の最大の持ち味は、登場人物たちが休みなく繰り広げる思弁的な議論にある。話題は、世界や人類、記憶や小説など、多岐に渡っている。

 さて前作と共通する点として、登場人物たちの輪郭を融解させ、次第に語りの主体を曖昧にしてしまうという試みがある。だが、小説という形式でそうした実験をおこなうとき、「匿名性」に到達することはなく、かえって誰でもない「作者」の姿が濃く浮かび上がってくるのではないか。いくつかの形式的な実験(たとえば、自らとおなじ名前の登場人物を作品に登場させること)と相まって、本作はきわめて作者性の強い作品だと言える。

 確信をもって言えることは(デビュー2作目で気が早いかもしれないが)島口は、著作を続けて読んでいくことで、作品の面白さがぐんぐん増していくタイプの作家だと思う。それが「作者性の強さ」のポジティブな側面なのだから。島口がこれから書いていくであろう作品と作品が溶けあうようにして、独自の「世界」を作り出していくのがとても楽しみ。

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