生誕120年の横溝正史復刊 金田一耕助シリーズの傑作・怪作をミステリ評論家がレビュー

生誕120年の横溝正史復刊 金田一耕助シリーズの傑作・怪作をミステリ評論家がレビュー

 今は昔の1970〜80年代。日本全国、どんな田舎の書店にも、黒の背表紙に緑のタイトルという、どこか禍々しい装幀の文庫本が置いてあった時代が存在した。

 それらの本に記されていた作家名は、横溝正史。戦前から活躍していた、日本の探偵小説界を代表する大家である。映像化をはじめとする角川書店のタイアップ商法を追い風としてベストセラーとなった横溝作品は、名探偵・金田一耕助の名とともに、推理小説ファンにとどまらない読者層にまで親しまれることとなった。

 しかし、歳月が流れるにつれて、『八つ墓村』『悪魔の手毬唄』『獄門島』『犬神家の一族』等々の金田一耕助シリーズの代表作を除く横溝作品は、少しずつ店頭から姿を消していった。特に、金田一と並ぶ横溝作品の名探偵・由利麟太郎が活躍する作品群や、ノン・シリーズ作品は、一部を除いて新刊では手に入りにくくなった。

 ところが、最近になって、角川文庫の横溝作品が次々と復刊され続けている。あの禍々しい黒い背表紙の文庫が、再び書店で存在感を誇るようになったのである。

 そのきっかけとなったのは、2022年が横溝正史生誕120年にあたることだろう。それに合わせた企画が続々と書店を賑わせるようになったのだが、話題を角川文庫に限定するならば、まず、由利麟太郎シリーズからは吉川晃司主演の連続ドラマ放映(2020年)に合わせて、『蝶々殺人事件』『憑かれた女』『血蝙蝠』『花髑髏』の4冊が角川文庫から復刊された。そして金田一耕助シリーズのうち入手困難になっていた作品も、2021年8月復刊の『夜の黒豹』から2022年6月復刊の『金田一耕助の冒険』まで、12冊が立て続けに刊行されたのである。こうして、金田一シリーズは角川文庫でほぼ全部が読めるようになった。

 これらの由利・金田一両シリーズの復刊では、杉本一文による往年の横溝ブーム当時の表紙絵も復活したことが大きなポイントになっている。やはり、横溝ブームの頃に入門したファンにとっては、この表紙絵のインパクトは内容と不可分になっているのだ。

 今回は、復刊された金田一耕助シリーズのうち、個人的な注目作として傑作5冊+怪作1冊を紹介したい。地方を舞台に因習に満ちた人間関係が繰り広げられる話ばかりではない、横溝の多彩な作風が窺えるだろう。

1 『貸しボート十三号』

 今回の復刊では、帯が「××、復刊!」という惹句で統一されている。この本の場合は「猜疑、復刊!」。

 金田一耕助シリーズの一連の復刊作品から1冊だけ選べと言われたならば、私は『貸しボート十三号』を挙げることにする。というのも、ここに収録された3つの短篇が、それぞれ作風が異なっており、それでいて横溝正史の本領が発揮された逸品ばかりだからである。

 まず巻頭の「湖泥」は、横溝正史と言えば皆が思い浮かべるような、岡山県の閉鎖的集落を舞台にしたミステリである。その村には北神家と西神家という二大旧家があり、昔からいがみ合っていたが、それぞれの跡取り息子が御子柴由紀子に求婚してからは対立がエスカレート。そして、県警の磯川警部に会うため金田一が村を訪れて間もなく、由紀子の死体が発見される……という、いかにも横溝らしい物語だ。雑誌掲載時は漫画家や新聞記者など3人の推理小説ファンに犯人当てを挑むという企画だっただけあって、真犯人の隠し方に工夫が凝らされており、最後に暴かれるその本性に慄然とさせられる。

 また表題作は、それぞれ首を半ばまで切断された男女の死体がボートに乗せられていた……という事件を扱っている。いかにも猟奇的な事件ながら、何故2人とも首切り作業が中途半端なままで終わっているのか、2人の死因が異なるのはどうしてか……といった謎が解き明かされる結末は実に鮮やか。本格ミステリ作家としての横溝の実力が全開になった傑作だ。

 そして「堕ちたる天女」は、東京の歓楽街や風俗の世界で猟奇犯罪が起こるという一連の作品群に属している。石膏像にストリッパーの死体が塗り込められていたという事件が発生し、捜査線上に謎の彫刻家が浮上する。金田一耕助をして「気持ちが悪い。吐きそうです」と言わしめたほど凶悪にして奸智に長けた犯罪者が登場する物語だ。またこの短篇は、金田一耕助にとって東京の相棒である等々力警部と岡山の相棒である磯川警部とが直接対面する、シリーズ中唯一の作品でもあり、その意味でも読み逃せない。

2 『迷路の花嫁』

 帯の惹句は「猟奇、復刊!」。

 霊媒の全身傷だらけの全裸死体が発見されるというセンセーショナルな冒頭。しかし物語は、この事件の発見者である小説家・松原浩三と、殺された霊媒の愛人だった建部多門との対決がメインとなってゆく。建部多門は心霊術師を自称しているが、実際は女性たちの人に知られたくない秘密を握り、彼女たちから金銭を巻き上げるのみならず肉体的にも支配している極悪人。松原浩三はそんな多門に隷属させられている女性たちを解放し、多門の強みをじわじわと削ぎ落としてゆくという手段で戦いを挑むのだ。

 この正義対邪悪のしのぎを削るバトルの影で、冒頭の霊媒殺しはいつの間にか脇筋に追いやられているし、金田一耕助の活躍もあまりない(シリーズ中、最も彼の出番が短い長篇だろう)。しかし最後まで読むと、事件の謎解きの部分はきっちり彼が担当して面目を施しているのである。金田一シリーズとしてはかなりの異色作ながら、エンタテインメント作家としての横溝の実力を堪能できる作品と言える。

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