「浦安には新しい魚食文化のスタイルが渦巻いている」 鮮魚泉銀三代目・森田釣竿が語る、浦安と魚のディープな魅力

泉銀三代目・森田釣竿インタビュー

埋立地にはいろんな地方から多くの人が引っ越してきている

店内で取材を受けることも多いのだとか

――森田少年は、そこからパンク・ロックへ向かったわけですよね。

森田:おじいちゃん子だったから、軍歌をよく歌ってる小学生だったんです。親しんでいた音楽は軍歌、民謡、労働歌。昔の浦安は蟹がよく獲れていたから、村田英雄さんの「蟹工船」を歌うのが地元漁師の約束ごとみたいになってて俺も歌っていた。よく聴くと働く現場での厳しい歌で、負けないぞっていう泥臭い、今思えばパンクな反骨精神があった。一方、セックス・ピストルズでパンクに目覚めたのは、シド・ヴィシャスがベースでお客さんを殴ったことを知って、これだったら俺でもできると思ったから(笑)。軍歌だと遠いしリアリティがないけど、パンクで音楽が身近になったんです。ちょうどイカ天ブームもあったし(テレビ番組『三宅裕司のいかすバンド天国』が多くの新しいバンドを輩出。それ以前にもインディーズが注目されるなど1980年代後半にバンド・ブームがあった)。

――バンド活動をする一方、美容師の資格をとったとか。

森田:母親が、魚屋って本当にきつい仕事で儲からないからやめろ、職を持てっていって、美容師にさせられちゃった。

――その名残りなのか、今でも髪型はピシッとしてますものね。

森田:いや、これは鮮度の問題っていうか、やっぱり俺がピシッとしてないとそれが魚にうつっちゃう気がするから、ちゃんとしてるだけ。美的センスっていうのは、美容師も魚屋も変わらないですよ。

マグロの柵を切る森田氏

――当時は魚屋を継ごうと思っていなかったんですか。

森田:親父もお袋も地元の人間だし、継ぐ継がない以前に、小さい時からずっといた店が、もう家みたいなもんだった。だから、自分には故郷がないと思ってたわけ。でも、浦安魚市場がなくなってから気づいた、ここが故郷だったのかと。原発事故の影響が残っている福島の一部地域や、いろいろな事情で故郷に帰れなくなった方々がいるでしょう。それはこういう感覚なのかと思いました。

――浦安魚市場は、老朽化が原因で2019年に閉場しました。以前から後継者不足で店舗数が減っていましたが、閉場に伴い移転して営業する店もけっこうあった。「泉銀」は2018年から市内の住宅街の一画(浦安市堀江)に店舗をかまえるようになって、今年で移転5周年。

森田:魚屋の店は生活するため一緒に戦う戦友っていうか、家族だって戦友の感覚。小さい時から店を手伝っていたら、いつの間にか継いじゃったようなもんです。ただ、市場って非日常的な空間じゃないですか。そこで慣れちゃってる魚屋が、ストリートで勝負できるのか。例えばヒップホップでいえば、ギャングじゃねえのにギャングスタぶってやれるのか、お前はリリック持ってるのかみたいなのがあるでしょ。だから、いきなり路面店ではできないだろうと思ったけど、閉場が決まったから修業期間だと気合いいれて思い切ってやったの。市場と路面店で二重家賃になる期間があって、すごく大変で死ぬかと思ったけど、楽しかったですね。

 若い頃は、俺たちからしてみたら埋立は漁場だった海が消えた原因だし、そこにディズニーとかできてどうなんだろうとモヤモヤしていたんだけど、ここで店を始めてからは、新町からお客さんがたくさんいらっしゃる。

泉銀名物のマグロブツ切り。近所にこんな魚屋がある浦安市民が羨ましい

――浦安市では、東京メトロ東西線沿線の昔からある地域を元町(アニメ化、ドラマ化もされた浜岡賢次の漫画『浦安鉄筋家族』の舞台のモデルになった)、もっと海沿いを走るJR京葉線(1988年開通)の新浦安駅、舞浜駅周辺の第一期埋立地を中町、第二期埋立地を新町と呼ぶんですよね。

森田:埋立地にはいろんな地方から多くの人が引っ越してきているけど、新しい街には懐かしい景色がないことが寂しいわけですよ。日本は島国だからどこかの浜の出身の人も意外に多くて、浦安も海に面してるから故郷を思い出しちゃう。そうするとチェーンのスーパーとかじゃ対応しきれない。パッケージされた切身じゃない魚が見たい、人と喋りたい、そういう心のケアがいるの。コロナでそういう心がたかぶっていることがよくわかりました。魚食交流じゃないけど、他の地方の人から俺が逆に知らない食べかたを教えてらったり、聞いた俺がまたこの地域の人に教えたり。浦安がそういう街になってくれて、新しい魚食文化のスタイルが渦巻いているからよかったなと感じるし、面白いんです。

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