『それでも吉祥寺だけが住みたい街ですか?』マキヒロチに聞く、街を描くということ 「その土地を見てから住人を決める」
朝食ブームの火付け役ともなったマンガ『いつかティファニーで朝食を』の著者・マキヒロチさん。11月に刊行された『それでも吉祥寺だけが住みたい街ですか?』は、ドラマ化もされた『吉祥寺だけが住みたい街ですか?』の続編で、吉祥寺で不動産屋を営む双子の姉妹のもとを訪れるさまざまな客に、その人の人生にいちばん寄り添った街と家を見つけていくオムニバスストーリーだ。
日常の機微を捉え、多くの読者の共感を集めてきたマキさんは、なぜ「街」にフォーカスした作品を届けているのか。自身も吉祥寺で育ったというマキさんに、新シリーズ開始を記念して制作の背景を聞いた。
吉祥寺バウスシアターが閉館
――そもそも『吉祥寺だけが住みたい街ですか?』を描きはじめたきっかけは、どんなところにあったのでしょうか。
マキヒロチ(以下、マキ):担当編集者の矢野雄一郎さんから、「不動産マンガを描きませんか」と言われたんですけど、当時はほかにも同じテーマでマンガを描いている方がいらっしゃって。だったら、もともと旅行や散歩が好きだということもあり、街に特化した漫画にしてみたらどうだろうと、こちらから提案しました。そして、街といえば、私は吉祥に対して言いたいことがいっぱいあるぞ、と。「住みたい街No.1」とか言われて、みんなイメージだけで住みたがるけれど、本当に吉祥寺というブランドが自分には必要なのか、吉祥寺だけが住みたい街なのか、ちょっと考えてみようよ、というコンセプトで描き始めました。
――「吉祥寺に対して言いたいこと」というのは?
マキ:「言いたいこと」ができたきっかけは、吉祥寺バウスシアターという映画館が閉館したことですね。吉祥寺って、そもそもは公園や飲食店が多くて、ファミリー層にも単身者にも優しいし、カルチャーを味わえる場所でもあるから、住みたい街に選ばれること自体は、私もわかるなあと思っていたんです。でも最近はどんどん、特徴的な施設がつぶれて、どこにでもあるような街に変化しているように思えて。私自身、富子と都子(吉祥寺の不動産屋を継いだ、本作の主人公となる双子の姉妹)と同様、吉祥寺に育ててもらった感覚があるので、「確かに住みやすくはなったかもしれないけど、それでいいの?」という疑問がありました。それをふまえたうえで、憧れだけで吉祥寺に住もうとしている人たちに「吉祥寺以外にもいい街はたくさんあるよ」と、毎回いろんな街を紹介してみたらおもしろいんじゃないかな、と考えました。
――確かに、なんとなく吉祥寺に住むとおしゃれ、という理由だけで選んでいる人も多そうですよね。
マキ:地方の友達が上京してくるときに「吉祥寺と三宿だったらどっちが“聞こえ”がいい?」と言われたことがあって。そういう基準で選ぶのか、ということにも、「聞こえがいい」というくくりに吉祥寺が入っているということにも、ちょっと驚いたことがあります。
――重田不動産の富子と都子。見た目にも迫力のある双子の姉妹は、どんなふうに生まれたんですか?
マキ:『ザ・シンプソンズ』のお母さん・マージには双子の姉がいて、いっつも文句を言っている、うるさくて意地悪な人なんです。あるときその双子にそっくりな女性二人組を、出先の商店街で見かけたんですよね。そこで、こういう二人をマンガに登場させたらおもしろいんじゃないかなって思いました。最初、編集部からは、もっとかわいらしい女の子のほうがいい、と言われたんですけどね。でも、いくら不動産屋だからって、見ず知らずの他人に「お前に合う街はそこじゃねえよ」なんて、ふつうは言われたくないじゃないですか。どうせ言われるなら、見た目からかわいらしい人よりも、ちょっと迫力があって、人生の酸いも甘いも潜り抜けてきたのかな?と思わされる人のほうが「なにか考えがあるのかも……」って納得しやすい。ということを、矢野さんにもさんざん説明して、折れてもらいました(笑)。
――二人の迫力に呑まれているうちに、いつのまにかゲストが別の街に連れてこられている、という流れが毎回、とても好きです。前シリーズでは、二人が吉祥寺の実家を建て直すストーリーも同時進行していましたが、なんだかんだ吉祥寺への愛もひしひしと伝わってくるところも、よかったです。
マキ:やっぱり、なんだかんだ私も吉祥寺が好きですし、吉祥寺をディスりたくてタイトルをつけたわけじゃないですからね。ただ、二人が引っ越さないのは、もちろん吉祥寺が暮らしやすい街だというのもあるんだけれど、自分たちにとって慣れ親しんだ場所で、親から受け継いだ土地を大切にしたいという思いがあったからで。「自分たちにとってどこが最適か」を考えたうえで吉祥寺を選ぶなら、他の街と同様、やっぱりすごく素敵な街だよ、ということは伝えたかったですね。
――二人が、自分たちの生きていく場所を改めて再確認した前シリーズ。新しく始まった『それでも~』の第一話は、自宅で過ごすことの多くなったコロナ禍で、自分にとって居心地のいい住まいを考え直した男性が主人公です。2巻からは、地方移住者向けの不動産探しも始まりそうですが、時代を読み取ることは、マンガを描くうえで意識されているんですか?
マキ:『いつかティファニーで朝食を』を描いていたときも、そういうふうに言っていただけることが多かったんですが……第一話に関しては、連載が始まった時期がちょうど2020年のコロナ禍だったというだけで。毎日会社に行って、週末も出かけるのが自由だったころは気づかなかったけれど、自粛してみたら自宅周辺に飲食の環境がまるで整っていないことに気がついた、という人はきっといるだろうなと思っただけなんですよね。そこに、もともと紹介したかった浜町という街が重なった。むしろ浜町を描きたい気持ちが先行して、コロナ禍の青年に繋がったというほうが大きいです。
矢野(担当編集者):実際、街を取材するまで、ゲストキャラの詳細が決まっていないことの方が多いですよね。街を紹介していただく方にはよく「どんな人が住む場所を想定しているんですか」と聞かれるんですが、「見てから決めます」といつもおっしゃっている。
マキ:そうですね。吉祥寺ではなくて、この街じゃなきゃだめな理由、というのは、行ってみないとわからないなと思うので。基本的に、ゲストキャラにはみんな「引っ越さなきゃいけない理由」をもたせるようにしているんですよ。「しかたなく引っ越さなきゃいけないんだけど、せっかくなら今よりいい場所に移りたいよね。それで人生の風通しが前よりもよくなったら、いいよね」って。その魅力は、決め打ちで探すよりも、街を歩いているうちに自然と見つけたほうがいいんじゃないかと思います。
――では移住篇も、紹介してみたい地方の街があった、という理由で始めることに?
マキ:というよりは、紹介するのが東京の街ばかりなので、どうすれば富子と都子が外に出られるかなあと考えた結果、ですね。YouTuberとコラボするというのも、今っぽいといえば今っぽいですが、二人が東京の外で不動産を探す理由を考えたら、自然のなりゆきで浮かんだという感じです。「吉祥寺だけが住みたい街ですか?」と問いかけるのと同じように「東京だけが住みたい場所ですか?」ということも描いていけたらいいなと思っています。
――第一話の主人公のように、コロナ禍を経て、家が寝に帰る場所ではなく、暮らす場所であることを再確認した人。そして、リモートワークの推進によって「東京じゃなくてもいいんじゃないか」と考えるようになった人は、ますます増えましたしね。
マキ:東京から地方へというだけでなく、地方から地方へでも、自分にとって最適な場所は外にもあるかもしれないということを、これまで以上に広い視点で描けるのかなと思っています。今は、大分県・別府町と徳島県・神山町を取材したところなのですが、移住した方はみなさん、単なる引っ越しとはまた違う、地域に根差した暮らしを始められているんですよ。住む場所を塗り替えていくだけでなく、いかにその土地の文化を受容していくか、というところも描いていけたらなと思っています。
――ちなみに、前シリーズを含めて、描く街はどんなふうに決めているんですか?
マキ:私にとってなじみ深い街であることが多いですね。最近は車を買ったので散歩する機会も減ったけれど、お金がなかったころは旅先でもどこへ行くにも徒歩だったし、食べることが好きだからどの街へ行っても散策しておいしいものを探していました。青春18きっぷで旅行をするのも好きで、わりとローカルな旅もしているんですよ。
ただ、名物にあぐらをかいているような街はあんまり好きじゃない(笑)。たとえば北海道で「海鮮がおいしい」という呼び込みはめちゃくちゃ普通じゃないですか。東京だって、空輸して北海道産のおいしい海鮮を食べられる店はたくさんあるし、一日早いか遅いかの違いだけじゃん、と思ってしまう。それより、金沢のハントンライスとか、愛知のあんかけスパゲッティとか、グルメとカルチャーがミックスされたものに出会いたいんですよね。「なにそれ!?」って思わず食いついちゃうようなものを掲げて、人を集める努力をしているような街が、私は好きです。吉祥寺は、思い入れが強すぎてネガティブな感情も生まれてしまうけれど、「どこにでもあるような街」だって、そこに文化が感じられれば、私は好きなんですよ。
――前シリーズでも、恵比寿を舞台にしたエピソードがありましたよね。住むとなると高そうだし、暮らしにくそうなイメージだったので、一人暮らし8万円前後をコンセプトにしている本作で登場するのは意外でした。
マキ:あれはたしか、矢野さんの提案でしたよね。
矢野:地方出身の女の子が、キャリアップとともにどんどん住む場所をレベルアップしていく『東京女子図鑑』という小説があって、ドラマ化もされているんですけど、そのなかに恵比寿が登場していて。住みたい街ランキングにも、吉祥寺と並んで常連の街でもあるので、紹介してみたらおもしろいんじゃないかなと思ったんです。
マキ:『それでも~』の1巻は中央線沿いの街ばかりになってしまいましたけど、できるだけ偏りのないように紹介したいなと思っていて。恵比寿も、実際に不動産屋の人と歩いてみたら、人が集まるだけあっておもしろいスポットがたくさんありました。なじみのある場所だと思っていても、取材の観点で、その土地をよく知っている方に案内してもらうと「こんな景色があったんだ!」と驚かされることはたくさんあるんですよね。
――前シリーズの6巻でも、CAさんが馴染みのある蒲田を歩いて「こんなにもおもしろい場所だったんだ!」と再発見する場面がありました。
マキ:遊びにいくのと暮らすのとでは、やっぱり違いますよね。5巻で紹介した団地も、こんなに美しい風景が見られるんだと感動したし……。『それでも~』の1巻で紹介した高円寺は、吉祥寺にも近いから私も当然、何度も行ったことのある街なんだけど、「この場所から見える送電線がいいんだよ」なんて、住んでいる人じゃないと気づかないじゃないですか。毎回、その土地の魅力がいちばん伝わる情景を見開きで描くようにしているんですが、見上げた空に何本も走っている太い送電線を見たときは、あまりのかっこよさに「これだ」って思いましたね。
矢野:逆に、「ここはきっとおもしろい場所がいっぱいあるだろう」と思った街が、案外特色がなくて描けなかったということもありますよね。
マキ:ありますね。賑やかな商店街と思いきや、普通の家とマッサージ屋くらいしかなかった、とか(笑)。そういう意味では錦糸町は、いいギャップがあってよかったな。JRAや飲んだくれのおじさんたちがいるお店のイメージが強かったけれど、それは南口側の話。北口側はファミリー層向けに開発されていて、意外でした。
――作中でも、味わいのあるあんみつ屋さんとロシアンパブが一緒に紹介されていておもしろかったです。
マキ:あとは、不動産屋さんに心理的瑕疵物件の話を聞いたときも、おもしろかったな。とある街に、誰が死んだわけでもないのに、「大島てる」(事故物件情報がまとめられた物件公示サイト)で炎マークがつくくらい、おかしなことばかり起きるマンションの一室があって。あるとき、そのマンションの前を通りかかったら、その一室だけなんか奇妙な感じで部屋のドアが開けっぱなしになってたんですよ……。実際に住みたくはないけれど、そういう裏話を聞けるのは、取材の楽しみでもあります。
――作中でも、安いからという理由で心理的瑕疵物件を渡り歩く女性が登場しますよね。
マキ:まあ、気にならなければそれもありですよね。実際、東京の家賃は高いですから。私も昔、家賃7万円くらいのマンションで暮らしていたし、本当はゲストキャラの予算もそれくらいにしたいんだけど、不動産屋さんとお話していたら、その金額では住める場所が本当に限られてくるということで、8万円前後ということにしています。読者の方からは時々「蔵前のこんなマンション、8万円じゃ無理だろう」みたいな声もいただきますが、それはファンタジーもまざっているということで、ご容赦いただきたいです。ただ、地元の不動産屋さんと話していると、実際に掘り出し物はあったりする。吉祥寺がいいと思い込んでいるのと同じように、本当にその設備は自分に必要? みたいなことを一つずつ検証していくと、案外、想定していたのとまったく違う、自分にぴったりの家が予算内でも見つかるかもしれないよ、とは思います。