遠野遥が語る、異彩を放つ初長編『教育』執筆の背景 「小説は小説であってそれ以上でも以下でもない」
受験勉強が、すごく好きでした
――学校の勉強は好きなほうでしたか。遠野:学校の勉強は大好きですね。学校の勉強をしていれば怒られないし、ほかのことを考えなくてすむので、めちゃめちゃ楽しかったですね。
――質問に食い気味の即答でしたね。
遠野:受験勉強が、すごく好きでした。私は塾の先生をやっていたことがあるんですけど、大半の子どもは勉強なんてできればしたくない。全然自分と考えかたが違うから難しかったです。勉強はしたくないっていうのがまず自分と出発点が違う。どうやって勉強してもらえばいいんだろうとそれが難しかったですね。
――学校に行きたくないという感覚はなかったんですか。
遠野:あー、それはまたべつもので、学校はあまり好きじゃなかった。塾でひたすら1人で勉強しているのが好きで、学校はやっぱり勉強以外のこともいろいろあるし、行きたくない時期もけっこうありました。
――デビューしてから短期間で注目され、これまで取材を受けたり、書評を書かれたりいろいろあったでしょうけど、自分の作品への反応をどんな風にとらえていますか。
遠野:感想のほとんどは、そうだよねというか、当然そういうのもありますよねっていう想定の範囲内であることが多いと思います。
――遠野さんの作品を語る時に「虚無」とかいわれるのも、それはその通りという感じですか。
遠野:そういう風にいうこともできるかなと思っています。本の帯かなにかに書いてあったので、書いてあれば読者もそういうだろうなって。
――大きな質問をしてみますけど、小説とはなにか。
遠野:「~とはなにか」という質問、いろいろなところでみますけど、そのたびにあまりよくわからない感じがします。小説は小説であってそれ以上でも以下でもない。
――気の早い話ですけど、『教育』の次の作品にはもう手をつけているんですか。
遠野:準備は始めていて、だいたいのことは決まってきました。だいたいというのは、主人公が今回は2人制で、30歳くらいの美容外科医と中学生の女の子が交互に語っていく。形式だけみると村上春樹の『1Q84』みたいな形式で進む話です。
――次作はさらなる意欲作になりそうですね。楽しみにしています。