遠野遥が語る、異彩を放つ初長編『教育』執筆の背景 「小説は小説であってそれ以上でも以下でもない」
長いセリフを書くのがすごく好き
――『教育』の特徴は作中作の多さです。『改良』、『破局』には一人称で書かれているなかで、主人公と対峙する相手が一人語りを長々する場面がけっこうありました。対面しているから会話のはずだけど、相手をどこまで意識して話しているのか、その話を主人公がちゃんと聞いているのかわからない。それこそ一人語りが作中作的なものになっていました。今回の作中作は、以前の一人語りの発展形なのかなと思ったんですが。
遠野:発展形ということはないです。ただ、一人語りについては、意識していました。長いセリフを書くのがすごく好きで、書いていて楽しいんです。なので書いています。
――対話と一人語りでいうと、デビュー作から性を重要なモチーフにし続けていて、相手がいるセックスとともに自慰行為についてもけっこう書いていますよね。さらにいえば、『破局』でスポーツを扱った際も、複数でやる試合や練習と一人でやる筋トレが出てきた。相手がいる行為と一人でする行為をいくつか重ねて小説ができているように読めたのですが。
遠野:意識してないですね。その発想はなかったです。
――質問が次々に空振りしていく……。作品に謎が多いのでいろいろ深読みしたくなります(笑)。『教育』では催眠の場面でお化け屋敷、遊園地が出てきますが、これは主人公たちがいる学校をべつのものに喩えた話、一種の寓話のようなものでしょうか。
遠野:寓話として書いたら面白くないかなと思いつつ、まったく無関係だと読む動機に欠けてしまうから、ちょっとつながるところもあるかなくらいで書いたつもりです。
――主人公のルームメイトが手芸部だとか、この学校にはいろいろ部活が出てきますけど、主人公がかかわるのは翻訳部、催眠部、演劇部です。外国語を訳す、催眠にかかる、役を演じる。どれも、ある状態からべつの状態へ移るものばかりですが、意図して選択したんですか。
遠野:意図して選択したんですが、理由は違うところにあって、翻訳部も催眠部も演劇部も挿話が書きやすいんです。翻訳だと本筋と関係ないべつの物語を入れられるし、演劇もべつのストーリーを演じられる。催眠もまったくべつのストーリーを喋れるからそのためにそういう部活に設定したのが大きい。
――挿話を書こうというのが小説を書くモチベーションとして大きかったんですか。
遠野:挿話って本筋との……なんだろうな……挿話って自由に書けるので楽しいんですよ。本筋とまったく無関係だとよくないよといわれたんですけど、本筋との整合性を考えずにべつの話をできるから気持ちがよくて、それでたくさん入れたくなりましたね。
――作品を完成させるまでに推敲したでしょうけど、削ってこの形になったのか、逆に加筆してこの形になったのか。
遠野:あまり削ってはいないです。むしろ途中で登場人物を増やしたりして膨らませていった感じです。
――誰を増やしたんですか。
遠野:海(活字中毒の落第生で翻訳部)ですね。海はプロットの段階ではいなくて、最後の2ヵ月くらいで急に出したキャラクターでした。自分のコントロール下にないキャラクターなので逆に一番思い入れみたいなのがあります。
――海はかなり前半から登場しますし、足すとなると全体的に手直しする形ですよね。
遠野:そうですね。
――以前、磯崎憲一郎さんとの対談(「文藝」2019年冬号)で女装を扱った『改良』についてジェンダーやセクシュアリティがテーマではないと話されていましたが、今回の『教育』で学校の状況に適応できないのは女子生徒ばかりです。
遠野:まあ、いろんな生徒がいますけど、ざっくりみればそうですかね。
――ディストピアものだとセックスに関して禁欲的な方向でも快楽的な方向でも管理する設定はよくあって、そこでジェンダーの差異を描くことはあります。新作でもジェンダーやセクシュアリティはテーマではないのでしょうか。
遠野:なにかをべつに強調したいとは思っていないですね。これがテーマですとあんまりいいたくない。作者がいってしまうと、そういう読まれかたをして、読まれかたが限定されてしまうからいいたくないんです。
――これで3作書いたわけですが、デビューしてすぐは2作目を書くのが大変だといわれたと思います。今度の3作目を書く時にいわれたこと、特に意識したことはありますか。
遠野:いわれたのは、中編を2つ書いたから次は長いものを書いたほうがいい、長ければ長いほうがいいといわれて、とりあえず300枚になったんですけど、そういう風にいわれていなかったら同じくらいのサイズで書いていたかもしれないです。その編集者からの言葉はけっこう影響があったと思う。
――3作目までのホップステップジャンプはどんな感じだったのでしょうか。
遠野:……自分だとよくわかんないですね。周りからみたほうがわかるんじゃないかな。
――自分が小説を書くことは、なにかを改良している、教育している、訓練しているという感覚なのか、楽しみなのか。
遠野:どっちかというと楽しみですかね。なにかのためにやることではない。
――読書に関しても編集者や作家からこれを読んだほうがいいよといわれることがあるでしょう。
遠野:読書に関しては、逆に鍛える目的で読むことが圧倒的に多い気がします。趣味でこの本が面白そうだからって読むことはほとんどなくて、『教育』を書くうえで参考になりそうだから読むみたいな読みかたが多い。
――遠野さんはこれまで読んできた作家として真っ先に夏目漱石をあげていたと思いますが、デビュー後に読んだもので特に印象的だったものは。
遠野:『教育』を書いたあとなんですけど、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』とマルキ・ド・サドの『ソドム百二十日』を読んでどっちも凄いなと思いました。