『スナックキズツキ』は益田ミリの集大成だ 「標準」が失われた時代に向けられたメッセージ

益田ミリの集大成『スナックキズツキ』

 総務省の統計局の家計調査においては、夫婦と子供2人の4人で構成され、有業者は世帯主一人だけの世帯を「標準世帯」と呼ぶそうだ。父親は会社員、母親が専業主婦、子供が2人……伝統的な昭和の家族というイメージが浮かぶ。なお、現在の統計では「標準世帯」は総世帯数の5%以下となっているという。今は「標準世帯」以外の世帯のほうが圧倒的に多いのだ。はい、このコラムは何の話をしようとしているのでしょうか、益田ミリ作品の話です。

 たとえば、12年に実写映画化にもなった『すーちゃん』シリーズの主人公は、2階建てアパートの1Kで1人暮らしする独身アラフォー女性。そして『泣き虫チエ子さん』シリーズは結婚11年目の子供のいない共働き夫婦。今年アマゾンプライムビデオで実写ドラマ化された『僕の姉ちゃん』シリーズは、親の海外赴任の間2人暮らしをしている年齢の離れた社会人の姉弟、『沢村さん家』シリーズは定年退職した会社員と専業主婦の夫婦と40代独身の娘で構成された平均年齢60歳の家族。こうやって並べてみると、伝統的な「標準家庭」が失われ、多様な世帯になった時代を描いているようにも見える。

 そして、もはや「伝統」は「標準」ではなくなった今でも「こうあるべき」と掲げる理不尽な人々もこの社会には少なからず存在する。益田作品の主人公たちも、そういった理不尽に対して抵抗をしめす。とはいえ、スマホマンガ広告に出てくるような読者をスカッとさせる派手な復讐ではない。たとえば、『泣き虫チエ子さん』のチエ子は、夫婦間のプライバシーを詮索するデリカシーのない人間の前で「うっかり」お茶をこぼすくらいで、『僕の姉ちゃん』の姉・ちはるは、家の中ではスカッとするセリフを口にすることもあるが、そういった言葉が直接物語に作用し、彼女たちの住む家の外で大きな事件を生むこともない。こう書くと、平坦でつまらない話のように感じてしまったら申し訳ない。ドラマチックな展開がないゆえに、浮かび上がってくるものもある。

 ほぼ同じサイズのコマのみで展開する独特のスタイル、素朴な描線とシンプルな絵柄、くすっと笑え心に響くセリフで、「人それぞれだよね」だとか「どっちもどっちだよね」で済ませるのではなく、特定の誰かの価値観や概念におもねることなく「それぞれの人生」を丁寧に磨き上げていくような作風。シンプルな絵柄やコマ割りも、他のマンガなら「モブキャラ」扱いになってしまうかもしれない「ふつう」の人々の人生に光を当ててくれているような気持ちになる。

 そして、今年描き下ろし単行本で発表され、今秋テレビ東京系列でドラマにもなった『スナックキズツキ』は、そういった意味では益田ミリの集大成のような作品になっている。

 年齢も性別も職業もバラバラで、それぞれの日々を精一杯生きている人々が、傷ついた人にしか見えないという路地裏にある「スナックキズツキ」に訪れるという連作ストーリーだ。たとえば1話の主人公、コールセンターで働く「ナカタさん」に登場するクレーマーは、2話の主人公「アダチさん」である。1話を読んだ読者は、理不尽なクレームに耐える「ナカタさん」に共感し、そのクレーマーを疎ましく思うかもしれないが、2話で「アダチさん」と名前がついた彼女にもまた、別の社会で小さな理不尽に自尊心を削られ、傷ついている存在なのだ。

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