松田青子が語る、世界幻想文学大賞受賞の背景 「英米では小説のもつ批評性を認めてもらった」
世界の女性たちとつながれる小説
――日本と英米の受け止め方に違いは感じましたか?
松田:英米では小説のもつ批評性を認めてもらった印象があります。それって日本の文学シーンでは、ほとんど評価されない部分じゃないですか。日本ではよく「政治的なものは文学じゃない」と言う人がいますが、日本で評価されない部分こそが海外で評価される、というのは面白い現象だと思いました。
――フェミニズムが作品の根底にあることも、英米では当たり前に評価されています。「ニューヨーク・タイムズ」では「In this "delightfully uncanny" collection of feminist retellings of traditional Japanese folktales(日本の伝統的な昔話をフェミニストがリライトした"愉快で不気味"な作品集)」というレビューが掲載されました。
松田:そうですね。英語圏では作品にフェミニズムが搭載されているのはめずらしいことでもなんでもないでしょうし、その上で何を書いているのかということが問われてくる。それに、スペキュレイティブ・フィクションやファンタジー作品に与えられる賞の候補になったり、受賞したことで、あ、やっぱりそうなんだって思ったんです。私は普段ジャンルを気にして書いていませんが、私の本はそういう分野のものでもあるんだなと。日本では、「女性作家の作品」でしかなかったので。
――読者からの反応はありましたか?
松田:書評のほか、英語圏では#bookgramという、きれいに飾り付けた本の写真にレビューをつけてInstagramに投稿する文化が盛んなので、それを見ていました。現代は、遠くにいる読者のフィードバックを直接すぐに見られることで、自分が書いたものとのつながりを楽しむことができる。それは今、海外で本を出せて良かったことのひとつです。そういう感想や評で一番よく目にした言葉が「related to」だったんです。
――「つながる」という意味でいいですか。
松田:つながったり、共感できる、ということだと思うんですが、『おばちゃんたちのいるところ』は英米版どちらも、作品のエッセンスがより早く伝わるように、収録の順番を変えたり、最後に原典の要約も載せているんです。そういう工夫もあったからか、日本の怪談や昔話なんてぜんぜん知らない人たちにつながるもの、共感できるもの、として、この本が届いた。それはとても特別なことだし、嬉しかったです。私の他の短編「女が死ぬ」や「もうすぐ結婚する女」なども英訳されているんですが、それを読んだ海外の女性たちが「うちの国も同じだ」って言うんです。日本はジェンダーギャップ指数が世界120位でぼろくそ低かったりするけど、指数が高い国の人たちも「自分たちもそうだ」と。どこの国でも過去や今、性差別やあらゆる差別があって、それを共有している。それは悲しいことだけど、ぜんぜん違う国や環境や世代に生まれ育っている人とつながることもできるのだと実感しました。
――松田さんが日本語に翻訳したカレン・ラッセル、アメリア・グレイ、カルメン・マリア・マチャドも『おばちゃんたちのいるところ』を賞賛していて、国を超えたつながりを強く感じました。あと、大部分の書評では、ユーモアや楽しさの部分も評価されていましたよね。リズムやエッセンスも含めて、ちゃんと伝わっているのもすごいです。
松田:翻訳したポリーさんの力も大きいと思います。英米のインタビューでよく指摘されたのは、楽しさや遊びの部分もそうですし、物語の一編一編がゆるくつながっていて、人称の扱いや文体が各短編によって違うこと。直感的に形式を選んで書いているので自分には難しいことじゃないんですが、印象的だったみたいです。あるレビュアーが「ジャズセッションのようだ」と書いていました。
――日本の作家であることを強調するレビューはあまりありませんでした。
松田:確かに「これが日本の文学だ! 日本を知るために読むべき!」といったものは見なかったような。アメリカ版『おばちゃんたちのいるところ』の表紙には、エンブレムのように、カエルのイラストがデザインされているんです。最初はもっとガチでカエルが描かれた表紙が、これ、どう?ってアメリカ版の担当編集者さんから送られてきて、なぜに、カエル??って戸惑ったんですが、聞いてみたら、「「休戦日」に出てくるカエルのガムちゃんはこの世の性差別に対抗する象徴だと感じていて、この本自体がガムちゃんみたいだから、カエルのモチーフにした」という答えが返ってきたんです。あと、アジアの作家の翻訳本は表紙にアジア人女性の身体のパーツ……おかっぱ頭に赤い唇とかが使われることが多いのですが、「それは人種的な偏見を固定するものだから、私たちはやりたくない」と彼女が言っていて、めちゃくちゃわかる!と膝を打ったので、最終的にあの装幀になりました。
イギリスのTilted Axis PressもアメリカのSoft Skull Pressも小さな独立系出版社ですが、白人中心主義的な文学ではなく、多様な国の人、多様なルーツを持つ人たちの声を届けようとしていて、なにかと尖っている印象があります。英米の話として、だいぶ時代が変わってきているというものの、やはり大きな出版社から出た本のほうが賞の候補になりやすいと聞いたことがあるのですが、そういう小さくて尖った出版社から出た、日本人作家のふざけ散らかした本が、最終的に世界幻想文学大賞を受賞したというのは面白い結果になったなと思います。
――「ニューヨーカー」の書評に「楽しさで書き換えることこそが資本主義への抵抗だ」という一文がありました。この本の刊行をめぐる出来事もそんな感じで、楽しさで貫かれていたんですね。
松田:楽しさと、個人的なつながりからできあがった英訳版がこういった賞に結びついたことは、自分にとっても励みになりました。実は世界幻想文学大賞の発表の日を私と日本の担当編集者さんがちゃんと確認していなくて、ある日起きたらTwitterに知らない海外の方から「おめでとう!」って。寝起きの半目でリンクを見たら受賞していました(笑)。だから賞の候補であるストレスも一切感じることなく楽しいまま終わりました。今、10カ国近くで翻訳出版されることが決まっていますが、現在進行形で幸せな本だと思っています。
■松田青子(まつだ・あおこ)
一九七九年、兵庫県生まれ。同志社大学文学部英文学科卒業。二〇一三年、デビュー作『スタッキング可能』が三島由紀夫賞及び野間文芸新人賞候補となり、一四年にTwitter 文学賞第一位。一九年に短篇「女が死ぬ」がアメリカのシャーリイ・ジャクスン賞短篇部門の最終候補に、二一年に『おばちゃんたちのいるところ』がレイ・ブラッドベリ賞の候補となったのち、ファイアークラッカー賞、世界幻想文学大賞を受賞。その他の著書に『英子の森』『持続可能な魂の利用』『男の子になりたかった女の子になりたかった女の子』『女が死ぬ』、翻訳書に『狼少女たちの聖ルーシー寮』『レモン畑の吸血鬼』『AM/PM』『問題だらけの女性たち』『彼女の体とその他の断片』(共訳)、エッセイ集に『ロマンティックあげない』『じゃじゃ馬にさせといて』『自分で名付ける』などがある。
■書籍情報
『おばちゃんたちのいるところ――Where The Wild Ladies Are』(中公文庫版)
2019年8月22日刊行
税込704円
ISBN 978-4-12-206769-1
公式ホームページ:https://www.chuko.co.jp/bunko/2019/08/206769.html