町田そのこが語る、母と娘の向き合い方 「自分の人生は誰にも譲ってはいけないし、責任を押しつけてもいけない」

町田そのこが語る、母と娘の関係

私も歳をとったらこういう家に住んでみたい

――貯金も底をついてしまい、千鶴はラジオ番組に母親との夏の思い出を投稿するわけですが、これが賞をもらい、5万円を獲得します。それをきっかけに、母・聖子と現在暮らしている恵真という女性が訪ねてきて、弥一から逃げるためにも、ともに暮らすことになる……。

町田:最初、母娘の再会はもう少し湿っぽくしていたんです。聖子も、千鶴同様、けっこう、うじうじした女性だと思っていたので。でも、泣きながら詫びられても、気が晴れるどころかむしろ「そんなに後悔するなら、どうして捨てたんだ!」って思うんじゃないかな、と聖子の性格を真逆に変えてみたら、物語がすごくスムーズに動きはじめました。娘を捨ててまで自分の人生をつかみとろうとしたなら、その責任をもって胸を張って生きていてほしい。そう思ったら、彼女がどんな人生を歩んできたのか、千鶴と一緒に追いかけていく物語にもなったような気がします。

――悪びれないことに、それはそれで千鶴は腹を立てますけどね。しかも、聖子と一緒に暮らしている恵真は、実の娘のようにかわいがられていて、インスタでも有名になるくらい美人。自分を比較してしまうからなおさら、うじうじしてしまう。

町田:しかも、恵真はすごくいい子ですからね。あらゆる意味で千鶴の正反対だから、憧れると同時にひがんでしまう。でも、美しい子には美しい子なりの人生の障害があるだろうし、インスタを見るだけではわからない苦しみや傷もあるはずだ、ということも書きたかったんです。

――そこに家事の一切を引き受けている彩子さんがくわわった、シェアハウスでの共同生活。これは、最初から描こうとしていたものだったんでしょうか。

町田:そうですね。家族ってなんだろうと考えたとき、食事を一緒にとる関係なんじゃないかなと思ったんです。ふだんはそれなりに距離があって、ドライな関係なんだけど、毎日、同じ食卓で、その日あった出来事を話す。困ったことも、悩んでいることも。だからこそいざというときには支えあえる。そういう、私にとっての理想的な関係を彼女たちには託してみました。私も歳をとったらこういう家に住んでみたい。

――そんななか、千鶴と同じように母親に捨てられたと思って生きてきた彩子の娘・美保が登場します。高校生の彼女は、とある問題を抱えて彩子を頼ってくるのですが、彼女がまた自分本位にシェアハウスをかきまわすんですよね。

町田:彩子も、負い目から美保に気を遣いすぎて、冷静さを失っていきますしね。かつて幼かった娘にしてあげたかったことを、今の美保にやってあげても、それは成長した娘にまるで響かない。美保は美保で、かつてしてほしかったことを母親に求めてもいるんだけれど、本当は、今、目の前にいる自分をちゃんと見て、受け止めてほしいと思っているから、母親のズレた行動にイライラして、まわりにもあたってしまうんですよね。

――二人のすれ違いは、読んでいてすごく好きでした。ああ、親子だなあという感じがして。血が繋がった母娘だからこそ、再会して、いきなりうまくはいきませんよね。

町田:ありがとうございます。やっぱり、親って、我が子を前にするとどんどん自分らしさを失っていくものなのかもしれないなと書きながら思いました。距離感を見失ってしまうんですよ。私自身、子どもたちに自分の価値観を押し付けすぎていると感じることは多々ありますし、他人ならば程よい距離感で成立させられることが、どうしても我が子相手だとできなくなる。娘は娘で、一個人としてではなく“母親”という生物として接してきますから、甘えが出るでしょうし……。

自分の足で歩きだす意志が必要

――千鶴のように「お母さんが私を捨てたからこんな人生になってしまった」という恨みを抱き続けるのも、ある意味では、甘えですもんね。

町田:私の親はわりと厳しくて、束縛されて育ったので、もっと自由にさせてくれていたら自立心のある子に育って、人生も豊かだったに違いない、と思っていた時期がありました。でもそうじゃない、私の人生は私がどうにかするしかないんだってことに、気がついたのは30代後半になってからでした。もっとはやく、20代のうちに「そうじゃないだろ!」って誰かが私のほっぺたを張ってくれたらよかったな、って思うんですけど(笑)。

――千鶴は、結城さんにそれを言われますね。千鶴より少し年上のイケメンですが、聖子のかかりつけ医であり、ボーイフレンド。ひがみ癖が抜けず、恵真に八つ当たりした千鶴に、彼が言った「自分の人生を、誰かに責任を取らせようとしちゃだめだよ」「そういうのは十代のうちに整理しておけ」というセリフは、刺さる読者も多いのでは。

町田:あれは、私が言われたかったセリフなんですよ。ある人物が、母親の葬儀で「お母さんから卒業しないといけない時期が来たのよ」と言われる場面がありますが、それも言われたかったというか、もう少しはやく卒業と自立について意識できていたら、しっかりした人間になれていたかもしれないな、という想いは今作に込めています。

――むずかしいですよね、母と娘の関係って。同化しやすいし、されやすい。作中に出てくるとあるお母さんがことあるごとに「わかるわ」といって、娘をコントロールしようとするのも、けっこうぞっとしました。共感できる、わかりあえる、ってとても素敵なことだけど、同調圧力になって相手を支配しかねないおそろしい言葉でもあるんだなと……。

町田:母娘に限らず、そういう空気ってありますよね。学生のころなんかとくに、「わかる」って言わないといけない雰囲気ありませんでした? 流行っているもの、みんなが好きなものに「私も!」って言わされてしまう。それで私も全然興味のない芸能人の話をしたり、マンガを読んだり、流行っていたSUPER LOVERSのバッグをお小遣いはたいて買ったりしました。そのお金で、どれだけの文庫が買えたことか……!

――(笑)。

町田:ただ、母親が娘を共感で選択を誘導しようとするとき、それは所有物として扱ってしまっているんですよね。もう一人の自分のように思ってしまっている、というのもあるのかな。私も、娘に似合うと思って買ってきた服を、気に入ってもらえないと「なんでよ!」ってちょっとイラっとしてしまう(笑)。それは私が娘のことをいちばんよくわかってるはずなのに、ということで、よくないなと気づいて控えるんですけど、「どうして私の“わかる”が理解できないのか!」と暴走するお母さんもいるだろうと思います。私の“わかる”の範囲で生きていればあなたは幸せになれるのよ、という、愛情のふりをした願いでもあるから、厄介ですよね……。

――さまざまな母娘関係が交錯しながら物語が進んでいくからこそ、ラストで聖子が言った「あんたの人生のために、私の人生があるんじゃない」という言葉は、響きます。

町田:自分の人生は誰にも譲ってはいけないし、責任を押しつけてもいけないと思うんです。相手が母親であろうと、娘であろうと。そして『52ヘルツ~』でも描きましたが、世の中にはたしかに自分のことを一方的に傷つけ、悲しませる人がいる。でも、それと同じくらい、助けてくれる人もいるはずなんです。ただ、その人たちに巡り合うためにはまず自分から“外”に出ていくしかない。千鶴の場合は、ラジオに投稿するというのが些細な一歩でしたけど、それが恵真との出会いに繋がり、ラジオディレクターの野瀬さんからはDVシェルターなどの知識も得ることができた。家のなかで泣いているだけじゃ誰も助けてくれないから、成人した女性であればなおのこと、自分の足で歩きだす意志が必要なんだということは、書きたかったことのひとつです。

――ちなみに、ラジオに思い出を買ってもらうというアイディアはどこから生まれたんでしょう?

町田:最初はただの思い付きだったんですけど、去年、ラジオに出演させていただく機会が増えたことで、媒体としてのおもしろさを改めて実感したんですよね。テレビと違って、集中して観なくてもなんとなくBGMとして流しておくことができる。何を話しているかわからなくても、人の声が優しく耳に響くのっていいなあ、って。それまであまり聴いたことがなかったんですけど、今はときどきラジオを流していて。「いつでも誰かが起きていて、場を盛り上げながらしゃべっているって、楽しい世界だな」って思います。

――いま、自分がひとりぼっちだったとしても、世界は必ず誰かと繋がっているんだってことが、ラジオを聴いているとなんとなく実感できますよね。

町田:自分の好きな音楽や俳優さんのことを、全然見知らぬ誰かも好きなんだなって、わかったりね。あと、千鶴は自分の大切な思い出が、たった5万円で買いとられてしまったことに、最初はショックを受けるんだけど、後生大事に抱え続けているよりも、“たったそれくらいのこと”にしてしまったほうがいい場合も、たぶんあって。大きな障害だと思っていたものも、遠く離れてふりかえってみれば小石くらいちっちゃく見えてしまうように、人は前に進み続けることで、傷も苦しさも乗り越えていけるんだろうと思います。

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