テリー伊藤が語る、おもしろい演出の極意 「厄介な人はいつの時代でもいて、僕は好きなんです」

テリー伊藤が語る、テレビとネット

厄介な人をどう生かすかを考えるのが本当の演出家

ーー演出では、一般の人たちをどう笑わせるかというところで、カメラワークであるとか、素人の使い方とか、さまざまな方法が考え出されたんでしょうか。

伊藤:それはお金がなかったのもあるような気がするんですよ。僕らがいたのは IVSテレビという制作会社だったから、芸能プロダクションに電話しても「なんですか? それ」って邪険にされるんです。あの頃だとピンクレディなんて夢のまた夢で、それこそマドンナを使うのと同じぐらいの距離感ですよ。それでタレント名鑑を見て、空いてそうで面白いなと思う人を選んでくわけです。逆にプロダクションに「すみません、誰か空いてませんかね?」と聞いたりとか。そうするとタレントに頼ることができない。自分たちのネタ、物の作り方の面白さがないと、番組作りができなかったんです。

 それと、今もそうなんですけど僕は人と接するのがすごく好きで、素人さんと付き合うのが好きだったんですね。ロケで「ああ、この人面白いなあ」とか、「この人、近所では嫌われてるんだろうな」とかいう人がいれば「ちょっと番組に出ない?」と誘う。これにはコンセプトがあって、「自分ちの隣に引っ越してきてほしくないなー」って人(笑)。そういう人はテレビ的には面白いんですよ。

 そういう厄介な人はいつの時代でもいて、僕は好きなんです。でも最近のテレビでは、正義のふりして、そういう人の首を真綿で絞めるようなやり方ばかりが目につくな。色んな人を魔女狩りみたいにして責めてるよね。

ーー一般の方を取り上げるにしても、責めたてるとかいうのではなく、もっとその人の良さを出そうと。

伊藤:そうだね。あと基本的には笑いだからね。そういう厄介な人をどう生かすかってことを考えるのが本当の演出家なんですよ。責めることなんて、ネットで人のことを批判してる人がやってればいい話で、クリエイターはそんなところにいちゃいけないんです。土俵際の人をどう助けるか、どう面白がるかってことがクリエイターの使命だから。土俵際の人の側に立ったとき、最初は批判もあるかもしれないけれど、世の中の価値観なんか一瞬にして変わるよ。

ーーやっぱり批判を最初から恐れてたら何も面白いことできなくなっちゃいますね。

伊藤:批判は嫌ですよ。でも批判を恐れるという発想よりも、面白いことは何かが先なんです。最近、新型コロナウイルスのワクチンを2回打って、その副反応で俺は絶倫になったってよく言ってるんですよ。副反応についてネットでネガティブな情報をかき集めて流すのは、次元が低いです。どんなに面白いことがあったかってことを言わないと。

ーーその話と少し通じるのかもしれませんが、フェイクの面白さというか、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』だと平均的な日本人のデータから導きだされた人物の一日を追いかけた「日本一平凡な男をさがせ!」みたいな企画もありました。

伊藤:鈴木さん!

ーー番組で用意した人が鈴木さんを演じる、フェイクを織り交ぜたドキュメンタリーという。

伊藤:ガンジーオセロもそうですよね。

ーー決してぜんぶ本当である必要なんてないんだっていう。

伊藤:それってプロレスをエンターテイメントとして捉えるか、真剣勝負と捉えるかと近いと思うんですよ。ムキになって「プロレスは八百長じゃないか」って言っててもしょうがないじゃない? プロレスって意外と成熟してるんですよね。それと一緒で、テレビの阿吽の呼吸、俺はお約束という言葉を使ってるんだけども、この程度のことに慣れていないと、世の中はもっと悪い人いっぱいいるからさ。テレビの画面の中で騙されちゃダメだよ。さっきの話でいえば新型コロナのワクチンの副反応についてYouTubeとかでネガティブなこと流してるのは、あれで金儲けしてるんですよ。そういうことを読み取れないとつまらないし、ネガティブな捉え方ばっかりしてくようになってしまう。それよりもっと、断崖絶壁で面白いことは何かっていう風に考えないとさ。

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