テリー伊藤が語る、おもしろい演出の極意 「厄介な人はいつの時代でもいて、僕は好きなんです」

テリー伊藤が語る、テレビとネット
本橋信宏『出禁の男 テリー伊藤伝』(イースト・プレス)

 数々のヒット番組を世に送り出した天才ディレクター・テリー伊藤氏。彼が若き番組制作者だった頃からの知り合いでもある本橋信宏氏の手により、その活躍ぶりを克明に記録した『出禁の男 テリー伊藤伝』が出版された。

 本書には、面白さの定義を塗り替えるような革新的な番組作りの模様が、ともに汗した仲間たちの証言も交えて描かれている。今日ではテレビのみならずYouTuberなどにも影響が見て取れる数々の手法は、どのような背景から編み出されたのか。さらに、現在のテレビやインターネットは彼の目にどう映っているのか、テリー伊藤氏本人に話を伺った。(宮田文郎)

面白いことを言うのと、それを映像にするのはまた違う才能


ーーテリーさんは大学卒業後、お寿司屋さん2軒などで働かれていますが、どれも長続きはしませんでした。そこからテレビ業界に飛び込んで「ここはやっていける」という確信みたいなものはすぐに感じられたんでしょうか。

テリー伊藤:今言われたように最初はお寿司屋さんにいたでしょ。あの当時、寿司屋さんで勤める人は、中学卒業して来るわけね。たとえば地方から東京に来て一旗あげてやろうというような人たちで、ガッツがあって気合が入ってるんですよ。僕は楽しいことしか追っかけてないようなのんきな普通の大学生で、夏は海に行って、冬はスキー行って、パーティーやって。どう女の子を口説いてやろうかとか、洋服にうつつをぬかしてるような。そうすると、勝てるわけないんですよ。それでお寿司屋さん2軒を逃げるように出て来ちゃったわけ。

 その後は喫茶店みたいなところでアルバイトやってたけど、その仕事もつまんなくて、やめてフラフラして。でも、僕は家が築地で卵焼き屋をやっていて、そこにもガッツのある中学出の同世代の人たちが働いてるわけです。その人たちから見ると、僕はバカ息子ですよね。大学卒業して、仕事もしない。家にいるといたたまれないわけだよね。しかも、今では引きこもりという言葉があるけど、2階で寝ていても、下で卵焼きを焼いてるから熱風であぶりだされるわけですよ(笑)。

ーー引きこもることもできない状況だったんですね。

伊藤:引きこもる場所もチャンスも時間も何にもなかったんですよ。家を出て行くしかないから、女の子の家に行くんだけど、その子も働いてるわけだよね。その間、俺は何もしないでその子の家にいるわけ。同級生は就職してるのに「俺って何なの?」って思ったよね。こんな生活してちゃダメじゃんって。ダメ男ですよ、単に。そのときに「俺の良さって何なのかな」って思って、自分の良さを詩みたいに箇条書きにしてみたんです。物書くの好きだったからさ。

 それで、本にも書かれてるけど、俺、学生時代にいろんな人を呼んでコンサートを開いて、自分で演出したことがあったんですね。学生運動で怪我して目が斜視になって、これじゃモテねーなーと思って、女の子にモテたい一心から一発逆転でコンサートを開いた。そしたら、それがけっこう大成功したんです。演出することや面白いことを考えるのは、あの頃ダントツだったよな、と。だったらテレビの演出やろう、テレビの仕事行こうと思ったんです。今ならYouTubeとかやりだしたかもしれないけど、当時はそういう術がなかったですから。

ーーそれでテレビの世界に入ったわけですね。

伊藤:でも、テレビの業界に入って、2、3回会議に出ても、そこの大人たちの言ってることがつまんないんです。自分たちも若いくせして、若者を若者として見てる。金を稼いでるから、その時点でリアルな若者じゃないんですよ。若者は金を持ってないし、稼ぐ術も知らないでしょ。俺はそういうリアルなところにいたから、言ってることがズレてるなって思った。学生時代にねるとんみたいなこととかパーティとかやってたから、全然俺の言ってることのほうが面白いって。まだまだテレビの敷居が高くて、今でいうコンプライアンスみたいな建前もあって、微妙に差がある。「あ、これいけるなあ」と思ったよ。それが入って3ヶ月か半年くらいかな。

 ただ、面白いことを言うのと、それを映像にするのはまた違う才能じゃないですか。松坂大輔はデビューした年にイチローとの初対決で三振を奪って「自信が確信になった」と言いましたよね。彼は高校野球で甲子園に出てすごく活躍してたから、確信という言葉を使えたと思うんです。だけど俺の場合、面白いことを言えたとしても、それを映像にしろよって言われたらできないんですよ。面白いことを映像にするには、やっぱり映像を覚える、編集を覚える、音のことを知るってことが必要だから。でも、テレビ局に入るってことは自動車教習所に入るのと一緒だけど、俺が入ったのはIVSテレビという少人数の制作会社だったから、基本がないんですよ。だから見よう見まねで、テレビ番組を見て「あ、そっかこういう風に編集するんだ」とか、人のやり方を見て覚えていったんです。それで1年半ぐらいで、だいたいこんな感じかなってことは掴めました。

ーーそれからさまざまな番組を作っていくなかで、今度は世間が求めているものと自分がやろうとしていることのズレを感じたエピソードも本に出てきます。壁に当たったときは、初心に帰ろうという感じだったんでしょうか。

伊藤:壁にぶつかったって気持ちは全然ないんですよ。その状況を面白いと思っただけで、壁なんておこがましいでしょ。仕事があって、なにかやれる機会があったわけだから。そのズレというのも、自分は24時間テレビのことについて考えているけど、一般の方だと昼間は働いていて、娯楽時間は家に帰ってからの3、4時間だよね。俺たちは24時間考えてるんだから、それはズレてくるよね。そこでバランスを取ったらつまんないなと思いましたね。だからこそ『お笑い北朝鮮』(1993年出版/コスモの本刊)みたいなことも考えられたのかもしれない。



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