朝井リョウが語る、小説家としての心境の変化 「不確定な状態が自然なんだと受け入れられた」

朝井リョウ『正欲』インタビュー

 朝井リョウの新作小説『正欲』(新潮社)が、各所で話題だ。作家生活10周年を記念する作品となった『正欲』は、朝井にとって「小説家としても一人の人間としても、明らかに大きなターニングポイントとなる作品」であり、実際に書きながら様々な発見があったという。作品の特性からあらすじの詳述は控えるが、人間の欲望や社会の眼差しといったものについて考えさせられる作品であり、特設サイト(https://www.shinchosha.co.jp/seiyoku/)では刺激的な感想が並んでいる。本書はどのように執筆されたのか、ライターの速水健朗が迫った。(編集部)

自分の意思というものは、本当はないんじゃないか

朝井リョウ『正欲』(新潮社)

ーー小説で「社会の見方が変わる」ことってありますよね。『正欲』は世の中の規範が変わりつつある時代の中で、「ダイバーシティ」とか「新しい生活様式」といった言葉とともに書かれています。少数派の意見だったことが多数派になったりする。ただ本書はあらすじだけ説明するのは難しい話でもあると思いました。

朝井:端的にあらすじを説明しなければならない場は実はあまりないのですが、書店で色紙に書く一言メッセージというのは作品を表すフレーズになると思っていて、今回はそこに「生きることを前向きに捉えたくて書きました」と記しています。先程挙げていただいた言葉は、作中に頻出させようと決めていたものではなく、書いているうちに出てきたものなんです。私の中で今作のテーマは【生と死のうち、生を選び取るきっかけになりうるものとは】というものです。なので、今作は、今まで書いた本の中で一番「生きるを選択する」ことを前向きに咀嚼できた気がしています。

ーー「生きることに前向き」といっても読者の中には「朝井さんのことだから、きっと捻ったメッセージを投げかけているはずだ」というフカヨミもされますよね。ちなみに読者からの反響はどんな感じですか。

朝井:(収録は4月上旬)まだ発売されたばかりなので、読者にどう届いているのかあまりわからないんです。そもそも小説って、実際に人が読んでいる姿を目にするわけではないですし、読者からの手紙もたまにいただく程度なので、反響がわかりにくいものなのかなと思います。だから本を出すたび、初めましての方々に差し出しているような感覚です。何十万部とか何百万部とかの作品であればまた違うのかもしれませんが。

ーーそれは意外です。逆にこれまでの本で「これは読者に届いている」と実感を得られたものは?

朝井:そうですね……タイトルをもじっていただくことが多いので、『桐島、部活やめるってよ』は、この一文だけでもこの世に残ってくれないかな、と思っています。でもこれは私以外の方々の手による映画のおかげというところが大きいですし、自分の書いた小説、特にその内容が世の中に届いていると思ったことはあまりないんです。

ーータイトルだけがひとり歩きするのもヒットしたからですよね。小説の話に戻ると、本作は「社会が変化を突きつけられたとき、ある意見が急に多数派になり、気づくとそれが自然と人々の合意を得て、中心的な価値観になっていく」という変化も描かれていると思いますが。

朝井:題材は【生を選び取るきっかけとは】というところなのですが、価値観の変化に関して言えば、先日『新潮 2021年5月号』で作家の村田沙耶香さんと対談したとき、「自分の意思というものは、本当はないんじゃないか」という話になりました。何かが起こったとき、それに対する反応は自分自身が決めているのか、それとも周りの動きによって生み出されているのか。普段、生活している中でも「これはこうなんですよ」と言われて、「ああ、そうなんだ」と判断するときがありますが、自ら納得しているのか、それとも周囲の空気から納得するに至ったのか、わからなくなるときがあります。そういう実感は自然と小説にも滲み出ていると思います。

ーー小説には食事の動画の話が出てきます。朝井さんは、最近、YouTubeで食事の動画ばかり観ていると語っていましたよね。食事の動画のどんなところに惹かれるのでしょう。

朝井:自分でもよくわからないのですが、大食い系も、1食分作って食べるだけの動画も作り置きの動画も、いろいろ観てしまいます。前のめりにというよりは、海や焚き火を眺めるように観てしまうんです。料理ってすごく難しいものでなければだいたい五段階くらいでできるなぁとか、醤油と砂糖とみりんと酒とニンニクでだいたいおいしくなるよなぁとか、料理が生み出されて食べられてまた0に戻るんだなぁとか、そういうことをぼんやり思っているうち次々に動画が移り変わっていく感覚です。

ーーそのコンテンツの消費の仕方は興味深いですね。

朝井:本当は頭を使いたくないだけなのかもしれません。もちろん参考になるものもあるんですけど、能動的には観ていないんです。

ーー単なる実用的なコンテンツとも理解できますが、それだけではないと。

朝井:自分の中にある「料理動画を観ていたい」というスイッチはこの数年で初めて出会ったものなので、戸惑いを感じています。その時間で他にできたこといっぱいあるだろうって思うくらい、すごく観ているので。

ーー何を気持ちいいと感じるか、楽しいと感じるかは、自分でも気付かないところにあるのかもしれないという話は、本作のテーマとも関連がありそうですが……。

朝井:はっきりと関連を説明するのは難しそうですが、私の感知していないところで繋がっているんだと思います。今回の小説ではそういうことが多くて、これまでの人生のいろんな場面で考えていたことが私の感知していないところで合流していて、その塊がどんと頭の中に登場したという感じなんです。日々考えていることが積み重なったり切り貼りされたりしていて、書く感情の総量みたいなものがもう出来上がっていて、さらに書きながらそれが予想外の形に膨らんでいったので、書き始めてからのスピード感はなかなかのものがありました。ただ、その、頭の中に現れた塊を表現するのにもっとも適した道筋ーーどういう順番で誰がしゃべって、どういう情報がどのタイミングで読者に明らかになるのか、一人称なのか三人称なのかーーといったパターンを探っていくのが、とても大変でした。

ーー人物やエピソードにリアリティを持たせるための取材って、小説家の方はするタイプも多いと思いますが、今回の作品でそういう取材ってしましたか?

朝井:検察官のことを何も知らなかったので、検察の仕事については取材をさせてもらいました。弁護士の方にも、事実関係の整合をはかるために読んでいただきました。それ以外の取材はしていないです。

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