吉田修一が語る、犯罪と文学【前篇】「犯罪は人間の生っぽさを突き詰めたところでしか生まれない」

吉田修一が語る、犯罪と文学【前篇】

 『悪人』(2007年)、『怒り』(2014年)、『国宝』(2018年)などの大作長編を次々と発表する吉田修一。1997年に『最後の息子』で文學界新人賞を受賞しデビューして以来、20年以上に渡って作家として活動してきた。作品は英語、仏語、中国語などに翻訳されるなど、世界的に注目を集めている。今回、『怒り』文庫版(中公文庫)の新装全面帯化、『国宝』文庫版(朝日文庫)発売を機に、『悪人』以降の長編代表作を振り返ってもらいながら、犯罪とフィクションの関係性、小説という技芸の道を極めることについて話を聞いた。(篠原諄也)

人間の生っぽさを描く「犯罪小説」

新装全面帯化の『怒り』(中央公論新社)

――吉田さんの長編代表作と言える『悪人』(2007年)、『怒り』(2014年)、『国宝』(2018年)について伺います。『悪人』を朝日新聞で連載していた37歳の頃に、作家として描く世界が広くなったと感じたそうですね。

吉田修一(以下、吉田):いわゆる私小説的な純文学からの脱皮というか、初めての新聞連載小説でもあったので、間違いなくこれまでの読者と違う方が読んでくれるだろうと思いました。初めて犯罪小説を書く意気込みのようなものがありましたね。初期の作品も通り魔の話の『パレード』など、犯罪を扱った作品を書いてはいるんですよね。ただ、正面からガッツリと罪を背負って書いてみようと思ったのは初めてでした。

――吉田さんは人が犯罪を犯す瞬間に関心があるとか。

吉田:語弊があるかもしれませんが、犯罪は人間の生っぽさを突き詰めたところでしか生まれないもので、その意味で色気があると思うんです。今日みたいに、たまにスーツを着て人と会っているようなときは、犯罪を起こさないような気がする。でも普段着の状態で、自分の気持ちやプライドを全部取っ払ったところでは、ちょっとした感情の動きで衝動的に何かをしてしまうかもしれない。それが犯罪を犯す瞬間なんじゃないかと。

 小説家なので、人間を描きたいと思っています。登場人物の人生で一番色っぽく生っぽい瞬間、真のクライマックスはどこだろうと考えます。たとえば『悪人』の清水祐一という男だったら、間違いなく犯罪を犯す時であり、光代という女性と逃避行している時です。もちろん全員が犯罪者というわけではない。盲目的な恋愛をしている時がクライマックスの人もいます。

――長崎の郊外で土木作業員として寡黙に働く清水祐一は、今の社会のシステムの中で「なぜか貧乏くじを引いてしまう人」と表現されていました。そういう人に光を当ててみたいと思うのでしょうか?

吉田:光を当てるというとおこがましいですが、清水祐一みたいな人がいたとしたら、声を聞いてみたくなります。あまり自分の言葉を持っている感じがしないというか、雄弁には語らないでしょう。もっと言うと、自分のことに興味すらなさそう。そういう人に惹かれるんですね。だからアプローチとしては、ノンフィクションに近いかもしれません。

――『怒り』の場合は市橋達也の殺人事件を元にしていますが、最初はテレビで彼の目撃証言を語る人に興味を持ったそうですね。

吉田:目撃証言で「自分の近しい人が市橋容疑者かもしれない」と話していたんです。身近な人が殺人犯かもしれないと思うことなんて、普通はなかなかないですよね。多少似ていると思っても、警察に電話するまではいかない。「あの人は殺人犯じゃないかな?」と反転するスイッチが入るのは、かなりハードルが高いと思いました。この目撃証言をした人は、いったいどんな人で、どういう心境なんだろうと思ったのがきっかけでした。

――犯人よりも、周辺の人の心境に興味を抱いたと。小説で犯人の動機を描くことはあまり重要でないと考えているのでしょうか?

吉田:動機を蔑ろにしていいとは思いませんが、あまり個人的には興味がないんです。犯罪を犯した本人さえも、本当のところはわからないんだと思う。わかっていれば自分でなんとかできるはずです。でも、人にはどうしてもうまくいかない時、どうしようもない時がある。そこで起こるのが犯罪だと思うんです。

――実際に昨今、世の中で起こっている無差別的な犯罪についてはどのように考えますか?

吉田:無差別的な犯罪は今に始まったことではないと思いますが、やはり透けてみえてくるのは寂しさでしょうか。

――吉田さんは小説を書く時に、正義の側に立たないことを意識されているそうですね。

吉田:そもそも、自分のことを正解だと思いませんしね(笑)。不正解なりにちゃんと生きていこうと。なので、小説でも「これが正論だ」という書き方はしてないと思います。以前、ノンフィクション作家の清水潔さんと対談をさせてもらったことがありました。すごく面白かったんですけど、物語の話になるとあまり噛み合わないんですよね。二人で話してわかったのは、清水さんは事件を追う側の視点で話すわけです。逆に僕は追われる側の視点で話すんですよね。

 清水さんは事件現場に100回くらい行くと言うんです。僕も実際にあった事件を元に書くことがあるので、そういう場合は事件現場には1回は行くけれど、長くその場にはいたくない。清水さんは事件を追いかけるから何回も行く必要があるのだけど、僕はそこから逃げるほうの気持ちで立っているので現場にいられない。ずっと、逃げる側の立場で小説を書いているんだと思います。

 ただ、いわゆる推理小説は追う側の視点で書いていると思います。でも僕とか、もしかしたら角田光代さんもそうなんでしょうが、ちょっと違ったタイプの犯罪小説を書く作家は、犯人側で書くわけです。もっと言えば、罪を犯すんです。警察は1年に何件も事件を解決できますが、犯人側はそうそう犯行はできない。10年に1度でも、かなりの極悪人ですよね。それに刑期もある。だから一つの小説を書き終えたら、やっぱり犯人と同じくらいの刑期は必要で、そうそう1年に何作もは書けないんですよ。

――『怒り』では米軍基地問題を扱っていますが、そうした社会問題を小説で描こうという思いがあるのでしょうか?

吉田:普段から強い問題意識があるというわけじゃなく、人を描こうとしているだけなんです。『怒り』では、沖縄、東京、千葉という場所に立ってみる。自分が沖縄に住んでいる泉ちゃんという女子高生の立場になってみた時に、轟音を立てて空を飛んでいく米軍の戦闘機の音はやっぱり聞こえてくる。そういった社会背景は『怒り』に限らず、登場人物の立場になると自然と目に入ってきます。

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