金原ひとみが語る、文学でしか救済できない領域 「間違っていることを正しい言葉で語る側面がある」

金原ひとみが語る、小説の領域

 金原ひとみ氏の短編小説集『アンソーシャル ディスタンス』(新潮社)が刊行された。コロナ禍で大学生カップルが世界を拒絶し心中旅行を企てる表題作、ウイルスを恐れて自宅に引きこもり、激辛料理暴食と自慰に耽る女性を描いた「テクノブレイク」などの作品が収録されている。

 パンデミック下の人々の絶望や分断を描いた理由とは? デビューから20年近くの時を経た今、小説や文芸シーンについて思うこととは? 金原氏に聞いた。(篠原諄也)

コロナで大きな意識の変化を感じた


ーー表題作「アンソーシャル ディスタンス」は、コロナ禍真っ只中の去年の春に書いたそうですね。

金原ひとみ(以下、金原):3月後半から4月にかけてで、まだわからないことだらけの時期でした。感染者が毎日少しずつ増えていく。でもどこまで正確に公表されているかわからない。政府の言うことはどこまで正しいのか。みんなが疑心暗鬼になっていました。コロナは未知のものだったので、特に人間の弱いところや嫌なところが剥き出しになった瞬間だったと思います。

ーー小説にしたのはなぜでしょう?

金原:本当に世界が変わるんじゃないかと思いました。いろいろなことが制限される。リモートになって人と会わなくなる。人間のあり方自体が変わっていくように感じました。

 恐怖心と同時に、高揚感もありました。こういうことじゃないかぎり変わらないような(社会の)凝り固まった価値観や不文律もあるので、大きな意識の変化が起こるのではないかと。

 短編執筆の依頼がもともとあって、別のプロットも考えていたんですけど、今コロナをまったく無視して書くことは難しかった。そこに対する姿勢を定めないと、これからの創作活動に影響を及ぼしてしまうんじゃないかと思いました。

ーーパンデミック下の心中旅行が描かれます。「不謹慎と言われるかもしれない」と思いませんでしたか?

金原:何を言っても不謹慎だとされる雰囲気だったからこそ、小説で書くべきだと思いました。一個人の意見として「コロナなんかよりももっと重要なこと、もっと絶望的なことがある」とは言いづらかった。私自身、そういう意見は口にしませんでした。(外出するべきじゃないなど)大きな声をあげている人たちは、ある側面から見れば間違っているわけじゃない。でも、そういうロジックが通用しない世界に生きている人たちのことを潰していいわけじゃないと感じました。

ーーコロナに対して様々な価値観を持つ人々が描かれていました。「アンソーシャル ディスタンス」の幸希の母は、手洗いとうがいを完全に徹底して、無駄な外出はするべきでないと考えている。幸希はそんなルールを強要されることをわずらわしく思っています。「テクノブレイク」では、主人公の芽衣が感染予防の意識が低い交際相手の蓮二が自宅に来ることが嫌になって、関係が悪化していきます。

金原:去年からコロナに対する反応は人それぞれでものすごく差があることに驚きと興味を抱いていました。まさに幸希の母みたいに「外出なんて何を考えてるの」と一刀両断するような人。一方でコロナよりも危機的なものに苛まれていて、コロナの存在すら目に入らないような人。人間ってここまで両極端でいろいろな反応があるんだという発見がありました。

 それは小説が今、言わなきゃいけないことだと思いました。表現の形態としても合っている。「アンソーシャル ディスタンス」は、一人称で沙南と幸希の二人の視点から描きました。そこから見える世界の違いを描くことで、広い意見を盛り込めたと思います。

 ある程度の差異がいろいろな摩擦を生む。理解できるところと理解できないところがあって、軋みあっていくのが人間関係だと思うので。コロナ後の小説に関しては「理解の及ばなさ」は大きなテーマになっていると思います。

ーー読んでいると、コロナ禍でモヤモヤとしながらも、大きな声では言えないような自分の気持ちを代弁してくれるかのような言葉が多くありました。

金原:個人のひとつひとつの声が聞こえづらくなりました。本当に大きな声ばかりが、行き交う状況になった。去年のコロナが始まった頃は、私自身も息苦しく押し潰されてしまうように感じていたので、世間からの抑圧に潰されてしまうような人たちの声を拾い上げたいなと思ったんです。

人間にはそんなにバリエーションがない


ーー金原さんは小説を書くときに、登場人物にどれだけ自分を投影させるのでしょう? 村上龍さんがデビュー作『蛇にピアス』の書評で「作者自身とルイとの関係性において誠実さが常に保たれている」「作者は登場人物たちと『共に生きる』のだ」と評していましたが、どの小説も金原さん自身と登場人物との関係性が気になります。

金原:デビュー以来しばらくは、わりと自分に近しくて理解できる人を書いてきました。一人称多視点で書くようになってからは、自分をある程度投影できる人、自分とは違うけれどちょっとは理解できるような人など、少しずつグラデーションはあります。ただまったくもって理解できない人は一人称では書きづらいですね。

 そもそも人間にはそんなにバリエーションはないんじゃないかと思っていて。どんな人でも、ある程度理解できるところがある。ドラマなどでとんでもない悪党が出てくることがありますが、そんなことはないだろうと(笑)。ヒーローも悪党も、超越的な存在として描いてしまうのは不誠実だと感じます。

 小説には私が理解できない人が出てくることもありますが、彼らなりの理を表現したいと思っています。たとえば、幸希の母は(二人が外出することなどに対して)嫌がらせのような言葉を吐く。でも彼女が切実な思いを抱えて主張していることがわかるように書くよう気をつけました。

ーー「アンソーシャル ディスタンス」では、二人が楽しみにしていたミュージシャンのライブが中止になってしまいます。去年から「不要不急」という言葉があふれましたが、「音楽や小説は生きるために必要なの?」といった意見について、どう考えますか?

金原:実際に音楽や小説があることで、自分の命を救われた実感がない人に対して、どうやっても伝えられないだろうなという壁は感じます。私は創作物に命を救われたことがある人と、そうではない人で、人間を二分して考えているところがあって、そうではない人とどう共存していったらいいのか、未だに模索しているところがあります。でもだからこそ、届くかどうかわかりませんが、小説という形で、表現すること、表現を享受することで生き延びてきた人のモノローグを書くことが重要だと思ったんです。

 人は生きてさえいればいいというわけじゃない。自分にとって生きるとはどういうことか、何をもって生きていると言えるのかを改めて考えないといけないと思います。みんながそれぞれで考えて、それを信念に生きていければいい。そこは絶対に他人が否定できない領域です。でも今は他人が持っている信念を叩き潰そうとする力が強く働いていることに、大きな不安と危惧を感じています。

ーー金原さんの人生において、小説とはどういうものですか?

金原:多分なかったら死んでたんじゃないかなって。どこかで諦めちゃっていたような気がします。書くことも読むことも含めてですね。小説がなかったらどれだけ苦しかっただろうと。読書も執筆も大きく息が吸える場所でした。本当にささやかな場所だけれど、大きな存在でした。もちろん、書く苦しみもありますが。



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