『亜人』は“不死の人間”を通じて何を描いた? 退屈に耐えられない、人間の本性
桜井画門の漫画『亜人』が完結し、最終巻17巻が5月に発売された。
本作は、死なない人間である「亜人」同士の熾烈な戦いを描いた作品だ。一度死んで初めて亜人かどうか判明する、IBMと呼ばれる黒い幽霊を操るなど、特異な設定とハードなバイオレンス描写で人気を博した。地に足の着いた人間味あふれるキャラクター描写も魅力的で、人間ドラマ、SFファンタジーアクションのどちらの視点で読んでも非常に完成度高い作品と言える。
物語は、医者を目指す優等生、永井圭が交通事故により亜人であることが判明すると、政府や人々に追われることから始まる。そして、元軍人の亜人、佐藤が亜人の独立国家を作ると宣戦布告することによって、騒動が拡大すると、永井が佐藤を止めるための戦いに自ら飛び込んでいく。
『亜人』とは果たして何を描いた作品だったのだろうか、完結を機に振り返ってみたい。
死なないからこそ、どう生きるか
亜人とは英語でデミ・ヒューマンと書く。それは人間に次ぐもの、あるいは人間ではないが人に似た存在という意味だ。例えば想像上の生き物であるヴァンパイアや神話に登場する獣人のような存在が亜人と呼ばれる。亜人とは人に似て非なるものの総称だ。
本作における亜人は、事故などで死んだときに蘇ることで初めてその人物が亜人だったことが判明する。亜人とは死なない人間であり、この世界では恐れとともに差別される対象となっている。
人に近い存在でありながら人ではないがゆえに、亜人の存在は逆説的に人間とは何かの輪郭を浮き彫りにする。本作は人間ではない存在を通して、人間の本質的なあり方に迫った作品と言えるだろう。
主人公の永井圭は、亜人を「死なないだけの人間」だと言う。だが、その死なない性質が人間のどす黒い欲望を浮き彫りにする。政府は死なない亜人を利用して様々な人体実験を行い巨額な利益を得ている。一般大衆は亜人という異質な存在を徹底的に排除し、差別する。
しかし、亜人にも手を差し伸べる人間は少数ながらいる。永井の旧友、海斗(かいと)は困っている人間が目の前にいれば、たとえ亜人だろうと身を挺して助けに入る。亜人である女性、下村泉の義父は娘が亜人であることがわかると政府に売り払おうとするが、普段は娘よりも夫を優先する(少なくとも泉にはそう見えていた)実母は、夫を殺してでも娘を守ろうとする。亜人という、人に似て非なる存在を目の前にした時、人は本性を現すことを本作は赤裸々に描いているのだ。
そして、本作に登場する亜人たちは皆、死なないからこそどう生きるべきかを突き付けられる。合理主義的で自分本位に見える主人公、永井は、何度も戦いから逃げようとするが、最終的には社会を混乱に陥れる佐藤を放っておけないと自ら戦うことを選ぶ。中野攻は、暴走する亜人グループ、佐藤たちを止められるのはお前しかいないと託された想いを遂げるために最後まで戦うことを選ぶ。下村泉も与えられた自分の仕事を最後まで全うするために戦う。
『亜人』の登場人物は皆、決して高潔ではない。だれもがある程度の薄汚さや欠点を抱えている。しかし、だからこそ自分の大切なもののためだけは死守しようと戦う。そうした登場人物の姿が、なんのために生きるのか、という根本的な問いを読者に突き付けているのだ。