『亜人』は“不死の人間”を通じて何を描いた? 退屈に耐えられない、人間の本性

『亜人』が描いた人間の本性

特筆すべき悪役佐藤

 本作の悪役佐藤は、近年の漫画・アニメの中でも特筆すべき悪役の1人だと筆者は思う。佐藤というキャラクターがいたからこそ、本作は非凡なものとなったと言っても過言ではない。圧倒的な戦闘力と知略で戦局を常にリードし続け、日本社会全体に宣戦布告し、国を乗っ取ろうと試みる。

 元米国軍人で戦闘のプロで、なおかつ不死身なので、単独でSATや自衛隊の一部隊を壊滅させられるほどに佐藤は強い。だが、彼の悪役としてのすごさは強さよりも行動動機にある。彼は大量虐殺も厭わず、社会を混乱させることをなんとも感じていない。日本政府を転覆させようと目論むなど、大胆な行動を見せるが、その動機は自分が楽しむためでしかないのだ。

 永井曰く、佐藤は「革命家でも策士でもない。遊び人」なのだ。佐藤の行動理由は、実際の行動と比較してあまりにも軽く、引き起こす事態の重大さと釣り合っていないように常人には感じられる。だが、佐藤の中では、それは釣り合っているのだ。自分が楽しむためなら、世界を敵に回すことを躊躇わないのだ。

 そんな佐藤の生き方は、やはり人間とはどういうものかに迫るものだったと言える。とりわけ、文明の発達した現代人が生きる上での重大な課題を浮き彫りにしている。

 佐藤は主人公の永井と何度も対峙するし、自衛隊やSAT、あるいは日本社会全体と対決する。しかし、佐藤が本当に対峙しているものは、そうした具体的な敵対者ではない。彼は「退屈」と戦っていたのである。

 退屈というのは、人間にとって大敵だ。作中、永井が「何も無い空間では、人間の精神は72時間しかもたない」と発言している。人間は、何の刺激もない空間に耐えられるようにはできていないのだ。人間はどれだけ暇でも、生きるために何かをして刺激を得なければならない。

 哲学者の國分功一郎は『暇と退屈の倫理学』で人類がなぜ退屈に耐えられないのかを分析している。遊牧生活をしていたころの人間には「退屈」という概念はなかったと國分氏は分析する。退屈とは、遊牧生活時代に探索に用いられた人の能力が、持て余されることにより生じたという。そして、定住生活によって過剰になってしまった脳の能力を持て余した状態に人は耐えることができない、そのために文化が生まれたのだと主張する。この本は、パスカルやハイデガーなど、多くの哲学者たちの退屈に対する考えを参照し、人間にとって生きるとは、暇と退屈にどう向き合うかを問うことなのだと言う。

 『亜人』の佐藤も、まさにこれと向き合っている。彼は、表向きは亜人の権利を訴えたり、革命の筋道を立てて行動するが、それらは退屈しないためのゲーム設定を作り上げているに過ぎない。それゆえ彼は、「飽きた」らその作戦を放棄してしまうことがある。革命や復讐のような目的があれば、飽きて作戦を投げ出すことはあり得ない。佐藤の「飽きっぽさ」に主人公サイドは度々振り回されることになる。

 國分氏は、同著の中で暇と退屈という概念を明確に分けている。暇とは何もすることのない、する必要のない時間で、退屈は何かしたいのにできないという感情や気分を指すとする。この2つをかけ合わせると、①暇で退屈、②暇でも退屈でもない、③暇だけど退屈じゃない、④暇じゃないけど退屈、という4つの状態があり得ることになると指摘する。

 そして國分氏は、現代の日本では「暇じゃないけど退屈」という気分が蔓延しているのではと言う(https://www.worksight.jp/issues/1006.html)。やることはあって忙しいのに、なぜか充実感のない状態だ。

 佐藤にもやることはある。でも、途中で飽きてしまう。まさに、日本に蔓延する気分である「暇じゃないけど退屈」という状況にすぐに陥ってしまう。そして、佐藤は最後に日本を出ることを決める。日本は佐藤にとってすぐに退屈してしまう国なのだ。ゲーム好きの佐藤が日本を去ろうとした際に言う「世界のTVゲームシーンを日本が牽引してるとは、もうまったく思えないしね」という台詞は、新たなイノベーションを起こせず、いつまでも古い体質を変えられない日本社会全体の「退屈さ」に通じるものがある。

 佐藤の存在は、本作にとって単純にキャラクターとして立っているのみならず、人間の生き方を問うという点でも極めて重要だ。文明が発達し、便利になればなるほど、人間の能力は余ってゆく。そんな時に退屈とどうやって向き合うのかは、あらゆる人にとってとても重大なことなのである。

 そんな佐藤に、主人公の永井は「フザけてんじゃねえよ」と最後に言い放つ。確かに、佐藤は遊んでいて、永井は本気で佐藤を止めようとあがき、医者になるために本気で勉強をしている。だが、佐藤もまた、退屈しないために本気で遊んでいるのではないだろうか。人類にとっての大きな敵と本気で向き合っているからこそ、本作の悪役、佐藤の一挙手一投足から読者は目が離せないのである。

■杉本穂高
神奈川県厚木市のミニシアター「アミューあつぎ映画.comシネマ」の元支配人。ブログ:「Film Goes With Net」書いてます。他ハフィントン・ポストなどでも映画評を執筆中。

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