少女マンガ解説者・和久井香菜子が読む『一度きりの大泉の話』 萩尾望都と竹宮惠子、それぞれの意志と覚悟
『一度きりの大泉の話』は「こんなに切ない話があるのか」と思うくらい、読んでいて辛かった。もう前書きで辛い。この本は、筆者の萩尾望都先生が、どのような体験をされ、何を思っているかを赤裸々に綴ったものです。竹宮惠子先生と大泉に一緒に住んだこと、そしてどのようにして別れることになったのか。デビュー前後のお話を、事細かに記されています。
私はどこからか、おふたりに交流がないことを知っていましたが、他のファンの方はどうだったのでしょうか。私は、もう二度と「大泉サロン」も「24年組」も口に出せません。
この本をきっかけに、竹宮惠子先生の『少年の名はジルベール』や『扉はひらくいくたびも』を読み返した人は多そうです。そうして読み比べると、「この2人はうまく行かないよ……」と実感するのではないでしょうか。
萩尾先生は、女性マンガ家初の文化功労者で、表彰は10を超える。紫綬褒章も受賞し、誰もが「少女マンガの神」として異論がない世界的な大作家。なのに、控えめで、自分の功績を吹聴することなく、どこまでいっても謙虚な萩尾先生。何かを成し遂げてやろうといった野心もなくて、ただただ、描きたいものを描いて、少女マンガを文化の域まで押し上げてしまった。
一方の竹宮先生は、「少女マンガ界に革命を起こす」という野望があった。「大泉サロン」も、竹宮先生と増山法恵さんが「少女マンガにもトキワ荘のような場所を」と意図して作り上げたようです。京都精華大の教授になられてからは、「原画ダッシュ」という取り組みも精力的に行い、創作活動というよりは教育やマンガ文化の発展に尽力されています。
応援はしてもらえたけど、女の子であることは否定されて育った竹宮先生。親に批判され、自分の望まない未来を押しつけられていた増山さん。そして、親に理解されず自己肯定感が低い萩尾先生。三人三様ですが、その違いが表面化するまでは、一緒に切磋琢磨する関係だったのでしょう。
竹宮先生はいつか何かを成し遂げたいと切望していた。それなのに、萩尾先生は「私は少年愛はわからない」と言いながら、サクッと自分の先を越して自分が描きたかったような作品を描いてしまう。心中穏やかではないですよね。
この本を読んだ感想をいろいろな人と分け合いましたが、それぞれ視点がまったく違っていてとても興味深かったです。「クリエイターの発想の原点を見ることができる」という人もいれば、「人間関係は難しい」と頭を抱える人、「萩尾さんの怒りを痛感した」という人、いろいろでした。
読み手によってくみ取る部分がまったく異なるのです。それって、この本が語るものの奥深さを物語っていませんか。そして、『少年の名は……』のアンサーブックではないはずですが、萩尾先生は歴史ものを執筆するかのような慎重さで事柄をしたためているのも印象的です。日記のようなクロッキーブックを取っていなかったら、もしかしたらこの本の執筆をしなかったかもしれないと思います。