少女マンガ解説者・和久井香菜子が読む『一度きりの大泉の話』 萩尾望都と竹宮惠子、それぞれの意志と覚悟

萩尾望都と竹宮惠子、それぞれの意志と覚悟

 竹宮先生は萩尾先生との決別を著書では1行で済ませていますが、記憶にないのか、自分に負い目がある部分をあえて伏せているのかは不明です。だけど萩尾先生は、朝日新聞で小原篤記者が書いているように(https://digital.asahi.com/articles/ASP5642NVP54UCVL01J.html)、証拠を提示し、第三者からの言質を取り、その上で自分の考えを述べて、読者に有無を言わせないように丁寧に構成していると感じます。静かな怒りと、硬い意志です。

 事情を知れば知るほど苦しいのは、竹宮先生と萩尾先生が、少女マンガ界を背負って立つ巨匠だったことです。少女マンガ誌が創刊されるたびに、2人は看板作家として取り上げられていたようなのです。『プチフラワー』『グレープフルーツ』『ASUKA』など、どちらかが表紙を描いたり、表紙に2人の名前が並べられている号が山ほどあります。

 「二度と竹宮さんの作品は読まない」と決めて、それを実行するのはどれだけの意志が必要だったでしょうか。自分が描いた雑誌は必ず見本誌が送られてきます。表紙には高確率で竹宮先生の名前があったでしょう。表紙を描いていたかもしれません。2人が恐らくメインで執筆していた小学館では、毎年マンガ家を招いて大がかりな忘年会が開催されています。そういうところにも顔を出せない。

 誰にでも、縁の切れてしまった人とか、うまく行かずに喧嘩してしまった人などいるでしょう。そういう経験があるから、この著書は多くの人の胸を打つのだと思います。そして、望まない決別をした人の名前が目の前に何度も現れる苦しさを想像すると、もう胸が詰まります。

 そして竹宮先生は、仲直りのつもりで、自分を知ってほしくて送ったであろう著書を突き返されて、なおかつこの本をもし読むことがあるのだとしたら、いったいどう感じるのでしょうか。それはそれで胸が痛みます。

 『トーマの心臓』が掲載の危機、連載の危機にあったと知って、衝撃を受けた人は少なくないと思います。もしかしたら萩尾先生が筆を折っていたかもしれないと考えると、私の脳みそにずんずん浸食してきた『スター・レッド』や『半神』、『モザイク・ラセン』『バルバラ異界』などなどの作品が生まれなかったのかもしれないと思うと、恐ろしさに震えます。萩尾先生、作品を描き続けてくれてありがとうございます。そしてこの先、決して誰からも傷つけられることがありませんように。

■和久井香菜子(わくい・かなこ)
少女マンガ解説、ライター、編集。大学卒論で「少女漫画の女性像」を執筆し、マンガ研究のおもしろさを知る。東京マンガレビュアーズレビュアー。視覚障害者による文字起こしサービスや監修を行う合同会社ブラインドライターズ(http://blindwriters.co.jp/)代表。

■書誌情報
『一度きりの大泉の話』
著者:萩尾望都
出版社:河出書房新社

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