『NARUTO』カカシ先生が教えてくれたことーー多くを失った人間の言葉の重み
※本稿には物語のネタバレが含まれます。
人生に大きな影響を与える存在は人それぞれ様々だろう。両親などの家族や友人、恋人などもあるだろうが、学校の先生からも多くのことを学ぶはずだ。先生とは多感な時期に多くの時間をともにする。その影響はなんだかんだ大きいだろう。だからこそ、人生の師と呼べるような先生に出会えることは幸運だ。
ヒーロー漫画の主人公にもそんな良き先生がいることが多い。少年漫画の読者にとって「こんな素敵な先生に出会えたらいいだろうな」と思えるキャラクターは必然人気が高い。岸本斉史の『NARUTO』のはたけカカシもそんなキャラクターの一人だろう。
生徒との距離の近さを感じさせる「抜け感」
カカシ先生は、「写輪眼のカカシ」の異名で他国にも知られるほどの英雄だが、普段はどこか抜けている。初登場シーンは、ナルトの仕掛けたベタは黒板消しのトラップに引っかかるところだし、遅刻癖もある。そして、愛読書は「イチャイチャパラダイス」である。
しかしこの「抜け感」は、カカシ先生の親しみやすさを生んでいるという点で重要だ。先生と生徒の関係というのは、ただでさえ権力関係、力関係、年齢も大きな差があるものだ。高圧的な態度では、その壁はどんどん厚くなる。カカシ先生のような抜け感はその壁を取り払った関係を築くことを容易にしている。そういう親しみやすい先生は、実際の学校でも生徒に人気があることが多いのではないか。
また、顔の半分以上を隠しているミステリアスな雰囲気も魅力だ。アニメオリジナルのエピソードでは、ナルトたち第七班のメンバーがカカシの素顔を観ようと企む話があったが、読者もあのマスクの下はどうなっているのか気になっているだろう。しかし、最後まであのマスクの下の素顔は明かされなかった。顔を隠した白髪の飄々とした性格の先生というキャラクター像は、後の『呪術廻戦』の五条悟とも共通している。
多くのものを失ってきたからこそ教えられることがたくさんある
カカシ先生は万能で優秀な忍だ。しかし、その優秀さを誇示して不必要に自分を大きく見せることはしない。周囲からの評価は非常に大きいが、彼自身はむしろ自分は力不足で足りないものばかりだと感じている。
それは彼が、大切なものを守ることができなかった過去を多く抱えているからだ。忍の世界の本当の厳しさ、理不尽さを身をもって味わってきたからこそ、自分が優秀だなんて思えないのだろう。
雨の降る墓の前でカカシ先生は「ただここに来ると・・昔のバカだった自分をいつまでもいましめたくなる」と言うシーンがある。彼はかつて大切な仲間だったオビトとリンを救えなかった。カカシ先生の心には常にその後悔とふがいなさが残っている。どれだけ強くなろうとも、驕るどころではないのだろう。ちなみに、この墓参りはカカシ先生の遅刻の理由でもあることが示唆されている。朝早くに墓を訪れても「バカだった頃の自分」を長い時間戒めてしまうのだろう。
仲間を失っているからこそ、カカシ先生は仲間の大切さを誰よりも身に染みて知っている。元々、カカシ先生はルールや掟に厳格な人間で、仲間の命よりも任務を優先するタイプだった。それは任務よりも仲間の命を優先して裏切り者扱いされ自殺してしまった父を反面教師にしていたからだ。
しかし、そんな彼はチームメイトだったオビトの言葉、「忍者の世界でルールや掟を破る奴はクズ呼ばわりされる・・・。けどな!仲間を大切にしないやつはそれ以上のクズだ」の言葉が彼を変えた。そしてこの言葉はそのまま、カカシ先生がナルト達に最初に教える大切な教訓となる。この言葉が響くのはそれが上辺だけのきれいごととして語られているのではなく、カカシ先生の実体験からくるものだからだ。
後悔も絶望もたくさん味わってきたからこそ、カカシ先生はただの上司ではない「人生の師」と呼べるような存在なのだ。