第164回芥川賞は誰が受賞する? 書評家・倉本さおりが予想

倉本さおりが予想する「第164回芥川賞」

 候補作発表の際、注目の的となったのは、ミュージシャンでもある尾崎世界観だ。尾崎は、2016年に半自伝的な小説『祐介』でデビューして以来、コンスタントに作品を発表している。今回ノミネートされた「母影」は小学生の娘の視点から、性的なマッサージを非合法に提供して生計を立てているシングルマザーの母親の姿を描いた小説。

「奇妙なですます調で稚拙な悪意をぶつけてくる同級生の男子の姿といい、その男子から肩に執拗にグーパンチされて〈嫌いな気持ちが熱いって知った〉という一文といい、感覚の鋭さが光る箇所がたくさんある。給食の杏仁豆腐の上に可愛がっていたハムスターの糞を載せられているのを見つめて、〈ウンコだからちゃんとかわいがってあげれなくて、私はちょっと悲しくなった〉っていう場面なんて最高ですよ(笑)。尾崎さんは人の心の襞を写しとるのが上手い。他の人に見えていない風景、あるいは、そこにあるはずなのに通り過ぎてしまう瞬間や場面を拾いあげることができる稀有な書き手のひとりです。ゆくゆくは芥川賞や三島賞あたりにもノミネートされる日が来るだろうと思っていましたが、今作に関していえば、文体が仇となってしまっているような気がします。語り手の少女がまだ書けない漢字を敢えて排して文章を綴ることで、子供の視点から見た世界にリアリティを与えようとしているのですが、大人たちの台詞は通常のように漢字で表記されるため、誰の視野なのか統一されずところどころ違和感が拭えない。いうなれば“子供を装った”文体のように見えてしまう懸念がある。そうした作為の匂いを嫌う選考委員は多いので、受賞自体は難しいんじゃないかと。とはいえ、子供には大人たちの行為の全容がわからないからこそ、カーテンにぼんやり映る影にかすかな希望と祈りを投影してしまうさまは非常に読ませる。強く心を揺さぶられる読者も多いと思います」

 前回に引き続いて2度目のノミネートになったのは、乗代雄介。コロナ禍の春休み期間中、姪っ子のサッカー少女が、出来心で持ち帰ってしまった合宿所の本を返すため、サッカーの練習をしながら鹿島まで歩いて目指す。その道程を小説家の叔父の視点で描いたロードノベルだ。

「『旅する練習』に関してはネタバレしないように説明するのが難しいのですが、“誰のために/何のために書くのか?”という問いを、乗代さんならではの職人芸で小説として昇華させた、非常に感動的な作品でした。とにかく二人の掛け合いが面白いし、そこから浮かび上がる姪っ子・亜美のキャラクターがたまらなく魅力的でぐいぐい読ませる。そうやって読み進めた時間そのものが、結末で別の意味を持つことになるという。我孫子から鹿島までの旅の景色を目で追うだけでも愉しいのに、サッカーの描写がまた秀逸で。とくにアントラーズファンには嬉しいエピソードが満載だし、『おジャ魔女どれみ』ファンも涙なしに読めない(笑)。あらゆる読者にとって幸福な体験をもたらす小説だと思います。ゆえにいちおう懸念を挙げるとすれば、書くという行為をめぐる“忍耐”がテーマなのに、終盤堪え切れずにじゃんじゃん泣かせにかかってきてしまう点でしょうか。

 とはいえ小川洋子さんなどはすでに前作でのノミネート時に実力を評価していますし、近年の芥川賞選考はある意味“良心的”で、その候補者が前作で指摘された課題を乗り越えた際にちゃんと評価する傾向がある。女性を語り手にした乗代さんの前回の候補作『最高の任務』は痴漢撃退の場面で物議を醸しましたが、男性視点で描かれる今作にそういう危うさはなく、ジェンダーバイアスのありようにも気を配った、隙の少ない作品に仕上がっていると思います」

 では今回の芥川賞の本命は乗代氏ということだろうか。倉本氏は「単独授賞ならその可能性は高い」としつつ、「二作授賞」の可能性にも言及する。

「今回は非常に良い作品が集まったので、むしろ二作授賞の可能性のほうが高いんじゃないかと。その場合、本命は宇佐見さんと、乗代さんないし砂川さんですね。前述のとおり、宇佐見さんと砂川さんの小説には、今の若い世代特有の息苦しさや切実さが見事に言語化されています。ちなみに前回受賞したのは遠野遥さんの『破局』。山田詠美さんから“ほとんどゾンビ化している人間たちによる群像劇”とも評されたあの作品から、現代人の切実な心情を読み取った選考委員には、宇佐見さんと砂川さんの作品も響いてるかもしれません。その一方、例えば島田雅彦さんなんかは『破局』を“不愉快な読後感”という言葉で評しています。

 ここで思い出すのは古市憲寿さんが候補に挙がったときのこと。選考委員からかなり厳しい言葉を向けられた古市さんが描く主人公も、“情報社会に過剰適応しちゃった人”であることが多い。選考委員が表象的な部分やキャラクター性だけではなく、そうならざるを得なかった若者の切迫感を読み取って審査するか否かが評価の分かれ目のように思います」

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