『攻殻機動隊 THE GHOST IN THE SHELL』なぜ原作コミックに忠実に? 膨大な注釈まで再現された意義

7月7日から放送が始まったアニメ『攻殻機動隊 THE GHOST IN THE SHELL』。前評判通り、原作コミックほぼそのままの内容でのアニメ化となった。
士郎正宗のコミック『攻殻機動隊』は1995年の劇場用アニメ映画化をはじめ、テレビアニメや配信作品、ゲームといった形で幾度も映像化されてきた。が、原作コミックに忠実な映像化はこれまでされておらず、いずれもアレンジや翻案を交えた作品となっている。
原作コミックがそのまま映像化されてこなかった理由はいくつか考えられる。まず映画化を前提とした場合、コミック版の作り自体が映画の尺に向いていない。コミック版一冊目は12のエピソードで構成されており、それぞれが独立した内容になっている(連続している場合もある)。サイバーパンク的な設定が重要な作品だが、構造自体はいわば「連作刑事ドラマ」的な作りになっており、一本の映画に収めるのにはアレンジが必要だ。なので、一番最初の映像化となった押井守監督の映画版では、主人公・草薙素子の実存のゆらぎと「人形使い」との邂逅に焦点が絞られることになった。
また、物語の前提となる情報量が膨大なうえにそれに関する説明があまりないという本作の特徴も、幅広いターゲットを相手にするアニメ作品としては難しい点だろう。この点については、原作の要素やニュアンスを汲み取りつつ、最適な形で設定を変更したり、要素を削ったり増やしたり……といった形で各アニメは対応してきた。それらの変更が最もうまく受け入れられた例が、神山健治監督の『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』ではないだろうか。
こういった作品が広く受け入れられたこと、そして80年代終盤〜90年代ごろのカルチャーに関心が集まっている昨今のトレンドによってようやく可能になったのが「原作コミックほぼそのままの『攻殻機動隊』アニメ化」である。最初の映画化からほぼ30年が経過したことになるが、これは「コミックそのままの映像化が実現するのに30年もかかった」というよりは、「30年かけて地ならしされたからこそ、ようやく予算を投入してコミックそのままに映像化できた」というべきだろう。何度も映像化されてきたのでわからなくなっているが、本来ならばそのくらい『攻殻機動隊』という作品は飲み込みにくいものだったはずだ。
で、今回のアニメ化である。第一話は、コミックのエピソード「PROLOGUE」と「SUPER SPARTAN」を、びっくりするほどそのままなぞったものだった。ストーリーはもとより、「やなこった へへーん」や「桜の24時間監視」といった印象的なセリフも完コピ。フチコマもちゃんとフチコマとして登場し、ここまでそのまんまでいいんですか……と、ちょっと不安になるほどである。
原作コミックの通りということでいえば、あの膨大な注釈もしっかり再現されていた点も印象深い。コミックでは、ページの欄外に大量の解説・作者の雑感・蘊蓄が注釈の形で書かれている。この注釈を「映像内に無理やり文字を入れ込む」という形で再現するのは、今までのどのアニメ版『攻殻機動隊』でも試みていなかったポイントである。当然ながら等速で映像を再生していると全部読めないのだが、現在のアニメは基本的に配信で見ることを想定して作られている。いつでも好きな時に一時停止でき、スマホやパソコンの画面を注視することができる環境が普及したからこそ、細かい文字で作中の注釈を再現するという荒技が使えるようになったと言える。
もうひとつ注目したいのが、「高いところからダイブする草薙素子」をやらなかった点だ。『攻殻機動隊』といえば……な映像として知られているのが、ビルの屋上から下に向けて頭からダイブする草薙素子である。だがもともと原作コミックには該当のシーンはなく、1995年の押井版『攻殻機動隊』の冒頭があまりにもクールだったところから定着したものだ。コミックにないということでこのシーンは今回のアニメにも当然存在せず、素子はいきなりボルガレナ代表を射殺して逃走する。世間的に広く認知されているシーンを削ってでも原作コミックの再現にこだわるという、今回のアニメの姿勢が伝わってくる場面だ。
とはいえ、変更されている箇所もそれなりに存在する。原作の「SUPER SPARTAN」で有名な「トグサがマンホールを閉めた時に周囲の草を挟んだことで作戦が危機に陥る」場面が削られていたり、素子が他のメンバーを脳に入れた際にノイズの多さを指摘されて「生理なんだよ」と答える場面もなかった。前者はアニメでの絵的なわかりやすさを優先した結果であるかもしれないが、「生理なんだよ」が削られた点は少々気になる。「全身サイボーグで基本的に体調不良とは無縁の素子にも、生理による脳機能の異常が発生する」という描写は、素子の脳だけが生身のまま、下垂体がホルモンを分泌していることを示すものだ。なにしろ「脳」が重要な意味を持つ作品だけに、そこを削ったという点には今後の展開についての何らかの意図があるかも……と思うのは穿ち過ぎだろうか。
とはいえ、全体的には文字通り原作再現を徹底した内容と言ってよく、まさかここまでそのままのボールを投げてくるとは思わなかった……というのが正直なところである。しかし本作は主要スタッフとして円城塔が参加しており、ここから一筋縄ではいかない内容へと転がっていく可能性も否定できない。本当に原作そのままの内容でラストまで走り切るかどうか、まずは来週の放送を楽しみに待ちたいと思う。























