萩原健太が明かす、大滝詠一への3日3晩の取材舞台裏「オレが死んだら、君が本を出してくれ!」

大滝詠一の幻の肉声を書籍化、萩原健太語る

 音楽評論家の萩原健太が、『幸せな結末 大滝詠一ができるまで』(文藝春秋)を3月に上梓した。1991年8月にミュージシャン・大滝詠一へ行った、3日3晩に及ぶ幻のロングインタビューを初めて書籍化したものだ。大滝自身が「死後公開」を前提に語り、30年以上カセットテープに封印されていた肉声を伝える本書は、大滝に関する貴重な新資料であると同時に、著者と大滝の数十年にわたる交流の集大成となる一冊でもある。大滝独自の音楽史観から知られざる私生活、家族とのエピソード、そして萩原が「生きた声」にこだわり執筆した本作の舞台裏と、大滝詠一への尽きない愛について聞いた。

夜通し語り明かした、大滝詠一との濃密な3日間

萩原健太氏

――本書の元になった、1991年8月の大滝詠一さんへの取材から35年。これほど長い間「封印」されていた語りを本にしようと決意されたきっかけは何だったのでしょうか。

萩原健太(以下、萩原):大滝さんが亡くなった後、すぐに出していいとは言われていたんですが、しばらく亡くなった実感が持てなくて、タイミングが掴めなかったんです。ただ、何かのアニバーサリーや特別な話題に乗っかる形で出すのだけは嫌で、何もない時に出したかったんですよ。ところが、毎年のようにナイアガラ・レコード関連の復刻作品が出続けるので、本当に何もないタイミングを待っていたらいつまでも出せないなと。そうこうするうちに十三回忌も過ぎたこともあって、「そろそろ形にしようかな」と自然に思えたのが正直なところです。

大滝詠一への3日3晩にわたる取材を収録したカセットテープ(写真提供=文藝春秋)

――3日3晩にわたる取材だったそうですが、当時録音されたカセットテープはどれくらいの量があったのですか。

萩原:いわゆる「120分テープ」が、本数で言うと10何本かは確実にありました。お茶とお煎餅をお供に、空が白むまで、ただひたすら語り明かしました。1991年というのは『A LONG VACATION』が出てちょうど10年目だったので、キャリアを振り返るにはいいタイミングだったんです。

――本書によると取材時の90年代前半、萩原さんは大滝さんとかなり深いお付き合いをされていましたね。当時はお二人でどのような関係性を築かれていたのでしょうか。

萩原:僕は早い段階からコンピューターを使っていたものですから、インターネット前夜の「パソコン通信」の時代から、大滝さんの相談役というか、困った時に「健太、なんとかしろ」と電話がかかってくるようなことが多かったんです。もちろん、仕事でインタビューをしたり、僕のラジオ番組に出ていただいたりすることも多かったのですが、そうしたお付き合いの中で、だんだんと人間的な深い付き合いが増えていきました。

――この取材は、当初から「いずれ本にする」という前提や約束があって進められたものだったのでしょうか。

萩原:僕は映画監督のフランソワ・トリュフォーが書いた『映画術 ヒッチコック・トリュフォー』という本が昔から大好きでした。ヒッチコックの弟子筋にあたるトリュフォーが、1週間以上にわたってヒッチコックにインタビューをしてまとめた本なのですが、あれのポップス版として、僕が聞き手になって「大滝詠一のポップス術」みたいな本を書いてはどうだろうと大滝さんに持ちかけたところ、「やろう」と快諾してくれました。大滝さんも映画が大好きでしたから、「うまいこと考えたな」と思ってくれたのかもしれません。

 大滝さん自身、最初から「死後公開だ」と言っていろんなことを包み隠さず話してくださったのですが、このインタビューがご本人にとっても自分の歴史を整理する機会になったみたいなんです。これ以降に受けたインタビュー記事を見ると、ここで整理して語った内容を元にして話されるようになっていることがわかります。昔の写真や予定の詰まった手帳を引っ張り出して僕に語っていく中で、大滝さんご自身もひとつの整理がついたのでしょう。大滝さんは後にラジオ番組「日本ポップス伝」などで音楽史を体系的に語られますが、その下地もこの段階で整理されたんだと思います。

独自の音楽史観と封印された改訂版

ーー本書では、大滝さんの「分母分子論」や「ポップス普動説」といった“論客”としての側面も書かれており、たいへん興味深く拝見しました。特に「ポップス普動説」は、萩原さんが大滝さんのお話をまとめた文章が初出です。

萩原:かつて新潮社に『03(ゼロサン)』というカルチャー雑誌があって、僕のインタビュー連載をまとめた別冊が出る時に、大滝さんに特別インタビューをお願いしたんです。その席で披露してくださったのが「ポップス普動説」(※1)でした。あの取材も福生で行ったのですが、この3日間の取材はその普動説のインタビューのちょっと後ぐらいの時期にやったものなんです。ですから、本書のインタビューは普動説の時の延長戦のような立ち位置にあります。

※1 明治以降の日本のポピュラー音楽界における力学的な位置関係(構造)は常に一定であるという独自の音楽史観。この説では、音楽シーンを最も支持を集める「中道(MOR)」、その左右にハイカラな「左派(洋楽系)」と土着的な「右派(邦楽系)」、さらに外側の「極左・極右」という5つの普遍的な配置で捉える。時代や人々、ジャンルがどのように「浮動」しようとも、この場自体の構造は「不動(普道)」である。かつては洋楽を上、邦楽を下とする進化論的な縦系列の構造だったが、1980年を境にこの図式が「横一線(並列)」に並んだ。これにより、若者たちの海外への劣等感や舶来信仰が消滅し、左派や右派といった区分が対立ではなく地滑り的な変化として普通に動く(普動)シーンになったとしている。(『大瀧詠一Writing & Talking』(白夜書房、2015年)を参照)

ーー『03(ゼロサン)』のインタビューは文庫にまとまっていますが、なぜか「ポップス普動説」については掲載されていません。これには何か理由があるのでしょうか。

萩原:文庫化する際、大滝さんからお許しが出なかったというか。たぶん、まだ最終的な形にまで自分の中で「説」を煮詰められていないと感じていらっしゃったのかなと思うんですけど。

 これにはひとつ裏話があって、あの雑誌が出た当時、大滝さんから「よくまとめてくれたけど、1箇所だけ俺の意図と違う表現になっているところがあるよ」と指摘されたんです。まあ、ささいなところといえばささいなところなんですが。そこで当時の『03』の編集部がその1箇所だけを修正した、僕たちと大滝さんのためだけの「改訂版の別冊」をわざわざ刷り直してくれたりもしました。残念ながら今世に出回っているテキストは修正前のデータなのですが、関係者のみの「修正版」が、一部にはひっそりと存在するんですよ。

――「普動説」に関してはそれほどこだわりがあったのですね。その前段として、84年にジャズ評論家の相倉久人さんとの対談で、「分母分子論」(※2)を大滝さんは唱えられています。「ポップス普動説」はこれの発展系と捉えてもいいものでしょうか。

※2 日本のポップス史における「洋楽(世界史)」と「邦楽(日本史)」の受容関係を分数に例えた大滝詠一独自の音楽史観。明治以降、日本の音楽は洋楽という「分母」の上に、日本語の歌という「分子」を乗せる形で発展した。しかし時代が進むにつれ、洋楽の要素が当たり前になりすぎてベース(分母)としての意識が薄れていく。さらに、洋楽を吸収した世代の邦楽(はっぴいえんど等)を、次の世代が新たな「分母」として崇めるという、複雑な「三重構造(三階建て)」へと変化していった。1980年代にはこの構造が崩れてすべてが並列になり、ルーツを見失う「分母の喪失」が起きていると大滝は指摘している。大滝はこの見えなくなった地盤(分母)をパロディやオマージュを通じてあえて「確認」し、過去の音楽への「誤解」を意図的に仕掛けることで、新しいポップスを創造できると結論づけている。(前出『大瀧詠一Writing & Talking』参照)

萩原:そういうところもあるでしょうね。普動説は90年代はじめの日本の音楽シーンを反映したものでしたので。

ーーさらに言えば、「ポップス普動説」については、大滝さんご自身について語っているところもありますよね。その辺りが本書の内容と重なる気がしています。

萩原:おもしろいのは、97年の時点ではこの理論はまたちょっと違った形を見せているんです。なので、決定的にこういう理論なんだ、ということは言えないのですが、その時代その時代で自分の音楽をどう位置づけるべきか、ということは考えられていたようです。

ーー大滝さんの中で自身の音楽が「左(洋楽系)」と「右(邦楽系)」に揺れ動くことはあったのでしょうか。

萩原:自分の位置がブレるようなことはなかったと思います。大滝さんという人は、本当に何気ない日常のちょっとした思いつきのようなところからスタートして、それを持ち前の探究心で突き詰めていくうちに、結果として誰も見たことがないような巨大で精緻な「理論」へと到達してしまう、そういうダイナミックな思考の持ち主なんです。だから、自分の思いつきや直感を決して拒まない。どんな些細なものであっても、一度フラットに、偏見なく自分のなかにすべてを受け入れる。それを周囲から見れば「揺れている」ように見えたのかもしれないけれど、ご本人の中では、すべてを飲み込んでいくタフさがあるだけで、ブレている感覚は微塵もなかったはずです。自分は何をしなければならなくて、だから自分はここにいるんだ、という自分の立ち位置については常に考えていたように思います。

大滝詠一の「声」を文字で再生させたかった

萩原健太『幸せな結末 大滝詠一ができるまで』(文藝春秋)

――本の中では、萩原さんが1997年の『幸せな結末』リハーサルの現場に呼び出されてギターを弾かれる場面も臨場感たっぷりに描かれていて、興奮しながら読みました。これも師匠・大滝さんからの薫陶であったと。

萩原:いま思えば、ちょっと乱暴ですよね(笑)。日本最高峰のミュージシャンたちが集まって歴史的なレコーディングを行おうという場所に、プロでもない僕がいきなり呼ばれてセッションに参加することになったんです。こっちとしては演奏を間違えたらその瞬間に全体の音が止まるわけですから、体感する余裕なんてありませんでしたよ。

――大滝さんがミュージシャンにフレーズのニュアンスを口頭で伝えながらサウンドを練り上げていく描写が、ありありと目に浮かびました。

萩原:大滝さんのあの独特な喋り口調、間の取り方、声のトーンそのものが、大滝詠一という音楽家の「らしさ」を醸し出す上で最も重要な要素でした。音楽の現場でも全く同じで、大滝さんがミュージシャンたちに向かって、フレーズを口で発する。その言葉のグルーヴを、腕利きのミュージシャンたちが楽器の音へと翻訳し、あの重厚なナイアガラサウンドが構築されていったわけです。

 それと同じように、僕がこの本を執筆する上で最も注力したのは、大滝さんのあの独特の「口調」や「会話の間」そのものを、どうやって文章にできるのか、ということでした。録音テープをただ文字に起こしただけでは、大滝さんの本当の魅力やユーモアのテンポ感は全く伝わらない。文字を使って、いかに生きた「声」を読者の耳元で再生させるか。本当に難しい作業でしたが、自分なりにそこを限界まで突き詰めて形にできたという手応えはあります。

――今回はテキストの中に「(笑)」を使わないルールを自ら提示されていますが、それなのに大滝さんのチャーミングな人柄やおかしみが立体的に立ち上がってきますね。

萩原:大滝さんがご存命だった頃は、最終的にご本人が原稿チェックをなさっていたのですが、大滝さんが手を入れると、自分の本音を大真面目に語ることに対する一種の「照れ」があるのか、原稿のあちこちに「(笑)」を入れてきちゃうんですよ。僕が「いや、入れない方がかっこいいですよ」って抵抗しても譲らない。だから今回の本は、初めて「(笑)」を一切使わずに形にできた1冊です。大滝さんには怒られるかもしれませんが、世の中に出ている大滝さんの書籍というのは、どうしてもサウンド構築のテクニカルな話やディスコグラフィーの検証といったアカデミックな内容になりがちで、それと同じくらい不可欠だった「面白い人」という要素を伝えたいんですよね。

――本書では、音楽と同じ熱量で野球やお笑い、相撲、そして政治経済までお話しされていますが、大滝さんにはご自身で情報を発信したいというメディア志向のようなものがあったのでしょうか。

萩原:そういったものはありませんでしたが、「自分はこれに対してどう考えているのか」ということを、公にではなく誰かに表明しておきたかったんだと思います。その最大の聞き手は間違いなく大滝さんの奥様で、僕もその一人でした。野球について僕が聞き手になったこともありますし、相撲も本場所があると毎日その日の全取り組みの解説を僕のところに送ってきました。

――その驚異的な探求心は、大滝さんの音楽への向き合い方とも関係していますか。

萩原:そうですね。大滝さんは、これまでに聴いてきた膨大な音楽の記憶を、すべて消化し血肉化させていました。そんな大滝さんの音楽を聞いて「パクリだ」と叩く人は当時からいましたが、大滝さんのオマージュというのは、そんなレベルとは全く違う。自分がこれまで吸収してきたことすべてを、自分なりに形にされている。こういう人はそういません。

 ただ大滝さんは、“自分が実際に体験した音楽”のみを繰り返し徹底的に深めていくんだと仰っていました。これに対して、「はっぴいえんど」の盟友である細野晴臣さんは、自分が生まれる前の音楽や古いエキゾチックな民族音楽へと時空を超えてアプローチしていった。このように細野さんと大滝さんは、歴史に対する足の踏み込み方、スタンスが決定的に違っていました。

「俺が死んだらお前が本を出してくれ」45年前に手渡されていた約束

ーー大滝さんのラジオ番組『ゴー・ゴー・ナイアガラ』はどう聞いていましたか。

萩原:『ゴー・ゴー・ナイアガラ』の第1回放送はキャロル・キング特集なんですけど、大滝さんは、キャロル・キングのことをシンガー・ソングライターではなく、ソングライターとして紹介されていました。75、6年の普通のロックファンなんて、聞いている範囲はすごく狭かったんですよ。そこに大滝さんが、ソングライターだけを特集したり、クレイジー・キャッツの楽曲が持つグルーヴを紹介したり、音楽に対するいろいろな接し方を番組を通して紹介してくれたんですよね。僕が大滝さんから受け取ったものも、レコード音源だけでなく、そういったラジオ番組なども含めた大滝詠一だったわけです。

大滝詠一 あの娘に御用心(Fussa 45 Studio Live 1976)

――最近、70年代のナイアガラ時代のスタジオライブ映像(沢田研二『あの娘に御用心』のセルフカバー)がYouTubeで70万回再生を超える話題を呼んでいますが、あの凄まじくグルーヴィな感じもまた大滝さんの真骨頂ですね。

萩原:大滝さんのパブリックイメージといえば、洗練された80年代の『A LONG VACATION』や『EACH TIME』に集約されがちですが、その背景にそういったノヴェルティ・タイプのロックンロールがあるおかげで、ただ単にポップでキュートなものではないものにしている。その裏側には実は毒気みたいなものがある。70年代の大滝さんが再評価されてくると、一ファンとして大変嬉しいですね。

――本の「あとがき」では、サラリーマン時代の萩原さんが『A LONG VACATION』リリース直後の大滝さんに初めて単独インタビューを行った運命的な初対面が描かれています。

萩原:僕は当時、出版社で働く普通のサラリーマン編集者だったのですが、僕が熱烈な大滝ファンだということを聞きつけた『宝島』という雑誌の編集長が大滝さんへの取材に送り込んでくれたんです。人生で最初で最後のチャンスだと思って、大滝さん関連のレコードを全部抱えて、次々に質問をぶつけて、大滝さんもすごく喜んでくださったんです。

 最近まですっかり忘れていたのですが、実はその取材が掲載された雑誌を読み返してみたら、編集後記に、大滝さんが「オレが死んだら、君が本を出してくれ!」と言い残した、と書いてあったんです。

ーーそれはすごいですね。そしてインタビューの翌日、萩原さんはお勤めの会社に辞表を出されたと。このくだりには感動しました。

萩原:僕の音楽評論家としてのキャリアは間違いなくあの日からスタートしたわけですが、まさか最初の取材で大滝さんから未来の約束をすでに手渡されていたとは。今回の十三回忌のタイミングでこうして一冊の本として約束を果たせたことで、不思議な導きを感じています。

情報のない時代だからこそ「愛」に変わった、福生の熱気

――萩原さんといえば、特にビーチ・ボーイズをはじめとした海外の音楽に強い評論家だと思いますが、その中でも大滝詠一という存在は特別な位置にいるのでしょうか。

萩原:僕は今でも、自分の根本は「洋楽ファン」だと思っています。1970年代当時、日本のポップスを聴いては「なんでこんなにつまんないんだろう」とため息をついていました。それでも、そんな洋楽ファンの耳を満足させてくれる一部のミュージシャンたちがいたんですよ。その一人が大滝さんだったんです。僕はエルヴィスやビーチ・ボーイズ、フォー・シーズンズが好きで聞いていたのですが、大滝さんはそういった要素を完璧に自分のものとして消化し、独自の日本語ポップスへと昇華させていたーーその手腕に、僕はハマっていったんです。

――大滝さんと、その後続世代とのつながり、あるいは違いについてはどうお考えですか。

萩原:情報を手に入れるのが難しかった時代に、自分からそこに歩み寄って情報を集めていた熱って、愛に変わるじゃないですか。その深さの違いみたいなものはあると思います。情報インフラが整った90年代の渋谷系の世代は、たくさん音楽を聴いているけれど、その距離感はクールな気がします。大滝さんの場合は、客観的にいろいろと音楽を聞きながらも熱を感じますよね。いまの世代はストリーミングでいくらでも聞けるし、ミュージシャンたちの演奏もすごく上手い。若い世代を否定するわけではありませんが、70年代の福生の狭いスタジオに漂っていた熱気を再現するのは難しいのかなと思います。

ーー本書の元になった91年の取材音源は全体の一部分で、他にもあるとは思いますが、続編を書かれる意向はありますか。

萩原:ありがたいことに、「次も出しませんか」とお声がけいただいています。残りの音源では、大滝さんが一曲ずつ解説もされていますし。でも本書には、奥様との一目惚れエピソードのようなキラーコンテンツが満載なので、まずはこちらを楽しんで読んで欲しいですね。特に奥様やお母さんのお話に関しては、編集の方に心から感謝している部分なんです。女性目線でお話を選んでもらったおかげで、これまでの大滝詠一像とは違うものを提示できたのかなと思っています。

ーー奥様との出会いはまさに映画のようですね。そして、あの時代に多くの雑誌を定期購読したり、レコードを買い与えてくれたお母様の存在も、大滝さんにとって非常に大きかったことがわかりました。

萩原:買い与えてくれたというか、大滝さんが勝手にお小遣いを全部そこに注ぎ込んでいただけですけど。ただ、本書を育児書として読みましたというご感想をいただいたのですが、それはやめた方がいいですよ(笑)。もちろん、そういったエピソードも含めての「死後公開」だったんだとは思います。僕の前で初めて家族の記憶の扉を開けてくれたことの意味を、今改めて深く噛み締めています。この本が、大滝詠一という偉大な音楽家の、もうひとつの人間像を伝えるきっかけになればこれ以上の幸せはありません。

■書誌情報
『幸せな結末 大滝詠一ができるまで』
著者:萩原健太
価格:1,925円
発売日:2026年3月12日
出版社:文藝春秋

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