宇佐見りん、尾崎世界観らがノミネート 1月20日発表「第164回芥川賞」はどうなる?

第164回芥川賞、候補作をおさらい

 第164回芥川賞(2020年下半期)の候補5作が発表された。50音順に、宇佐見りん「推し、燃ゆ」、尾崎世界観「母影」、木崎みつ子「コンジュジ」、砂川文次「小隊」、乗代雄介「旅する練習」である。

 まずはデータから。初ノミネートが3人(宇佐見/尾崎/木崎)で、2度目のノミネートが2人(砂川/乗代)。候補者全員が30代以下と比較的若く、36歳(尾崎)と21歳(宇佐見)が両端に位置している。新人賞出身者が5人中4人(尾崎以外)。木崎については、その新人賞受賞作(つまりデビュー作)での候補入りである。ちなみに、今回はいわゆる5大文芸誌からまんべんなく候補作が選ばれる結果となった。5誌から候補入りしたのは、じつは第133回芥川賞(2005年上半期、受賞作:中村文則「土の中の子供」)以来のことである。つまり、今回の芥川賞は各誌がそれぞれ新人賞等で見出した若い才能同士の頂上決戦というかたちになっており、その点も見所のひとつと言える。

 さて、具体的に作品を紹介しよう。

宇佐見りん「推し、燃ゆ」(『文藝』秋季号)

 第56回文藝賞受賞作『かか』(河出書房新社、2019年)でデビューし、同作で第33回三島賞を受けた著者の第2作目。すでに昨年9月に単行本化されており、SNS等を中心にいまなお話題を呼んでいる作品である。

 作品はこう始まる。「推しが燃えた」。

 主人公・あかりの「推し」である男女混成グループ「まざま座」のメンバー・上野真幸はファンを殴り、突如炎上する。ある日、ピーターパンを演じる姿に魅了されたのが、彼を推し始めたきっかけだった。以来、あかりは「推し」を「解釈」するブログを開設し、彼を推すことに自らの人生全てを捧げてきた。それは趣味というより、思うようにならぬ現実を生き延びる唯一の方策なのだ。

 あかりの生活は「推し」の炎上により、どう変わるのか。

 作品冒頭には、不穏な言葉が置かれている。「推しは命にかかわるからね」。生きるために、推す。のだとして「推し」がいなくなれば? 「推し」とともに生きることの希望と脆さが、リアリズム的な筆致で描かれた紛れもない良作である。広く読者を獲得しているのもうなずける。

木崎みつ子「コンジュジ」(『すばる』11月号)

 第44回すばる文学賞を受けたデビュー作。タイトルはポルトガル語の「cônjuge(配偶者)」に由来するらしい。

 主人公・せれなの誕生日に母は家を出た。「強い人ではなかった」父はブラジル人女性「ベラさん」を連れてくるが、その生活も長く続かず、なりゆきのまま父娘2人の生活が始まる。だがある日、せれなは父から性的暴行を受け、現実のなかに逃げ場を失う。そして、決定的な一夜が訪れる。

 本作では幼少期から現在までのせれなの人生が回想的に語られるのだが、単線的ではまったくない。というのも、そこにいまは亡きthe cupsという英国のバンドのボーカルのリアンと恋愛の妄想が挿入されるからだ。リアンの浩瀚な伝記を通じ、彼も同様に幼少期を「暗黒時代」と呼んでいると知ったせれなは、悲惨な現実から目を覆うべくリアンとの妄想へいっそう傾斜していく。

 ところで、一瞥して明らかなとおり、「コンジュジ」と「推し、燃ゆ」には共通点がある。ままならない現実を生きるために「推し」(リアン)を必要とする点だ。その「終わり」をリアリズム的に描き切るのが「推し、燃ゆ」ならば、壮絶な現実に対し、コミカルですらある妄想、さらにリアンの伝記を複層的に引用して、リアルの在処をどんどん不明にさせるのが「コンジュジ」と言えるだろうか。

 そして、驚くべきことに、同様のテーマと読める作品がもう1作ノミネートされている。

乗代雄介「旅する練習」(『群像』12月号)

 第58回群像新人文学賞の『十七八より』(講談社、2015年)でデビュー。「最高の任務」(『群像』2019年12月号)で前々回(第164回)の芥川賞候補にノミネートされている。今作もまた乗代らしいブッキッシュな作品で、古井由吉や瀧井孝作、小島信夫、柳田國男などの名前や文章が散りばめられる。

 だが、それだけではない。本作は今回の候補作で唯一、コロナ禍を直接的に取り込んだ作品だ。

 一斉休校が実施された春休み。小説家の「私」とサッカーに打ち込む姪の亜美は、利根川沿いを歩きながら、アントラーズの本拠地・鹿島のある合宿所に1冊の文庫を返しにいく計画を立てた。道中に同じく鹿島をめざす「みどりさん」と出会い、旅路は賑やかになる。

 旅の途上、亜美がサッカーの練習を行う横で、「わたし」は情景描写の練習を行うというルールも決めた。だから、本作はまず文字通り「練習の旅」だ。だが、それは同時に、現在禁止された「旅」という行為へのささやかなリハビリテーション、つまり「旅する練習」でもある。そして、もっとも感動的なのは、本作が、ほぼ結末部分で明かされるまた別の「旅(立ち)」からのリハビリでもあるということだろう。ひとはなにかを「喪失」する。それでもなお、現実のなかで歩みだそうという強い意志を書き切ってみせた本作を積極的に評価したい。

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