『チェンソーマン』はなにが衝撃的だったのか? ジャンプ大好き評論家3名が徹底考察

『チェンソーマン』はなにが衝撃的だったのか? ジャンプ大好き評論家3名が徹底考察

 『鬼滅の刃』の歴史的ヒットでまたしても黄金期を迎えていると目される「週刊少年ジャンプ」の中でも、特に話題となっている芥見下々の『呪術廻戦』と藤本タツキの『チェンソーマン』。両作について、ドラマ評論家の成馬零一氏、書評家の倉本さおり氏、アイドル専門ライターの岡島紳士氏が語り合う「ジャンプ座談会」の後編では、12月14日発売の「週刊少年ジャンプ」にて、最終回を迎えることが明かされた『チェンソーマン』を徹底考察。

 衝撃的な展開の連続で、漫画ファンたちの度肝を抜き続けた『チェンソーマン』はどんな作品だったのか。最終回を前に、その魅力を改めて振り返ってみたい。(編集部)

※本稿にはネタバレがあります。
※本稿は11月半ばに収録されたもので、最終回についての言及はありません。
※『呪術廻戦』について語った前篇はこちら

『チェンソーマン』は信頼できない漫画?

『ファイアパンチ』

岡島:『鬼滅の刃』の吾峠呼世晴先生や『ジョジョの奇妙な冒険』の荒木飛呂彦先生もそうですけど、突飛な才能を持った人が『ジャンプ』で連載することにより矯正されて、エンターテインメントの傑作を生み出すというケースがあります。なので「少年ジャンプ+」で『ファイアパンチ』を連載していた藤本タツキ先生の『チェンソーマン』はひょっとしたらすごいことになるなと期待していて、一話目を読んだら、案の定最高で興奮しました。周りの人に「めちゃくちゃ面白い」って言いまくりましたよ。

 『ファイアパンチ』は最終的に風呂敷を広げすぎて、エンターテインメント作品からは離れてしまった印象がありましたが、『チェンソーマン』はちゃんとエンターテインメントになっている。

倉本:『ファイアパンチ』は1巻、2巻、3巻でジャンル自体が変わっていったじゃないですか。最初はわりと普通にシリアスな復讐劇だったのに、2巻ではそれを茶化すような視点が放り込まれて、3巻でまたヒーローものっぽいストーリーに回帰していく。うっかり感情移入していると、ものすごい勢いでひっくり返されるから、当時はまだタツキ流に慣れていなかったぶん今以上に気持ちが追いつきませんでした(笑)。

 『チェンソーマン』の場合は出てくる女性キャラに必ず裏があるというか、「昨日と今日でまったく違う!」みたいなことが多い。パワーなんてその繰り返しですよね。どれだけ舞台裏を教えてもらっても、「本当にそうなるのかな?」と信頼できない感じがあります。例えばマキマが、チェンソーマンに「飢餓」や「戦争」といった概念を食べてもらうことで理想の世界をつくるのが自分の目的なんだと言った時も、本当かなぁと思いました。

成馬:『チェンソーマン』の3巻で、公安の仲間たちが、いきなり全員撃たれる描写があるじゃないですか。あそこから「この漫画、出てきたキャラは全員死ぬんだな」と思って、一気に信用できなくなりました(笑)。毎回、新章に入ると新キャラがたくさん出てくるけど「どうせ死ぬんだろうな」って思ったら、案の定ほとんど死にますよね。そのあっさり人が死ぬ感覚が面白い。

倉本:すぐ人が死ぬんだけど、反面、消えてしまった「生」の描き方も鮮烈でものすごく個性的で。死んだ人の姿をコピーする能力を持った悪魔と契約している三兄弟が出てきて、その三男だけが生き残ったあと、自分がコピーしている人間の実家とか、その友達の家とかに行って、その人の人生を追体験していく回があったじゃないですか。あの回なんかは特によくできてるなと思いました。銃の悪魔に寄生されてしまったアキとチェンソーマンの戦いのときも、実際の戦闘シーンそのものは描かないんですよね。アキが子供時代にやりたかった「雪合戦」の場面で、現実の凄惨な戦闘シーンを代替している。パワーと交わす「契約」といい、ああいう「失われたもの」ないし「失われゆくもの」が輝く瞬間の見せ方が本当に上手。ジャンプ本誌の巻末でも藤本先生はぶっちぎりにイカれたコメントを出すからまじでヤバい人なのかと思ってたんですが(笑)、誰かが生きていた痕跡みたいなものを描いたシーンを見るにつけ、思ったよりこの人は感情に体温がある人なんだって思いました。

成馬:その観点から言うと、9巻のエピソードが、連載で読んでいた時と単行本で読んだ時では印象が大きく変わったんですよね。連載を読んだ時は「銃の悪魔」の攻撃の犠牲になった人たちの名前がページ全体を埋め尽くす演出に興奮して「これは漫画史に残る表現だな」と、表現の面で驚いたのですが、改めて単行本で読むと、早川アキとパワーちゃんとデンジくん3人の関係を丁寧に描いていたことに気が付きました。3人が北海道に行ってお墓参りをするシーンがすごく良いんですよね。週刊連載では地味に見えたシーンがすごく印象的で、だからこそ終盤で描かれるアキとデンジが戦うことに哀しさが際立つ。

倉本:最高ですよね。皆さんの好きなキャラクターは誰ですか?

岡島:パワーたんです。

倉本:即答(笑)。いや、パワーが最高なのはもう間違いない。個人的には姫野パイセンが好きですけど。

成馬:俺はマキマが好きですね。レゼも好きですけど、藤本タツキ先生の女性の好みにすごくシンクロするというか。6巻でデンジくんが「俺が知り合う女がさあ!! 全員オレん事殺そうとしてんだけど!!」と、叫ぶのですが、あれは「自分を殺そうとするような女のことを好きになってしまう」という、藤本先生の心の叫びですよね。あの気持はよくわかる。

他作品からの影響と引用

成馬:藤本先生は冨樫先生の影響はあるんでしょうか。

岡島:直接的には語ってない気がします。沙村広明や弐瓶勉など、アフタヌーン系の作家の影響を強く感じますね。漫画表現においては、冨樫先生の影響をあまり感じません。

成馬:作品の影響というよりは、『幽☆遊☆白書』の仙水編以降のぶっ壊れてく空気感を彷彿とさせるんですよね。個人的には、望月峯太郎先生の初期の漫画『バタアシ金魚』や『バイクメ~ン』の影響を感じます。

倉本:なるほど、未知の悪魔の能力や異形の世界が現出したときのゾワゾワした感じとか、望月先生みはある気がします。

成馬:ただ、それは自分が思春期に冨樫義博や望月峯太郎の漫画に惹かれた感触を投影しているのかなぁと思うんですよね。いろいろな人の『チェンソーマン』の感想を読んでいると、年配の人ほど、自分が原体験として持っている最初に衝撃を受けた漫画体験と重ねている節があるように見えるんですよね。つい、自分が1番衝撃を受けた過去の漫画と比較して話してしまう。おそらく、藤本先生は相当な漫画読みで、過去に読んだ名作漫画の名シーンのストックがたくさん脳の中にあって、「あれを再現したい」「これを再現したい」とひたすら繋げていったんだと思うんですよね。最初の印象としては描きたい画のイメージが先にあって、その名シーンを繋げていった結果、ライブ的に面白いものが生まれたのかなぁと思いました。榎本俊二先生の『斬り介とジョニー四百九十九人斬り』という、100ページぐらい侍が敵をがんがん斬っていくだけの漫画があるんですけど、この作品と弐瓶勉先生の『ABARA』に影響を受けたということは公言していますね。

『ABARA』

岡島:「『邪悪なフリクリ』『ポップなアバラ』を目指して描いています!」とモロに言ってますからね。 『ABARA』の主人公の名前がそもそも電次(デンジ)です。

成馬:劇中の街の絵柄もデンジくんの幼少期の町みたいな描写ですよね。デビルハンターが悪魔や魔人と戦うという設定自体はよくあるもので、さかのぼれば永井豪の『デビルマン』やRPGの『女神転生』等の作品から派生した新味のないものですが、それをここまで面白くできるのが逆にすごいと思います。全てが凡庸でありきたりな要素の寄せ集めだけど、できあがったものは、なぜこんなにも素晴らしいのかというと、画ですべてをみせるという描写力がずば抜けているからだと思うんです。そのデタラメなところがまた、面白いんですよね。

倉本:確かに『女神転生』的ですよね。「宇宙の魔人」の回とか最高じゃないですか? 書物の背でコマ割りされたページを見て、詩人の最果タヒさんが絶賛ツイートしてましたけど。

成馬:あの描写も「五十嵐大介先生の短編集『魔女』をかなり参考にしてます」とながやまこはるちゃんがTwitterでつぶやいていましたね。その後、『魔女』も読んだんですけど、ニュアンスは分かったけど、そのまま画を持ってきてるという感じがあんまりしなかった。だからちゃんと咀嚼して自分の表現に昇華してるんですよね。

岡島:昔の作品だけではなく、ここ10年以内の最近の作品から引っ張ってくることも多いですよね。第50話はサメの悪魔&デンジVS台風の悪魔の話なんですが、サブタイトルがまんま「シャークネード」(2013年のアメリカ映画。サメ&竜巻VS人間の姿を描く。以降シリーズ化)でビックリしました。さっき「漫画表現においては冨樫先生の影響を感じない」と言いましたが、影響を受けた作品や人物をそのまま公表する、という点では冨樫先生と似ています。冨樫先生も『幽☆遊☆白書』の単行本で当時アフタヌーン連載中だった高橋ツトム先生の『地雷震』を好きな作品に挙げたり、伊藤潤二先生の絵柄を真似たり、ダウンタウンや欅坂46らしき人物を作中に出したり、結構あからさまです。

倉本:アキとパワーちゃんとデンジが水槽をバックに写真を撮っている設定の扉絵がありましたけど、あれも元ネタがあるんですよね?

成馬:幾原邦彦監督の『輪るピングドラム』と言われてますね。「95年の呪い」をテーマにした三人兄妹の話ですが、デンジたち三人の関係と重ねているのかもしれませんね。アニメの影響で言うと『チェンソーマン』は「邪悪な『フリクリ』」だと藤本先生は公言してますよね。あのアニメはSFテイストのジュブナイルアニメで、望月峯太郎や安野モヨコの絵柄や『サウスパーク』といった作品からの引用が散りばめられているのですが、小学生の男の子が年上のお姉さんに翻弄されながら成長していく物語の基本構造は似ているのかもしれないですね。

岡島:『呪術廻戦』の芥見先生以上に、藤本先生は、自身が影響を受けたものをダイレクトに引用し、それを公表していきますよね。チェンソーマンが初めて本来の姿になって戦う回の前週のジャンプ巻末の作者コメントで「アバラはいつかアニメ化してほしいです。ラストもろガウナです。」って書いてるんですよ。(※奇居子[ガウナ]の造形がチェンソーマン本来の姿に酷似している)。で、実際翌週回のラストでチェンソーマン本来の姿になるっていう。自らネタバレしていくスタイル。すごいなと思います。

成馬:チェンソーの悪魔の設定自体が『悪魔のいけにえ』ですけど、第2巻のカバーのコメントで「悪魔のいけにえ大好き!」と書かれてますよね。最初は映画の影響のほうが強いのかなと思っていました。

倉本:映画大好きですよね、藤本先生。

岡島:今のところ、『ファイアパンチ』と『チェンソーマン』の両連載で映画館が出てきてますからね。映画や映画館に強い思い入れがあるし、映画館を象徴的に使っていると思います。

成馬:『ファイアパンチ』はそれがすごい分かりやすく出ていましたよね。

倉本:パワーちゃんがマキマにやられてしまう場面で、玄関に飾られてる絵は宗教画ですよね?

岡島:堕天使ルシファーを描いたジョン・ミルトンの「失楽園」ですね。

倉本:あれを見て、藤本先生は構図萌えの人なんだなと思いました。

成馬:画がすごくいいですよね。俺は画の面白さで読んでいたので、ストーリーや設定は後付かと思っていたのですが、9巻まで読んで、細部まで考え抜かれた作品だったんだなぁと驚きました。これから他ジャンルのメディア展開が広がっていくと思うけど、漫画だからこそできる表現を追求してきた作品だったなぁと思います。

岡島:藤本先生はご自身で「僕はアクションシーンが下手です」と仰っていますよね。例えば漫画でいうバトルの上手さというのは、基本的に体がどのように体重移動し、どのようなスピードで動いているかなど、読んで直感的に分かること、だと思います。鳥山明先生はそれが神がかり的に上手い。『チェンソーマン』のバトルシーンは1ページ1ページが絵になっているというか、それだけで成立するような綺麗な構図ではあるけども、そういう意味で言えば確かに作者自身が言うようにアクションシーンは苦手なのかなとは思います。ただアクションはそうかもしれないけど、漫画そのものを描く力のレベルが物凄く高い。最近の漫画家の中では頭がいくつも抜けるほど圧倒的に上手いと感じます。あと、“物語”には愛情があるけど、キャラそのものにはあまり愛情がないんだろうな、というのは思います。

倉本:物語に愛情があるというのはすごくわかる。ちっちゃなコマなんだけど、アキとパワーと3人で暮らしている部屋の情景が丁寧に描かれるシーンがあって、Tシャツや靴下といった洗濯物がたくさん干してあるんですよ。「たくさんの人と暮らしている」ことを、洗濯物の数で物語る表現がとても上手だなと思いました。

岡島:藤本先生は物語のために漫画を描いているという感じがします。だから引用できるものを、何でも引用する。我々の世代だとパクリはいけないことみたいな気持ちがあるじゃないですか。それが『エヴァンゲリオン』ぐらいから、ぐちゃぐちゃになっていくと思うんですけど、今の世代は、そういった気持ちがあまりないのかなと思います。

成馬:受手である我々自身が、引用に対する許容度が高くなっているということもあると思うんですよ。90年代後半に連載された『幕張』や『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』といったギャグ漫画が当時の『週刊少年ジャンプ』をネタにしたパロディをやるのを見て、その距離感の無さが当時は苦手でした。パロディをやるのなら、もっと遠くから持ってきて欲しいというか。内輪で閉じたノリの中に、友達同士でわちゃわちゃやる面白さがあるのはわかるけど、あんまり好きになれなかった。でも今の藤本先生達の世代の引用やパロディになると、歳が離れていることもあってか、微笑ましく見られます(笑)。

倉本:小説の世界でも顕著ですが、今の若い書き手は引用しても記号に余計な自意識を乗せないんですよ。古市憲寿さんの『平成くん、さようなら』とかを読んでると、固有名詞はたくさん出てくるんだけれども、そこに対してあからさまな批評性を誘引させようとして書いてはいない。てらいがないというか、単純にものと名前と人を等価に見てるみたいなところがあるんですよね。

成馬:『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野秀明監督がインタビューでよく「自分たちにはコピーしか作れない」とオリジナルを作れないことに対する屈託をよく語っていたんですよね。『エヴァ』もコピーがオリジナルに戦いを挑むというモチーフが繰り返し描いていて、逆にそのこだわりこそが、作家としてのテーマになっていた。岩井俊二や是枝裕和も偽物というモチーフを繰り返していますが、あの感覚は60年代生まれの作家特有のものですよね。ジャンプでは冨樫義博先生も同じ屈託を抱えている。その影響を70年代生まれの作家にも影響を受けてるんですけど、下の世代になるほど引用に対する罪悪感がなくなっている。

岡島:恥じらいというか、引用することに罪の意識がありましたよね。オリジナルでなければいけない、という。

倉本:多分、自分も含め、70年代生まれって「自意識」とか「自虐」といった要素に一番慣れ親しんでいた世代だと思うんですよね。「アラサー」って言葉が生まれたときに、まさにアラサーだった人たち。先日、芥川賞を受賞した91年生まれの遠野遥さんがラジオで曲をリクエストするときにさらっと米津玄師の曲をあげていて、「そういうことか!」と今思い当たりました。

成馬:その距離感はいいですよね。最近の若い子はみんないい子。『呪術廻戦』の虎杖や伏黒もそうですけど、デンジもパワーちゃんもいい子だなぁと思います。

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