『食堂かたつむり』から『とわの庭』へ 小川糸が描く“母娘の確執”の物語はさらに過酷で壮大に

小川糸が描く、母娘の確執『とわの庭』

「親のいないみなしごになって、わたし、また妊婦になったのかも」

 これは、「とわのあい」で繋がった母と娘の物語だ。「いずみ」のように枯れることのない無限の愛で母は子を抱き、やがて子が母を抱く。それはとても美しく、ヒロイン・とわの母が冒頭読み聞かせる詩「いずみ」のように、密やかな官能性を帯び、その反面、とてつもなく恐ろしい。「あい」という名の母親は、「お母さんにとってえいえんの愛だから」娘の名前を「とわ」と名付けた。「永遠の愛」というひとつながりの言葉の中にギュウッと閉じ込められた親子にとって、木々が季節ごとに芳しい匂いを放つ美しい庭のある家だけが世界だった。

 今年10月25日に発売された『とわの庭』は、盲目の女性<とわ>がヒロインの物語だ。昨年の本屋大賞2位『ライオンのおやつ』(ポプラ社)に続く小川糸の書下ろし長編小説である。映画化もされた鮮烈なデビュー作『食堂かたつむり』(ポプラ社)で描かれた母親との確執と許しを、さらに過酷に壮大に描いた作品である。

 そして、匂いや光で“色”をイメージしたり、物語を読んだりすることで、世界を徐々に把握していく盲目のヒロインとわの心象風景として描かれる、輝きに満ちた「世界」は尋常じゃなく美しい。従来の小川作品が持つ、生きることの喜びと優しさに満ちた、清らかで健やかで、それでいてほんの少し官能的でありながら、凛とした世界観を形作っているのは、その言語表現の巧みさがもたらす「既存の世界を捉えなおす」力ゆえなのであるが、今回の物語は、その純度が途方もなく高いのである。

食堂かたつむり(ポプラ文庫)
映画化もされた『食堂かたつむり』には、美味しそうな料理がたくさん出てくる。

 また、『食堂かたつむり』、『あつあつを召し上がれ』(新潮社)といった作品に代表されるように、小川糸の物語の魅力と言えば、そこに登場する美味しそうな食べ物の数々だと感じる読者は多いだろう。『とわの庭』においても例外ではなく、「小鍋には、残り汁が入れてあって、それと卵が半熟状にうまく絡み合うのが理想」である卵が「あつあつのうちに」のせられた、とわの「自分史上最高の出来栄え」の牛丼という、最高にお腹の空く一品を味わうことができる。

 物語は前半と後半、大きく2つの世界に分かれる。前半は、母が形作る美しいけれど外界から遮断された世界の中で、母娘2人だけで生きる幼いとわの物語だ。ヘレン・ケラーがサリヴァン先生の導きによって水を認識し、世界を発見していったように、とわもまた、本と植物が好きでパンケーキを焼くのが得意な美しい母に導かれ、沈丁花や金木犀といった香りのする庭の木々によって季節の巡りを感じ、クロウタドリのコーラスにより朝が来たことを感じ、1日という概念を知り、世界を知っていく。

 でも、10歳の誕生日を幸せのピークとして、彼女の世界は過酷さを極めていく。これまで光を与えてくれていた母親という太陽が陰り、やがて「失踪」という形で失われることによって。

 とわが発見していく「世界」は無垢で美しい。母子が暮らす自然に囲まれた「お城」はまるでおとぎ話の中のようだ。だが、10歳の誕生日の記念にオシャレして記念撮影に行こうと、とわを連れて外に出ようとした母が「ないの。(とわの)靴がないわ。どうしよう」と弱々しい悲鳴をあげたところで、読者は、この美しい城の一際いびつな歪みに気づくのである。

 後半は、どうにか生き延び、「得体の知れない音があふれている」恐怖に満ちた外の世界に勇気を持って足を踏み出したとわ、改め<十和子>の新しい人生が描かれた。

 そこにはたくさんの出会いがあった。盲導犬のジョイ、ひと夏の恋の相手リヒトくん、全てを相談し合える姉妹のような友人、スズちゃん。そして、献身的に母を介護する、魔女のマリさん。

 特にマリとの出会いは、同じく母親への愛憎を併せ持つとわにとって大きな意味を持っていた。また、ピアニストのマリが「人生に絶望しながら弾いていた」ピアノの音色が、閉ざされた家の中で飢えに苦しんでいたとわの心の拠りどころとなっていたことが後に明らかになる。そういった、思わぬところで誰かが誰かの救いになっている奇跡もまた、この物語の美しさの一つである。

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