これは私たちの物語だーー『82年生まれ、キム・ジヨン』で描かれる「絶望」と「希望」

『キム・ジヨン』で描かれる絶望と希望

 現在日本でも絶賛上映中のチョン・ユミとユン・ユ共演の同名映画の原作である『82年生まれ、キム・ジヨン』は、1982年生まれのキム・ジヨンという架空の女性を通して、現代を生きる女性の生きづらさを刻銘に描いた小説である。

 彼女を愛し理解しようとする夫と可愛い娘と共に暮らす、一見幸せそうな女性ジヨンは、ある日突然、彼女の周辺の女性が憑依したかのようになる症状に見舞われる。それによって、彼女の母親、祖母はじめ、彼女に関わったあらゆる世代の女性たちの歴史や思いが浮き彫りになっていく。

 韓国で爆発的な共感と炎上を呼び、社会現象となった本書は、#Me Tooムーヴメントの波が高まる中、世界中で反響を呼び、日本でも大きな共感を持って受け入れられ、ロングセラーであり続けている。そんな実に刺激的な本書のページを、意を決して開いた。だが、そこに描かれているのは、拍子抜けするほどありがちな(とるに足らない、聞き流すべきことと思わされている)、女性が成長していく過程、社会の枠組みに組み込まれていく過程で抱く、周囲に対する小さな違和感の数々だった。そしてそれらの違和感は、かつて無意識に自分の心の奥底に封じ込め、感じないようにしていたものでもあった。

 コミュニケーションを円滑にし、うまく世渡りするために。「こいつは空気を読めない」と思われないために。自分が体験したことでなくとも、この本に描かれていることの多くが、友人知人から聞いたこと、彼女たちが必要以上に負わされている責任、被っている理不尽さの多くと酷似していた。そして彼女たちはいつもそのことを明るく笑って流していたことが思い起こされた。

 なによりこの本における最大の「絶望」は、男性と女性の分かり合えなさが根底にあることだ。最大の理解者であるはずの人物が、本当はそうではなく、全く噛み合っていないことがわかる瞬間が一番怖い。ジヨンの夫であるチョン・デヒョンは、彼女を心から愛し、理解しようと心がけるよい夫であることには違いないが、育児・家事を「手伝う」と言ったり、結婚や妊娠・出産によって、仕事を含めたこれまでの生き方を全て変えなければならなくなることに対する彼女の葛藤をとことん掬い取れなかったり、世間の常識や慣習に従うことに何の違和感も持たない人物として描かれている。また、終盤小さなどんでん返しがあり、読者は同じ恐怖をもう一度味わうことになるのだが、それはぜひ本書を読んで確かめてほしい。

 一方で、逞しい女性たちという「希望」もある。特に「お金を稼いで兄さんたちを学校に行かせなくちゃいけなかった」から夢を諦めたという世代特有の過去を持つジヨンの母、オ・ミスクはとてもパワフルでかっこいい。夫をうまく操縦し、時流を読む的確な商売と投資で家庭を守り、自分たちが受けてきた理不尽を娘たちには味わわせまいと努力した人物だ。「行けなくても、知っておきなさいね。世界はこんなに広いんだってこと(本書,p.45)」と娘二人の子供部屋に世界地図を貼る母親の姿は誰よりも強く、優しい。そしてどこか、哀しい。

 「男尊女卑」が当たり前、「女性は男性のためにある」といった考え方が主流だった、ジヨンの祖母・母親の世代とは違い、女性の大学進学率が格段に上がったジヨンの世代以降の男女は、新たな葛藤に突入している。「世の中はほんとうに、大きく変化した。しかしその中のこまごまとした規則や約束や習慣は、大きく変わりはしない。だから結果として、世間は変わらなかった(本書,p.125)」とあるように。

 それが、本書後半で描かれた、大学卒業後の就職難、会社での出来事、そして妊娠・出産以降のジヨンの物語だ。公園でコーヒーを飲んでいたら「ママ虫(育児をろくにせず遊びまわる害虫のような母親という意味の韓国のネットスラング)」という言葉を見知らぬ人から浴びせられるなどの女性嫌悪(ミソジニー)が、ジヨンを追い詰める最大の原因となる。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「書評」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる