東方神起ユンホも共感 『あやうく一生懸命生きるところだった』が描く、韓国のオルタナティブな一面

オルタナティブな韓国を描いた一冊

 『82年生まれ、キム・ジヨン』や『私たちには言葉が必要だ』などをはじめとして、次々と日本で韓国の文学やエッセイなどが出版されている。これらの本は、主に女性の生き方に関するものが多かったが、1月に翻訳された『あやうく一生懸命生きるところだった』は、男性の著者が書いた本である。

 表紙には、魂が抜けたようにパンツ一丁で横たわる男性、その背中の上には猫、そして男性の周りには一杯のコーヒー(と思われる)の入ったマグカップと鉢植え、ビールに酒のあてであろうイカが置いてある、なんとも脱力感のあるイラストがこの本を象徴していて面白い。

 著者はイラストレーター。三浪をして韓国の難関美大の弘益大学(通称ホンデ)に合格するも、その後は「1ウォンでも多く稼ぎたい」と会社勤めとイラストレーターのダブルワークに奔走していた。

 しかし、ある日突然、韓国の熾烈な競争社会に対して考えてみて、ふと立ち止まり、「これ以上、負けたくないから、一生懸命をやめよう」と心に決めたことから、この本がスタートする。

 私が韓国の映画やアイドルを見てきて思うのは、「一生懸命をやめよう」ということに関しては、多分日本のほうが進んでいるのではないかということだ。それは裏を返せば、韓国のほうが「一生懸命」だということだ。

 例えばそれは誇張されているとはいえ、映画『パラサイト』を見たって感じられることだろう。ソン・ガンホ演じる父親とその家族は、脱力した空気感を醸し出してはいるが、それでも生きるために必死でもある(もちろんそれはそうでないと生きられないことなのだが)。そして、最後まで必死であることをあきらめきれないところに、韓国社会(だけではないはずだ)の問題点が描かれていると感じた。

 それに対して、韓国では恋愛・結婚・出産を放棄する若者を指す「三放世代」という言葉が2011年ころに生まれ、その後はその数が五、七と増えていき、「N放世代」と言われるようになった。こちらも、過酷な社会状況を受けて、そうとしか生きられないからこそ生まれた言葉なのかもしれないが、本書はそんな「N放世代」の気分を、ポジティブに表したものと考えていいだろう。

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