矢沢あい『天使なんかじゃない』から『NANA』への道筋 「りぼん」脱却で見出した作家性とは?

矢沢あい『NANA』に至るまで道のり

 少女漫画の歴代発行部数において、『花より男子』『ガラスの仮面』に次ぐ累計5000万部(2019年時点)を誇る大ヒット作『NANA』。その作者・矢沢あいが、『りぼん』出身作家としていかに大成していったかを振り返りたいと思う。

掲載順が後ろの方だった『ご近所物語』

 矢沢あいがデビュー前、少女漫画界の重鎮・一条ゆかりからどのように評されていたかご存知だろうか。

「本人独自の個性を感じられないんだよね」(一条ゆかり・編『りぼん新人まんが傑作集 3 虹を渡る7人 』より)

 である。個性のかたまりのような矢沢を指して、流石の一条先生も勘が鈍ったかと思われるかも知れないが、素人時代の投稿作品を見れば確かに、当時は埋もれた才能の1人に過ぎなかったのだろう。

 「りぼん漫画スクール」で佳作を受賞した『あの夏』が別冊に掲載されるまでに投稿10回、うち努力賞3回、もう一息賞3回と、決して順風満帆ではなく、『15年目』でようやく本誌デビューとなった後も、なかなか長期連載には至らなかった。

 91年『天使なんかじゃない』で人気作家の仲間入りを果たしたが、一条の言う個性が発揮されるのは、95年『ご近所物語』になってからだ。

 『ご近所物語』が連載されていた頃の「りぼん」では、80年代に「250万乙女」と呼ばれ読者に支持された乙女チック路線を、90年代の絵柄で描ける作家が重宝され、巻頭を飾っていた。矢沢はそのトレンドから外れていた。被服学校を舞台にしたこの作品では、登場人物がまるで服飾のデザイン画のように、頭身はどんどん高く、体格は細く描かれるようになり、ヒロインの容姿も読者からの好感度を度外視していた。

 連載開始からすぐにアニメ化される厚遇を受けながらも、本誌での人気は女子の心を掴んだ『ベイビィ★LOVE』や『グッドモーニング・コール』等に及ばず、アニメ終了後は掲載順が後ろの方に回った。

 続く『下弦の月』でも、月のメトン周期をテーマに取り込んでミステリアスな作風に仕上げ、『りぼん』の読者層にマッチしなかった。

 一条の評にあった「個性がない」は、少女漫画の枠組みに作風をはめ込み、既にあるものを描こうとしたがゆえだった。『ご近所物語』の番外編・カラフルの台詞を借りるなら、それ以前の作品は「型抜きおにぎり」である。『りぼん』の誌面上から1人だけ浮くようになった矢沢は、ついにその個性を発揮していく。

女性読者を取り返した『NANA』

 一方で少女漫画誌の外に目を向けてみると、芸能誌『明星』が95年(滝沢秀明のデビュー年)からジャニーズJr.のコーナーを開始、同じく95年にはローティーン向け雑誌『ピチレモン』がファッション誌に転換、97年にはその競合となる『ニコラ』が創刊するなど、女子小中学生の関心事が芸能・ファッションに向いた事で、『りぼん』『なかよし』の2大少女漫画誌は90年代中頃からわずか5年で発行部数を急減させるに至る。

 早熟な女子たちは虚構の王子様より、現実の王子様を選んだのだった。

 『りぼん』は80年代の乙女チック路線を90年代の作家に引き継がせたのが仇となった。この路線からの脱却が喫緊の課題であった。

『Cookie』創刊号表紙

 そこで集英社は、99年に『りぼん』のお姉さんコミック誌の触れ込みで『Cookie』を創刊。少女漫画の黄金期を支えたベテラン作家を招聘し、主食の合間に取るお菓子感覚で、再び少女漫画誌を手に取ってもらう試みを始めた。『りぼん』にマッチしなくなった矢沢あいも『Cookie』に移り、看板作家の1人として創刊号の表紙に名を連ねた。

 反響は間食のお菓子どころの騒ぎではなかった。満を持して登場した新作『NANA』が、編集部の想定を超え、最初の1年でコミック累計200万部を突破する大ヒットとなったのだ。

 『Cookie』のターゲット読者層は10代後半から20代女性であったが、これはちょうど5年前に『りぼん』から離れていった当時の女子小中学生に当たる。早くからファッション資本に取り込まれ、そのセンスを磨いて高校・大学生へと成長した女性読者に突き刺さったのが『NANA』だった。

 『NANA』に登場する人物は、スラっと伸びた手足に、指の先まで細く長く描かれているのが特徴で、その指にはヴィヴィアン・ウエストウッドの指輪やブラックストーンの煙草など、細長い指をより恰好良く見せるアイテムが添えられている。

 『ご近所物語』から顕著になったこの絵柄の特徴は、『りぼん』読者からはウケが悪かったが、『りぼん』から一度離れた読者にはとても大人びて映った。乙女チックからの脱却を図った『Cookie』編集部からの要求に、『りぼん』の後ろの方で異質な作品を描いていた作家が応えたのである。

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