『鬼滅の刃』は「マスクの時代」を先取りしていた? 評論家3名が語り合う、コロナ禍における作品の評価

『鬼滅の刃』座談会後篇

兄弟漫画としての『鬼滅の刃』

『鬼滅の刃(18)』

成馬:『鬼滅の刃』には多くの兄弟が出てきますよね。炭治郎と禰豆子の関係をはじめ、敵も味方も兄弟がいるキャラクターがやたらと多い。吾峠先生は兄弟というモチーフにこだわりがあるんですかね?

倉本:前述の短編集の中に『文殊史郎兄弟』という殺し屋兄弟をモチーフにした話があるのですが、あまり兄弟愛みたいな側面は強調されていなかったと思います。

島田:この漫画は、禰豆子という妹キャラを重要なポジションにおいたからなのか、主人公にとって恋愛対象となるようなヒロインが不在でしたね。もちろん、カナヲは最後に炭治郎を救うひとりになる、という意味でも無視出来ない存在ではあるのですけど、あまり惚れた腫(は)れたの展開にもっていってはいませんよね。いずれにせよ、恋愛対象としてのヒロイン不在の構造が、兄弟漫画色を強めた要因のひとつかもしれません。

倉本:ヒロイン信仰が希薄というか、そういう恋愛的な要素がストーリーの主軸に絡んでこない点がいいと言う読者が私の周りではすごく多いです。

成馬:炭治郎と禰豆子の距離感って、妹萌えみたいな感じと違って、すごく人としてちゃんと向き合っている感じがするんですよね。愈史郎が禰豆子のことを「醜女」と言ったときに、炭治郎は「町でも評判の美人だったぞ」と言って怒るじゃないですか? あそこで炭治郎が反論するのが、本作の現代性で、ああいった人の尊厳に関わる発言に対して、この漫画はすごく敏感ですよね。あの歳の男の子だと照れ隠しに悪態をついてしまいそうなところで、正面から「美人だ」と言って妹をかばう。こういう美しい関係性は、むしろ恋愛が成立しないからこそ描けるのかもしれないですね。

倉本:ああ、それはあるかも。最終回が駆け足のように感じた人もいたというのは、こまごまとした仲良し関係を最初から「恋愛」の型に落とし込んで描かなかったからこそ、オチが唐突に見えたのかもしれませんね。私自身は、伊之助がアオイちゃんに自分用のつまみ食いセットを用意してもらうシーンがすごく好きでした(笑)。伊之助は赤ん坊の頃に母親を殺されて以来、弱肉強食の山の中でほとんどひとりでサヴァイブしてきたから、「自分のためだけに用意してもらえる食事」があることをそこで知ってじーんとなる。システマティックに恋に落ちるシチュエーションに落とし込んでるんじゃなくて、ちゃんと人として見ているというか、そのキャラクターの背景をしっかり汲み取って場面を描いている点にグッと来ました。

成馬:カナヲの描き方も面白かったですね。綾波レイみたいなクールな戦闘少女かと思いきや、だんだんと人間味が増していって、最終的には内面が理解できる普通の女性になっていく。よく読むとそういう小技というか、これまでの漫画ではあまり見なかった描写がたくさんあるんですよね。

倉本:柱の面々も、最初は何を考えているのかわからなかったのが、最終的にはみんなすごく人間味のあるキャラクターとして登場しますよね。岩柱の悲鳴嶼さんなんか、当初は炭治郎の姿を見るなり数珠を掲げて泣きながら祈りつつ、「生まれてきたこと自体が可哀想だから殺してやろう」なんてむちゃくちゃな暴論をさらっと口にする電波系おじさんだったのに、炭治郎たちに柱稽古をつける頃にはめちゃくちゃ良い人になっている(笑)。これって現実社会にも重ねられることですよね。最初のうちはその人の表面的な部分しかわからないけれど、コミュニケーションを重ねていくと自分の持っているレンズの解像度が上がって、それまで見えていなかった部分がわかってくる。短編集を読んでいると、吾峠先生はそういうことを描きたかったのかなと思えるんです。炭治郎がどんどんみんなの心の扉を開いていくところに注目しても面白いです。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「インタビュー」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる